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宇宙水準点

日々の気づいたこと感じたことを綴っていきます

努力は本当に努力なのか!?

努力っていうとしたらいいものとか、結果を出すためには必要とか、そんなイメージですよね

 

今日はね、ちょっと違った角度からその『努力』を考えてみたいと思います

 

今まで仕事でも勉強でもすごく頑張ったけど結果がついてこなかったり、それなりの頑張りだったけど結果が出たりとかってこと誰でもありますよね

 

なんでそんなことが起こるのんでしょうか

 

それは、努力という行動や頑張る意思のさらに深くにあなたが選択している『観点』があって、その観点にみあった現実がつくられるからです

 

無意識にどんな観点を選択するのか、それが大きく現実を左右するわけです

 

そうあるべき観点を選択していたら現実がどんなに厳しかろうとそのようになってゆくし、どんなに好条件な現実でもその観点でなければチャンスを潰してしまいます

 

まあ現実をつくっていく過程で例えば体がしんどいとか勇気ある挑戦が必要とかそんな場面があると、我慢したり恐れず踏み出したりとか必要になるので、少しの努力は必要かもしれませんが、、、

でもその少しの努力もその観点を選択してれば自然にできるものなのです

 

体が自分と思っている方からしたらこんなこと書いたら怒られるかもしれません

 

現実をつくるために必死なのにそれが自然だと!?怒怒

 

って

 

でも許してください

1つの動きから観たら実際そうなので、、、

 

一挙手一投足に観点は働きます

我慢するのも観点、勇気を振り絞るのも観点、観点がそうなら意識的には苦しいけどそれができちゃいます

 

もっと言えば逆にそうじゃない観点を選択していればどうあがいても現実は変わりません

現実をつくろうと我慢したり、勇気出して踏み出しても、無意識がそうしようとしないから意識的に苦しいだけ

 

前に書いたことがあるかもしれませんが、観点をそのままにして行動だけ変えるってやつですね、結果出ないし苦しいだけになっちゃいます

 

じゃあ観点を変化させればいいじゃないかって思うかもしれません

 

その意思がある観点を選択できてればいいかもしれませんが、そもそも観点を変化させる意思の有無にも観点が絡んできます

 

要は観点を変化させる意思がある観点を選択していれば、自然に観点は変化させていけますが、変化させる意思のない観点だったら頑張っても変わりません

 

だから全ては観点なのです

1つの動きから観たら、努力しているように見えてもそれはそうする観点だからそうしてるので自然なこと、逆もまたしかり

 

頑張ってるっていってもそれは自然なこと

頑張ってないのも自然なこと

 

体が自分と思って読んで怒らないでくださいね

それくら悟りの世界って人間の脳からみたら厳しいんです