お金から自由になりたい
そんな願望をもった若い人は少なくないでしょう
お金を稼ぐ仕事に対するモチベーションが、正直仕事が面白くない、やりがいを感じられない、でも生活のためにはせざるをえないからやっているといった状態になっているのではないかと思います
なにか新しいことを始めようと思って行動してみても1人で始めるにはリスクもあるし、勇気もいる
だからいつもためらってしまう日々を過ごしている
仕事をしながらでも簡単に始められるビジネスはあるはある
それでいくつかやってみたのだけど、うまくやっていける気もしない
こんな八方塞がりの現実をなんとかしたい!
そんなふうに思っている若者と少し突破口につながる事を考えてみたいと思います
まず、お金から自由になるってどういうことでしょうか
すぐ思い浮かぶのは、仕事しなくて自由な時間が増えること
たとえば週3日だけ仕事をしてあとの4日は自由に時間を使えるとか
もっといけば権利収入とかで毎日が休みとか
そうなれば自分の思うように時間を使えるので楽しいしストレスもありませんね
だけど、それを本当の意味でお金から自由になったと言えるのでしょうか
答えは No でしょう
確かに大してやりたくもない仕事に体を拘束されることからは自由になります
しかし意識は自由にはなりません
"意識が自由にならない"
ここからは個人よりは集団を考えるとわかりやすいので、意識が自由にならないとはどういうことかを、会社の中のひとつの会議の運営にたとえて考えてみます
まずは会議の準備、椅子や机を並べること、司会進行、タイムテーブルに沿って会議の中身をつくる人、タイムキーパー、空間を調整する人、終わったあとの片付けなど
様々な仕事がありますね
これが本当に会社の中の会議だったら、みんなしっかり自分の役割をこなすでしょう
なぜかというと仕事だから
仕事をしないとお金をもらえなくなるから
だけど、これが体がお金から自由になる、すなわち"やらなくてもお金をもらえますよ"ってなるとどうでしょうか
やらないを選択する人が出てくるだろうし、その分誰かが埋め合わせをしないといけない
そしてなによりそもそもなんのために会議をやるのかもわからなくなってきますね
だから会議自体が崩壊してしまいます
次にこの会議を社会に置き換えてみましょう
会議が崩壊するからといって社会も崩壊するというのは拡大解釈と思うかもしれませんが、やる人がいなくなると仕方なく誰かやるしかないという状態になってきます
そうすると社会全体のモチベーションも落ちてきて安定的な運営が難しくなってきます
そんな中で今の時代はAIの登場で仕事場がなくなっていくと言われたり、人間の経済活動における存在意義を問われるなど複合的な問題が起こっているわけですね
このような理由で体がお金から自由になることは社会全体の問題を解決できませんし、見方によっては問題を深刻にさせているともとれます
だから体がお金から自由になるだけでは不十分なのです
ひょっとしたら自分1人の体だけがお金から自由になって それでいいという人もいるかもしれません
今この瞬間はそれでいいかもしれませんが、その限界は回り回っていずれ別の形になってやってくるでしょう
だから個人がお金から自由になることと社会問題を解決することは今の時代は切り離せないのです
では意識がお金から自由になるとはどういうことか
それは、会議のたとえで考えるとわかりやすいですね
やってもやらなくてもお金がもらえる状態で、積極的に"やる"を選択する状態をつくれる状態です
全体の社会運営においてこれを可能にするために必要なことは
①誰もが共有共感できてやりたいと思えるビジョン
②そのビジョンを共有する人同士誰とでも構築できる信頼関係
お金が中心の資本主義秩序の頭で考えるとこれは無理があるかもしれませんが、実は今までにない新しい秩序があるのです
体も意識もお金から自由になる全く新しい秩序
若者含め一緒に創りたい人大歓迎です♬