昨日に引き続きn-Techに出会った私がどんなビジョンを語るのか共有したいと思います。
私はn-Techと出会う前は自分が日本人であることを特に意識していませんでした。
そしてまたよくあるアメリカ大好きといったような人間でもなく、民族の違いにこれといって関心のない人でした。
ところがそれがn-Techを学ぶようになって大きく変化していったのです。
どう変わっていったか、その出発はまずはセミナーを受けたときに学校では勉強しない知識を知ったことから始まりました。
日本という国が歴史上どんな思いで、どんなことをしてきて、そして今周りの国との関係性含めどういう状態なのか。75年前第二次世界大戦を境に地獄を味わい、以来真面目に一途に頑張ってきたのに自己否定するしかない悔しい状態だということ。
そしてさらにその状態を、ある出来事をきっかけにアイデンティティと繋がって感情を伴ってよく理解できたのです。
その出来事というのが祖父の死でした。
ここからはその祖父の死についてお話しようと思います。
まず祖父がどんな人だったかというと絵に描いたような真面目な人でした。
どんな風に真面目だったかというと、祖父は生前町の電気屋をしていたんですが、その仕事に向き合う姿勢が本当に真剣そのもので言葉にせずとも肌を通して直にそれが伝わってくるほどだったのです。
休みの日には息子や娘の夫にまで手伝って欲しいとお願いして仕事をしていたほどでした。
そう頼まれた2人が文句ひとつ言わず黙って手伝っていたので、そこからもどんな姿勢だったのかがよくわかると思います。
そして、そんな祖父が亡くなった葬式の時には、部屋に入り切らないほどのたくさんのお客様が来てくださって、ええ男やったと言ってました。
葬式というのはその人の人生の集大成で、どんな姿勢で生きてきたのかが如実に現れるものです。私は改めてそのときに生前あまり好きではなかった祖父のあり方を肌で感じたのです。
そんな祖父が、私が小学生の頃、戦争の話をしてくれたときに言っていたことがありました。
『わしもはよ戦争に行きたかったんや』
と。戦争中祖父は高校生くらいだったので、まだ戦場にはいけなかったのですが、日々そう意気込んでいたそうです。
私は物心つく前から祖父のそばにいたから無意識で繋がっていたんだと思いますが、祖父が亡くなったとき、そう話してた彼のアイデンティティが、日本そのものだったんだって1ミリもブレない確信がきたんです。
それ以来戦争当時『わしもはよ戦争行きたかったんや』と言っていた祖父の気持ちも自分のことのようにわかるようになりました。
体こそ戦場に行ってないけど心はアメリカと戦っていたこと、敗戦したとき、本当に真剣に向き合っていたからこその反動で、悔しいを通り越して、日本にも日本人にも自分にも失望したこともまるで自分のことのように理解できました。
だけど、祖父はそこで終わらなかったんです。次は経済だって、町の電気屋をやるんだってお店を開きました。真面目に向き合う姿勢はそのままで、日々遅くまで仕事に没入していたそうです。
だけどそんな祖父が店を畳んでから死ぬまでの間にずっと言ってたことがありました。
それが自分のことを指して
『年寄りははよ死んだらええんや』
と。いつもいつも顔を合わせればそう言っていました。そしてついにそう言いながら亡くなっていったのです。
その亡くなったときに私は思いました。
なんで真面目に一途に人のために頑張ってきた人間が自分を否定しながら死んでいくんだ!!って。
悔しかった、、
深い泉の見えないところからなにかが突き上げるように、心の奥底からそんな感情が突き上げてきたんです。
それで日本悔しいんだってよくわかりました。
真面目に頑張った結果自らを否定するしかない日本は悔しいんだって。
だから私は祖父の遺骨の前で日本は私が引き受けるんだって決断しました。JapanMissionを率先して発信していきます。
n-Techでは敗戦して個人主義に毒されてしまった日本を目覚めさせ、侍日本に戻す日本re•rise運動をやってます。それを通して全く新しい日本をつくります。
そしてそこから世界にn-Techを展開し日本から新しい時代を切り開くその活動を行なっています。興味のある方は是非一緒にやりましょう!