宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

世の中の"できない"という言葉は本物か

世の中の"できない"という言葉は本物か

 

日常生きていると家のことや仕事のこと、たくさんしなければならないことがある

時間的な制約、能力的な制約、感情的な制約、いろんな理由があって手がつけられないものが誰しもがあると思う

そんな時に、手をつけられなかったことに対し当たり前だけれど"できなかった"って多分思うと思う

当然ながら私も毎日思う

 

だがしかし!

"できない"というのは本当に"できない"なのか

結論から言うと脳の観点から見て"できない"と思い込んでいるだけであって、ひとつの動きからみたらできないのではない"やらない"だけだ

自分が"やらない"選択をしてできなかったと言い訳をする、それが脳がやること

かなり厳しいけれど、脳の観点に掴まれるということはそういうこと

 

実際"できない"と思ってやってなかったとも、状況が変われば簡単にできることだってある

その時になってやらなかっただけだったって気づくのだ

気づくのだけれど、次同じような場面になると"できない"

だからどうにもならないでしょって思うかも知れないけれど、どうにもならないっていってる言葉の奥にはどうにかする気はない

それが脳の観点

 

人間の現在地を明確にわかること

それが間で生きるためのファーストステップであり人間の素晴らしさを理解するプロセスでもある

どうみるかの違いだけで絶望と希望は共にある

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現実世界において唯一意味あることとは

はい、今日も少々スパイスの効いた辛口ブログです笑

 

タイトルからして現実の中のただ一つを除いては全て意味はないということになっちゃうけど、まあその通り

 

まあね、見る観点によっては意味あるという見方もあるけどそれも視点の広さによる

 

たとえば『この人生』といった視点で見た時

人生よくしたいといったときに思った通りの資格を取れたとか、できなかったことができるようになったとかそういう変化は意味あるといえる

 

でもその前提の『この人生』というくくりでみることに、どれだけの意味があるだろうか

 

それでさらに、そういう表面的なことではなく無意識の観点が原因で起こってしまういつものパターン、たとえば周りから否定的な反応がいつもくるとか、頑張ろうと思ってやってみるけど気持ちがどうにもいうこときかないとか、そういうのはなんとかしようって頑張ってもムダ!

意識的な努力でなんとかなるものではないから

 

なんとかしようとしている自分に満足したり、とにかく頑張るパターンをもっていてやり続けるならいいけどそれも結局自分のパターンの中

だからなにも解決していない

 

おまけにそのパターン、1年後、10年後は当たり前、来世、再来世もずーっとやり続ける

一生どころの話ではない

 

だから頑張ることを通して獲得するべきことは

よくなったり変化したりすることではなく、宇宙を消すことが唯一意味あることだと気づくこと

よくなるとか変化とかはその結果ついてくるおまけみたいなものだから

 

未来永劫、あなたが本来のあなたであるために

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祖父母の海

先週木曜日祖母が亡くなりました

昨日一昨日と通夜、葬式をしてきました

 

今感じることは幼いとき物心ついたときにはすでに祖父母の海にいたこと

亡くなるまでは当たり前すぎて気づかなかったけどいなくなってそうだったことに気づいた

別に何かから守られていたわけではないけれどその海の中にいた

そして今、その海は開かれ外の世界と直接繋がっていて、いつでも外に出ていける

いや、すでに外に出ているのかもしれない

自分の足で自由に進める外に

 

戦前にこの日本に生を受けて戦中を生き、そして戦後の高度経済成長を最前線で引っ張ってきた祖父母

その時々どんな気持ちで生きてきたのだろうか

それに私がJapanMissionProjectと直接関わることができるのも祖父母のおかげだと思う

そういうのを総合してイメージすると自ずとどちらに向かうべきかみえてくる

 

時がきたのかもしれない

 

 

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

祖父母のメッセージ!?2

祖母の命が長くないと聞いてから感じることがある

 

最近になって初めから祖父母の海の中に育っていたんだと

 

物心ついたときにはすでに村の電気屋として成功していて頻繁に祖父母中心に親族が集まって宴会をしていた

それがずっと今まで続いた

当たり前すぎてなにも感じていなかった

 

だけど、祖父母がいなくなろうとする今、なにか自分にとって大きなものが消えてゆく、そんな感じがする

人としての祖父母がいなくなって悲しいとかそういう感覚ではなくて、今まで匿ってくれていたようななにかがなくなるような感覚

 

自分の足で立て、そして歩め

そんな風に言われている感じ

 

この感覚、何なんだろうか

 

別にそれがなくなって怖いわけではない、不安なわけではない

胸を張って前進していけるそんな気さえしている

まるで希望に向かうように

 

なぜこのタイミングなのか

私がJapanMissionと出会ったこと、祖父母が生涯成し遂げて感じてきたこと、それらが1つに繋がっているように思えてならない

 

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

だとしたら祖父母から受け継いだ全てをもって前に進もうと思う

行けど終わらぬJMP

7年前、このフィールドで人生勝負すると決めたきっかけになったJapanMissionProject。

当時、日本縦断をしていた同志たちに加わり私も行動を共にした。とにかく人を集め、会の運営をしながら。

 

日本を一周し、しばしのお休みの後、昨年5月、バージョンアップしたJapanMissionProjectが帰ってきた。

 

あれからさらに約1年。

新しく仲間に加わった同志たちと共に毎月のペースで全国を練り歩く。

共に人を集め共に舞台を創る。

7年前と比べられないくらい速いペースで。

 

1年間一緒にやってきたメンバーはいつも必要な時に必要な場所に集結。

朝早くから夜遅くまで時と場所を共にする。

心にはブレない信頼の土台をもって。

 

そしてそのJapanMissionProjectが昨日フィナーレを迎えた。

21年間のプロジェクトの終焉と共に。

仲間たちと共に達成感を噛みしめる。

 

が、しかし、フィナーレがあれば始まりがある。ωがあればαがあるように。

NohJesuの語るJMPはこれで終わるが、その裏側で準備してきた僕たちが今度はJapanMissionを語ってゆくのだ

 

二度と自らを否定することのない最高の誇りとプライドを持てる日本になるために

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祖父母のメッセージ!?

朝一本の電話が実家からあった

 

母『おばあちゃん、調子悪なってもう先長くないねんて』

 

予測はしていたけれどこの時が来たか

そう思うと同時に2年前の祖父の他界を思い出す

 

祖父は戦時中を生きて、戦後高度経済成長の時代に祖母と2人で村の電気屋さんを経営していた

三種の神器とかいわれた電化製品の出回る時代の波に乗っていたので、まあある程度の成功者だったと思う

真面目にコツコツと働いていたので村の人たちの信頼も厚かった

その証拠に祖父の葬式には式場の一番大きな部屋にも入りきれないくらいの人の列ができるほどだった

 

だけどそんな祖父が電気屋を畳んでから亡くなるまでに幾度となく言っていたことがあった

 

『年寄りははよ死んだらええんや』

 

当時はまたゆっとんのか!って不快だったけど、今思えば、信頼も人望もあって真面目にやってきた人が言う言葉ではない

なにがあってそんな風になっているのだろうか

少し考えればすぐ答えはきた

 

"敗戦"だ

 

電気屋をやっていたころに、戦時中わしもはよ戦争に行きたかったんや、と言っていたことがあった

そう言った祖父のあり方からしてきっと戦場には赴かなかったが気持ちは日本と1つ、アイデンティティは日本だったのだ

だから次々に劣勢になってゆき、果ては本土空襲、原爆と徹底的にやられたときの挫折は大変なものだったと思う

それでその後のアメリカの政策によりきれいに自己否定が入ったのだと思う

 

2017年に入ってからそんなことに気がついたので、祖父が亡くなったときは全くこんな風に思わなかったけど、今日の朝の電話を切った後でこれらのことが心の深くから突き上げるように意識化されてきた

 

戦後を中心に最前線で日本に貢献してきた祖父母がなぜ自己否定しながら亡くならなければならないのか!

悔しい

悔しさと悲しさで涙が出る

今までこんな感情出てきたことなかったのに

 

もしかしたら日本をなんとかしてくれっていうメッセージなのかもしれない

こんな生き方は私たちの世代でもう終わりにしなければならない

私たちが立ち上がらなければならない

等身大で生きれる社会へ

今日はある大学生の子から、これから就職活動があるんだけど面接の練習をさせてほしいとの依頼がありましてポジションで出会うIDでいってまいりました

 

練習だから面接官になるのかと思ったらそうではなくて、自己PR、エントリーシートをみる流れに

 

その子はすごく頑張ってて、A4用紙何枚もの枚数にたくさん書いていました

 

私、頑張る子見てるとほんとに応援してあげたくなるんですよね〜

ということで今日も全力シャカリキ力になってまいりました😋

 

なんかね、彼女、面接でされた質問にうまく答えられないとのこと

ということで、じゃあとりあえず自分の中を整理しようと提案

1つ1つ面接官に聞かれそうなポイントを掴んでは、一緒になぜそう思うのか背景をしっかり意識化

 

その途中で言ってたことなんですけど

今までたくさんの人に見てもらったんですけど、みんなあれがダメ、これがダメって否定なんですよねーって

それでそうやって添削してると気づいたら自分じゃなくなってしまうって

 

それ聞いて

私たちはほんとにひどい世の中に生きてるなぁ

って思わざるを得なかったのです

 

だってね、自分が思うことまっすぐ発信してたらバツがきて自分じゃなくさせられちゃうんですよ

 

なんてこったー😱じゃないですか

 

だからね、私は思うんです

等身大で生きたらいいじゃないって

なんで人間はありのままで生きれないのかって

ほんとに残酷だと思います

 

だから今日は彼女がほんとにどうしたいのか聴きながらとりあえずはその背景をしっかりさせることをやってきました

すごく満足してたのがよかったですね

 

もうすぐ等身大、ありのままで生きれる社会になるからね

それまでもう少し頑張ってね😋

 

あ、もちろん3.18 JapanMissionProject in 神奈川 誘いましたよ!

IT系なのでAIのこととか興味あってピッタリですね、今後が楽しみです