今回はn-Techと出会って大きく変化した私のエピソードを紹介したいと思います。
私は父母姉妹のいる5人家族で育てられました。
その中で1番影響を受けた母は愛情が深く何よりも子供のことを最優先してくれる人でした。よく遊んでくれたし何でもしてくれる人で、また兄弟みんなに平等でいつも変わらず家事をこなす人でした。
だからそんな母の影響を受けて私は人が大好きで、みんなに平等で、人のために何かをしてあげることってなんて素敵なことなんだ!って純粋でキラキラしている人になっていきました。
しかしそんな私が180°ひっくり返る事件が起こるのです。
それは12歳の時です。
ある先生との間に起こったことだったんですが、その先生は不良のような生徒には下から出て、真面目な生徒とか弱そうなものには上から強く出るような人だったんです。
そんな先生に私はその先生にとって不都合なことを言ってしまったときがありました。
私は絵に描いたような真面目な生徒だったので、その先生からしたら強く出れる格好の人間だったのでしょう。
案の定私は激しく怒られ、その後も誰もいない会議室に呼び出されて胸ぐら掴まれて怒られました。
そんな怒られ方をしたことがなかっし、当時私は背が低くかったことも拍車をかけ、私は恐怖でびっくりしてしまったのです。
あまりの恐怖心にその時が過ぎ去った後でも心のドキドキが止まらないほどだったのです。その結果強烈なショックが入り、180°人間に対する見方がひっくり返ってしまったのです。
人が好きで純粋でキラキラしていた私から、人間関係は弱肉強食、強いものが弱いものを支配する私へと。
こういう強烈なショックからくる決断でできた基準をn-Techでは無意識エンジンって言ってますが、人間はみな一度この基準ができてしまうと無意識でそれに基づいた人間関係しか作れなくなってしまいます。
私も例に漏れずこの事件をきっかけに大きく変わってしまったのです。
人間は支配する側がされる側かどちらかだ。
他人のためにしてあげることが素敵なことなどと言っていてはバカを見る。
この世界で生きるのであれば弱者を支配する強者にならなければならない。そう無意識で決断してしまったのです。
それ以来私は弱いものをいじめるようになりました。
そしてさらに私はよく観察してよく考える人だったので、人間が弱肉強食の中でなにをしているのか、それを自然に洞察していたのです。
そしてその結論は戦争です。
私の言っている戦争というのは目に見える戦争だけではありません。人間は広い意味で都合が悪くなるとそれを排除しようとします。
最悪は殺す
殺さなくても暴力で
暴力でなくとも暴言で
暴言でなくても無視で
無視せず笑顔でも内心は相手を否定して
そしてさらに、内心で相手を肯定していたとしてもそれでいいのでしょうか。
自分の愛しい人を例にイメージしてみましょう。
多くの人はちょっとやそっと都合が悪くても愛しい相手を優先できるでしょう。
でも自分の命がかかるとどうですか。理性が働いているうちは相手のために自分の命を捨てることはできるかもしれません。
ところが理性が働かないほど切迫してくるとどうでしょうか。
なにが言いたいかというと、自分という我があったらいくら互いに愛しいと言っても、相手を犠牲にする可能性が0ではないということ。だから深くみたら人間と人間が出会えばもう戦争が始まるんだということ。
確かに日常ではそんな理性が働かないほど切迫した事態は起こり得ないといえばそうです。でもそれが起こらないからといってみないふりをして愛や平和を語れるのでしょうか。
本当の意味で愛と信頼をもって人のために生きれるようになるために、唯一の突破口があるのだとしたら、それはこれだけは譲れない、これだけは侵されると都合が悪いという意識が消えること、言葉変えれば自分という我が消えること。我が消えて相手のためにいつでも喜んで死ねるくらいになることだと。
だけど、そんなことは無理だ、当時の私は思いました。
だから自分も含めて世間の人間は自分を守るために、傷つけ合い、裏切り合い、殺し合いをするくだらない生き物にしかみえなくなりました。
本当はみんな平等で他人を喜ばせるような生き方をしたかった!だけど、人間にはそれは無理だ。
だからその後の私の人生は、弱者を使ってどう自分が勝ち組になるかということが全ての行動の選択基準になってしまったのです。
私は社会人になるときすでに勝ち組になるためにビジネスをしていました。
そのビジネスが軌道にのるまでお金が必要だったので仕事をしてたのですが、なにせ行動の基準がビジネスを成功させて勝ち組になることでした。兎にも角にもビジネスを成功させること最優先で時間も労力も徹底的に一点集中させていたのです。だから会社の仕事では給料さえあればいいという考え方、そして仕事は適当にするし出勤はギリギリ、一緒に働く人とは喋らないし迷惑かける、そんな人間だったのです。それが我慢できなかった職場の人は私に暴言吐いたり私を殴ったりしてきました。朝出勤したらとりあえず周りから白い目でみられる、そんな毎日でした。
幸か不幸かその会社の社長はそんな私をクビにしなかったのです。しかしそんな寛容な社長にさえ私は、どうせ私をみて面白がってるんだろうとどこまでも捻くれた考えをしていたのです。
こんな風に12歳のときの事件をきっかけに私の人生は大きく変わってしまったのです。
そんな中で出会ったのがn-Techでした。
そのn-Techにはセミナーとかセッションとかがあるんですけど、セッション受けたときに無意識の決断が見えたんですね。
それで長期のセミナーを受けてみると、なぜ人間が弱肉強食でしか生きれないのか、支配する側かされる側かに別れざるを得ないのか、その原因が観点の問題にあるということがわかったんです。
それが理解できたら自分と自分の宇宙が綺麗に消えたんです。それで人間関係は弱肉強食だというイメージも綺麗に消えたのです。
それでその観点の問題がわかると逆に人間は素晴らしい存在なんだということ、人間こんなもんじゃない、ほんとの人間はすごいんだ!ということがよくわかったのです。
それでまた人間に対する見方が180°以上変わって人間くだらない生き物だ、から人間もっと好きにさらにひっくり返りました。
以来人との交流がまた楽しくなって大きく人間関係が変わったのです。
人間がここまで大きく変化できるなんて想像もしてなかったけど、変化してみて思うのは自分の意思どおりになるということ。
意思さえあれば変化はできる。
だから変化したい人、人間の素晴らしさを知りたい人は是非私と友達になってください。
待ってます!