宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

n-Tech を知って変化しよう

今回はn-Techと出会って大きく変化した私のエピソードを紹介したいと思います。

 

私は父母姉妹のいる5人家族で育てられました。

その中で1番影響を受けた母は愛情が深く何よりも子供のことを最優先してくれる人でした。よく遊んでくれたし何でもしてくれる人で、また兄弟みんなに平等でいつも変わらず家事をこなす人でした。

だからそんな母の影響を受けて私は人が大好きで、みんなに平等で、人のために何かをしてあげることってなんて素敵なことなんだ!って純粋でキラキラしている人になっていきました。


しかしそんな私が180°ひっくり返る事件が起こるのです。

それは12歳の時です。

ある先生との間に起こったことだったんですが、その先生は不良のような生徒には下から出て、真面目な生徒とか弱そうなものには上から強く出るような人だったんです。

そんな先生に私はその先生にとって不都合なことを言ってしまったときがありました。

私は絵に描いたような真面目な生徒だったので、その先生からしたら強く出れる格好の人間だったのでしょう。

案の定私は激しく怒られ、その後も誰もいない会議室に呼び出されて胸ぐら掴まれて怒られました。

そんな怒られ方をしたことがなかっし、当時私は背が低くかったことも拍車をかけ、私は恐怖でびっくりしてしまったのです。

あまりの恐怖心にその時が過ぎ去った後でも心のドキドキが止まらないほどだったのです。その結果強烈なショックが入り、180°人間に対する見方がひっくり返ってしまったのです。

 

人が好きで純粋でキラキラしていた私から、人間関係は弱肉強食、強いものが弱いものを支配する私へと。


こういう強烈なショックからくる決断でできた基準をn-Techでは無意識エンジンって言ってますが、人間はみな一度この基準ができてしまうと無意識でそれに基づいた人間関係しか作れなくなってしまいます。

私も例に漏れずこの事件をきっかけに大きく変わってしまったのです。


人間は支配する側がされる側かどちらかだ。

他人のためにしてあげることが素敵なことなどと言っていてはバカを見る。

この世界で生きるのであれば弱者を支配する強者にならなければならない。そう無意識で決断してしまったのです。

それ以来私は弱いものをいじめるようになりました。

 

そしてさらに私はよく観察してよく考える人だったので、人間が弱肉強食の中でなにをしているのか、それを自然に洞察していたのです。

そしてその結論は戦争です。

私の言っている戦争というのは目に見える戦争だけではありません。人間は広い意味で都合が悪くなるとそれを排除しようとします。

 

最悪は殺す

殺さなくても暴力で

暴力でなくとも暴言で

暴言でなくても無視で

無視せず笑顔でも内心は相手を否定して


そしてさらに、内心で相手を肯定していたとしてもそれでいいのでしょうか。

自分の愛しい人を例にイメージしてみましょう。

多くの人はちょっとやそっと都合が悪くても愛しい相手を優先できるでしょう。

でも自分の命がかかるとどうですか。理性が働いているうちは相手のために自分の命を捨てることはできるかもしれません。

ところが理性が働かないほど切迫してくるとどうでしょうか。


なにが言いたいかというと、自分という我があったらいくら互いに愛しいと言っても、相手を犠牲にする可能性が0ではないということ。だから深くみたら人間と人間が出会えばもう戦争が始まるんだということ。

 

確かに日常ではそんな理性が働かないほど切迫した事態は起こり得ないといえばそうです。でもそれが起こらないからといってみないふりをして愛や平和を語れるのでしょうか。


本当の意味で愛と信頼をもって人のために生きれるようになるために、唯一の突破口があるのだとしたら、それはこれだけは譲れない、これだけは侵されると都合が悪いという意識が消えること、言葉変えれば自分という我が消えること。我が消えて相手のためにいつでも喜んで死ねるくらいになることだと。

だけど、そんなことは無理だ、当時の私は思いました。

だから自分も含めて世間の人間は自分を守るために、傷つけ合い、裏切り合い、殺し合いをするくだらない生き物にしかみえなくなりました。


本当はみんな平等で他人を喜ばせるような生き方をしたかった!だけど、人間にはそれは無理だ。

だからその後の私の人生は、弱者を使ってどう自分が勝ち組になるかということが全ての行動の選択基準になってしまったのです。


私は社会人になるときすでに勝ち組になるためにビジネスをしていました。

そのビジネスが軌道にのるまでお金が必要だったので仕事をしてたのですが、なにせ行動の基準がビジネスを成功させて勝ち組になることでした。兎にも角にもビジネスを成功させること最優先で時間も労力も徹底的に一点集中させていたのです。だから会社の仕事では給料さえあればいいという考え方、そして仕事は適当にするし出勤はギリギリ、一緒に働く人とは喋らないし迷惑かける、そんな人間だったのです。それが我慢できなかった職場の人は私に暴言吐いたり私を殴ったりしてきました。朝出勤したらとりあえず周りから白い目でみられる、そんな毎日でした。

幸か不幸かその会社の社長はそんな私をクビにしなかったのです。しかしそんな寛容な社長にさえ私は、どうせ私をみて面白がってるんだろうとどこまでも捻くれた考えをしていたのです。

こんな風に12歳のときの事件をきっかけに私の人生は大きく変わってしまったのです。


そんな中で出会ったのがn-Techでした。

そのn-Techにはセミナーとかセッションとかがあるんですけど、セッション受けたときに無意識の決断が見えたんですね。

それで長期のセミナーを受けてみると、なぜ人間が弱肉強食でしか生きれないのか、支配する側かされる側かに別れざるを得ないのか、その原因が観点の問題にあるということがわかったんです。

それが理解できたら自分と自分の宇宙が綺麗に消えたんです。それで人間関係は弱肉強食だというイメージも綺麗に消えたのです。


それでその観点の問題がわかると逆に人間は素晴らしい存在なんだということ、人間こんなもんじゃない、ほんとの人間はすごいんだ!ということがよくわかったのです。

それでまた人間に対する見方が180°以上変わって人間くだらない生き物だ、から人間もっと好きにさらにひっくり返りました。

以来人との交流がまた楽しくなって大きく人間関係が変わったのです。

 

人間がここまで大きく変化できるなんて想像もしてなかったけど、変化してみて思うのは自分の意思どおりになるということ。

意思さえあれば変化はできる。

 

だから変化したい人、人間の素晴らしさを知りたい人は是非私と友達になってください。

待ってます!

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苦しい人こそ次の時代を担う人!?

学生の時、お金にはならないけど人のためになること、地域のためになることをやって、やりがいや喜び感動を感じたことは多くの人があると思います

 

別に自分がどうなりたいとか欲があるわけでもなく、ただ人のため、地域のためになにかできることで人々の喜ぶ姿がみれる

それで達成感や存在感を感じられて自分も喜びを感じることができる

 

人を喜ばせること、人を幸せにさせることってなんて素晴らしいことなんだろう

そんな風に心が満たされた気持ちいっぱいになって自分まで幸せな気分になる

 

できればそんな生き方を学生を卒業してもしたかった

でも現実はそんな甘くない

社会人になってしまえばそのことがよくわかる

というのも自分の生活がかかっているから

 

学生の間は親に助けてもらっていたからそんなこともできたけど、社会人となった今、自分のことは自分でしないといけない

お金を稼がないと生活できないし、あろうことかその想いが逆に疎まれることさえある

 

ほんとうは心から人のために地域のために自分の人生使いたい

だけど社会の仕組み上、人との関わり上、仕方なく我慢するしかない

 

毎日会社に行っては、自分の生活のために大してやりたくもない仕事をこなす日々

そんな日々の中、自分が助けてあげられる人、喜ばせてあげられる人が目の前にいるにも関わらず、今の自分には手を差し伸べてあげることができない

 

お金とか、関係性とか全部なしにして人のためにだけ生きれたらどんなにいいことか

そんな純粋な生き方をできなくさせるこの社会はどうなっているのだろうか

 

考えれば考えるほど苦しくなる、、、

もどかしくなる、、

 

そんな風な悩みを持っている人はとっても健全です

 

というのも人間には、お金とか関係性とかに縛られてしまう仕組みがあるのです

そしてその仕組みがわかってしまえば、ほんとうに心から人のために生きることができるからです

そしてさらに、その仕組みを理解する道は人であれば誰しもが通るべき道だから

 

このような健全な悩みをもったあなたは人々を次のステージに導く人なのかもしれません

 

その仕組みを知りたい人はメッセージしてくださいね😊

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満たされた毎日を送る鍵は空虚な心

日々どんなところで歓びと感動を感じていますか

 

歓びとか感動とかというと、今の時代はあまりにも日常にそれらがなさすぎて具体的にはピンとこないかもしれません

 

でも少しイメージを深めてみましょう

 

例えば映画を見て感動したり、あるお店に行って素敵な時間を過ごせて感動したりしたことは誰でもあると思います

 

そんなとき心が震えて涙を流したり、ほっこりと暖かい心地よい気持ちになったりして、日常の空虚な心と比べるととっても満たされた気持ちになるでしょう

 

そういった歓び感動を日常にどんなところで感じてますか

 

そんな風にいったら

 

毎日会社と家の往復で大した変化は特にない

朝起きて準備をしたら、満員電車に乗って出勤

変化のない仕事をこなして時間になれば帰宅する

 

だからマンネリしてしまって無気力、無感動で何のために仕事をしているのか、何をモチベーションに毎日を過ごしているのかさえもわからない

ただ惰性で毎日が過ぎるだけ

 

だから歓び感動なんてない!!

 

そんな風に答えが返ってくると思います

 

 確かに映画を見たり、普段行かない場所に行ったりして、心が震えて涙したり、満たされた気持ちになったりすることはあるかもしれない

 

だけど、それは日常のごくごく僅かな一時だけ

いつもの日々に戻ればまたマンネリ無気力無感動の灰色の日常が続く

ずーっと出口のない苦痛がどこまでもどこまでも続く

 

そんな心が呼吸をできず、どうにもならない苦しみ

 

なぜこんなにも苦しいのか

自分はなにか悪いことをしたのか

そんな疑問さえ出てくる

 

そんな歓び感動のない毎日をどうしたら満たすことができるのでしょうか

 

それは映画を見たからとか普段行かないところに行ったからとか、外からくる条件で感動するのではなく、日常を歓喜感動で観ることができる心をつくること

 

一見不可能に聞こえるけど、本当にできてしまえばいつどんなときでも満たされた心で日々を送ることができる

 

魔法のような効果ですよね!

 

その不可能を可能にするには、今までにない全く新しいイメージを取り入れること

それがマンネリした無感動の毎日を変化させる突破口なのです

 

歓喜感動の日々を過ごしたい方是非お友達になりましょう!

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苦しみの真っ只中、一点の希望

未来こんな風に仕事をしたい

そんなイメージはあるけれど、そに向かって目の前のことをやっていくことがとても苦しい

 

1人でいるとき感情が自分の中で暴れる

なにもしていなかったら苦しいからって例えば気を紛らわせることをしてみても

家にいたらぐるぐる考えにハマってしまうからって例えば外に出かけてみても

なにをしてもどこに行っても逃れることはできない

 

体は呼吸をしていても心の呼吸は極端に細く、窒息気味で今にも途絶えそう

脳に血が上ったように頭が圧縮された感じになって吐き気にならない吐き気を催す

 

そんなときとにかくアウトプットしようってノートにひたすら思うこと感じることを書いてみたり

誰か近くにいる人に表現してみたりするけれど

それも一時的な対処法

少ししたらすぐにまた元の考え感情が押し寄せてきて苦痛の中に飲み込まれて行く

 

こんなはずじゃないのに、、

私がなにか悪いことをしたというのか、、

本当にどうにもならないこの状況

 

生きることとはこんなにも残酷なことなのか、、

 

そんな日々が過ぎてゆく

 

だがしかし、生きるというのは本当にこのような苦しいものなのでしょうか

 

本当のことを言えば、私たち人間が苦しくなってしまうことには仕組みがあるのです

仕組みがあって苦しくなるようになっているのです

その仕組みが絶対世界から相対世界が生まれる仕組み

 

これがわかってしまえばその苦しみから解放されちゃいます!

 

欲しいものが手に入ったとしても

環境が変わったとしても

苦しみというのはなくなりません

 

唯一、苦しむ仕組みがわかったときにだけ本当の意味でその苦しみから解放されるのです😊

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お金から自由になりたい若者へ

お金から自由になりたい

 

そんな願望をもった若い人は少なくないでしょう

 

お金を稼ぐ仕事に対するモチベーションが、正直仕事が面白くない、やりがいを感じられない、でも生活のためにはせざるをえないからやっているといった状態になっているのではないかと思います

 

なにか新しいことを始めようと思って行動してみても1人で始めるにはリスクもあるし、勇気もいる

だからいつもためらってしまう日々を過ごしている

 

仕事をしながらでも簡単に始められるビジネスはあるはある

それでいくつかやってみたのだけど、うまくやっていける気もしない

 

こんな八方塞がりの現実をなんとかしたい!

 

そんなふうに思っている若者と少し突破口につながる事を考えてみたいと思います

 

まず、お金から自由になるってどういうことでしょうか

 

すぐ思い浮かぶのは、仕事しなくて自由な時間が増えること

たとえば週3日だけ仕事をしてあとの4日は自由に時間を使えるとか

もっといけば権利収入とかで毎日が休みとか

 

そうなれば自分の思うように時間を使えるので楽しいしストレスもありませんね

 

だけど、それを本当の意味でお金から自由になったと言えるのでしょうか

 

答えは No でしょう

 

確かに大してやりたくもない仕事に体を拘束されることからは自由になります

しかし意識は自由にはなりません

 

"意識が自由にならない"

 

ここからは個人よりは集団を考えるとわかりやすいので、意識が自由にならないとはどういうことかを、会社の中のひとつの会議の運営にたとえて考えてみます

 

まずは会議の準備、椅子や机を並べること、司会進行、タイムテーブルに沿って会議の中身をつくる人、タイムキーパー、空間を調整する人、終わったあとの片付けなど

様々な仕事がありますね

 

これが本当に会社の中の会議だったら、みんなしっかり自分の役割をこなすでしょう

なぜかというと仕事だから

仕事をしないとお金をもらえなくなるから

 

だけど、これが体がお金から自由になる、すなわち"やらなくてもお金をもらえますよ"ってなるとどうでしょうか

やらないを選択する人が出てくるだろうし、その分誰かが埋め合わせをしないといけない

そしてなによりそもそもなんのために会議をやるのかもわからなくなってきますね

だから会議自体が崩壊してしまいます

 

次にこの会議を社会に置き換えてみましょう

会議が崩壊するからといって社会も崩壊するというのは拡大解釈と思うかもしれませんが、やる人がいなくなると仕方なく誰かやるしかないという状態になってきます

そうすると社会全体のモチベーションも落ちてきて安定的な運営が難しくなってきます

 

そんな中で今の時代はAIの登場で仕事場がなくなっていくと言われたり、人間の経済活動における存在意義を問われるなど複合的な問題が起こっているわけですね

 

このような理由で体がお金から自由になることは社会全体の問題を解決できませんし、見方によっては問題を深刻にさせているともとれます

だから体がお金から自由になるだけでは不十分なのです

 

ひょっとしたら自分1人の体だけがお金から自由になって それでいいという人もいるかもしれません

今この瞬間はそれでいいかもしれませんが、その限界は回り回っていずれ別の形になってやってくるでしょう

 

だから個人がお金から自由になることと社会問題を解決することは今の時代は切り離せないのです

 

では意識がお金から自由になるとはどういうことか

 

それは、会議のたとえで考えるとわかりやすいですね

やってもやらなくてもお金がもらえる状態で、積極的に"やる"を選択する状態をつくれる状態です

 

全体の社会運営においてこれを可能にするために必要なことは

①誰もが共有共感できてやりたいと思えるビジョン

②そのビジョンを共有する人同士誰とでも構築できる信頼関係

 

お金が中心の資本主義秩序の頭で考えるとこれは無理があるかもしれませんが、実は今までにない新しい秩序があるのです

 

体も意識もお金から自由になる全く新しい秩序

若者含め一緒に創りたい人大歓迎です♬

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どうなる⁉︎ 朝鮮半島

2018年は大反転の年って言いますけど、ホントにそんな出来事が起こりましたね!

 

北朝鮮と韓国の停戦協定が平和協定に書き換わろうとしていること

65年に及ぶ分断の歴史が動こうとしていること

 

この先どうなるのか先行きが予測困難ですが、北の非核化、そこから世界の平和へと好転してゆくことを祈ります

 

私がともに仕事をする認識技術の創始者であるNohJesu氏がこのことについて語っています

ぜひ一度お聞きいただければ嬉しいです

 

https://youtu.be/0izIL0stHfc

 

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関係性の地獄を知って豊かになろう

人は誰でも豊かになりたい、そう思って生きてますよね

 

じゃあ、豊かになるための条件はなんでしょうか

それはやはり良好な人間関係でしょう

他にもいろいろあると思いますが、良好な関係性があればほとんどカバーできますからね

 

じゃあ人間関係というと、どうでしょうか

なかなか難しい

まあまあうまくいってる

特に問題ない

などなど人それぞれあると思います

 

うまくいかないと、究極をいうと殺人事件とかになってしまうことがあります

そうならなくても暴力でなんとかしたり

 

多くの場合、上のような沙汰になることはないでしょうが、関係性がうまくいっているという人もウマの合わない人には、いないものとして無視してしまったり

無視せず笑顔していても、内心否定していたり

 

さらにとても仲がいいという人同士でさえ、意見が違えばみないふりをしたり

 

みんなどこかには当てはまりますよね!

じゃあ本当の意味で目の前の人を愛することができる関係性とはどういうものなのでしょうか?

 

私たちはそんな豊かな人生を送る鍵になることに対して、答えのないままいままで過ごしてきました

付かず離れず適当な距離を保ちながら、、

 

でもこの先このままでよいのでしょうか?

確かに本当に理想とする良好な関係性を知らなければ、今のままでも特に問題はない

そんな風にも言えると思います

 

しかーし、その理想の良好な関係性を知ってしまったらもう戻れません

そこからみたら答えのない関係性は地獄なのです

だからこの理想と地獄の関係性のことを多くの人と共有したい

そんな想いで発信しています😊

 

よかったらコメントでもいいので連絡してくださいね♪

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