小学生の時、理科で人間は物体にあたって反射した光をみているって習いましたよね
それをもとにこんなことって考えたことありませんか?
物体に反射した光をみているのなら、その光を反射している物体ってなんなの?
身の回りの存在すべて、自分さえも反射した光によってみせられているものなら、自分が見ている世界は真実には一体どうなっているのか?
実際のところ、光の反射しかみていないから5感覚の目がとらえる存在は、真実には目で見えるようには存在していないということになりますね
『本当はそのようには存在しないのに、存在しているように見える』
これだけでも大きな矛盾がありますね
じゃあもっと身近に、別の角度から現実世界の矛盾を考えてみましょう
人間は観点固定しているというのは nTech では朝飯前ですね
その観点、言い換えるなら"道"に沿って人間は考え•感情•表情•言葉•行動•人間関係をやっています
どんなに些細なことも、どんなに偉大なこともすべてその"道"に沿った自然発生的な結果なのです
じゃあそこから悟りの道を案内することをイメージしてみましょう
悟りの道を案内"できる"ということは、その人にはその観点、すなわち"道"があるから"できる"ようになるのです
ところが実はそこに盲点があるのです
それがなにかというと、その"道"があるがゆえに"道"がないということがどういうことかがわからなくなってしまうのです
"道"がないということがどういうことかわからない状態で"道"、すなわち観点のことを語らざるを得なくなる
だから悟りの道を案内"できる"人という時点で説得力が下がってしまう
簡単に文字で言ってしまえば
"できる人"は"できない人"になってしまうのです
こんな風に矛盾が生じているのです
はい、ここで書くの辞めちゃってもいいんですけど、結構後味悪いんで(笑)続きはおまけで書きます
どうしたら本当に悟りの道を案内できる人になれるのかですが、、
それは、道がないとはどういうことなのか、道があるとはどういうことなのか、道がないことも、道があることも両方を語れるようになること
nTech ではよく言うけど、対称性の対のどちらも選択できるようになった次元上昇した観点に立つ必要があります
どちらか片方だけに固定されていては理解しているとはいえないのです
そして次元上昇した観点に立った時、"できる人"以上に"できる"ようになるのです