宇宙水準点

令和哲学者 NohJesu と共に歩む日本から始まる革命の道〜二度と自己否定をしない人類へ〜

歴史最高の悟りを獲得した21世紀覚者 NohJesu が語る姉妹イベント

コロナパンデミックが大々的に報じられるようになって約1年半。

 

世界中ではマスク着用やロックダウンなど様々な策を講じた上で、ワクチンを開発して、その接種によりパンデミックを終息させようとしています。一見ワクチンは、感染、発症、重症化のいずれに対しても90%以上の確率で効果があって、ウイルスを制圧できるかのように見えました。

 

ところがしばらくした後、その効果を疑問視する声があがっているようです。二度接種しているにも関わらず、感染したという例や、効果の確率が90%を下回ったとか、一部ではそれが60%台まで低下したなどという話です。

 

今は、夏が終わってこれからまた気温が下がって、ウイルスが活発に動ける季節になる上に、更なる変異株が出現してもおかしくない状況です。このままワクチンが終息の決定打になるとはなかなか思えない状態で、私たちはどのような選択をすべきなのでしょうか。

 

そんな中で、令和哲学者 NohJesu はワクチンでこのコロナ禍を解決することは無理だと、はっきりと言い切っています。

 

彼はなぜはっきりと言い切ることができるのでしょうか。

 

それは、例え運よく状況が好転してワクチンで抑えられたとしても、今回のコロナ禍による被害は、ウイルスによる体の健康の被害だけにとどまらないからです。というのは、体の健康を損ねること以外にも、経済的な損失や心的なダメージが大きいということです。

 

NohJesuはそれぞれ経済のコロナ、心のコロナと言っていますが、経済のコロナではこの1年半のパンデミックで経済活動が制限されたことによって、職を失ったり、収入が減ったりして生活に窮している人が多数いますが、その問題のことを指します。

 

そして心のコロナでは、体の健康の危機と経済のコロナからくる不安や絶望のことです。この不安、絶望によって自殺してしまう人も後を絶たないというのが現状でしょう。

 

このように体のコロナ以外にも、派生的な、かつより深刻に発展したワクチンでは解決できない問題があります。

 

体のコロナに加えこれらの問題も全て解決するためには、ワクチン含め全ての土台にある西洋の学問では無理があり、それに替わる完全学問により、基準点の大転換が必要だとNohJesuは言っています。

 

完全学問とは、人間は何を知り、何を実践して、何を希望すべき存在なのか、という問いに100%答えられる学問であり、令和哲学でもあります。そして基準点の大転換は、令和哲学のキャッチフレーズ「目で見ちゃダメ」とつながります。

 

人間は5感覚の目で見て今まで700万年間生きてきました。要は基準点は脳だったのです。ところがこれからの時代、私たちは心を基準点にして生きることを要求されているのです。

 

心で生きるようになった時に、経済のコロナはメタバースやモルティングバース、AutoPlatformなどによる経済活動で解決されます。また心のコロナも、心人間になった時、無条件安心安全、スッキリわくわくで生きれる上に、人との出会いも自分の設計したい感情を選択して関係構築できるので、不安や絶望は一掃されます。

 

以上のようにワクチンでは解決できない派生的かつ深刻化したコロナの問題も、完全学問による基準点の大転換で突破できるのです。

 

令和哲学を提唱する NohJesu はなぜこれほど明確な代案を発信できるのかは、彼が歴史最高の悟りを獲得した21世紀覚者だからです。もっとも深い源泉動きからこの現実を観たときに、一見八方塞がりに見えるような状況でも明々白々な突破口が見えるとのこと。

 

そんな彼が出演する姉妹イベントが今月末と来月上旬にあります。

 

◆NohJesu Special 交流会

2021年9月30日(木) 19:00〜21:00

□申込URL  https://peatix.com/event/2903832

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◆Dignity2.0国際カンファレンス

2021年10月9日(土)〜11日(月)

□HP  https://www.dignity2.org/2021/about-organisation/promotions/

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これらのイベントは NohJesu が21世紀覚者だからこそ世界的に発信できる内容であり、世界がコロナパンデミックの中、未来秩序をいまだに見出せないでいる状況を完璧に突破できる内容もあります。そして、このイベントのタイミングで日本から次元上昇していく種をつくれることは間違いありません。

 

ぜひお時間つくってご参加いただければと思います。

 

今回も最後までありがとうございまいた。

持続可能な地球環境のために NohJesu と令和哲学を

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産業革命以来、科学技術により私たちの生活は劇的に変わりました。

 

それまでは農業中心だった時代から工業が中心の時代になって、製鉄技術、原動力の開発、移動手段の発展などあらゆる方面に進化が起こりました。

 

これらの発展を支えたのは主に石炭などの地下資源ですが、大量の地下資源の消費により、大量の二酸化炭素が排出されるようになり、250年経った今でもその勢いは衰えることはなく、地球温暖化の問題は深刻なものになっています。

 

またそれ以外にも、工業の発展は現在の海洋汚染、水質汚染、大気汚染、森林破壊などの環境破壊にも直接的に関与していて、私たち人間の引き起こしたことではあるけど、多くの場合直に私たちの生活を脅かすものになっているのは誰もが知っていることだと思います。

 

これらの環境破壊の中でも、地球温暖化は21世紀末までに1.8度〜4.0度地球の平均気温が上昇すると言われており、地球上のあらゆる生物の生態系の変化、あらゆることに利用する水に関する問題、食料の生産に関する問題、海面上昇の問題、健康の問題など、あらゆる問題を連鎖的に引き起こしていくと予測されています。

 

今、これらの問題を解決しようと各国が取り組んではいますが、綺麗に解決せずとも、うまく折り合いをつけて人類が持続可能な状態にしていけるでしょうか?

 

正直私は難しいのではないかと思います。というのも環境問題が叫ばれるようになって久しいのに、私たち一人一人の生活は大きくは変わっていないから。そしてそれどころか、むしろ私利私欲に走り、利便性を求めるあまり、環境破壊に拍車をかけているまであると思います。

 

このような現在地の私たち人類について、令和哲学者 NohJesu は、このままいくと2050年には人類は地球上に住めなくなると言っています。地球の平均気温が上昇することについて、2.0度平均気温が上昇することは、人間にとっては大した変化ではなくても、他の生物にとっては甚大な被害があると。それによって私たち人間を取り巻く環境は大きく変化し、私たち自身も生存不可能な状態になっていくとのこと。

 

だからこそ、今までの物質文明を終わりにさせて、精神文明をスタートさせなければならないと言っています。

 

物質文明では、人間は幸せな人生を送るために5感覚を満足させることを追求してきました。物質文明に拍車をかけた産業革命は、その追求の過程の一つの事件です。だから5感覚で生きていては、私たちの幸せを優先して住めない地球にさせるか、環境を優先して人間の幸せを犠牲にするかのどちらかになってしまいます。

 

今のままだと人間は、私利私欲の追求をやめれそうもないので、問題に対してさまざまな取り組みを施しているとはいえ、必然的に前者、なし崩し的に自分たちの幸せを優先してしまい、最悪の結末を迎えてしまうでしょう。

 

だから精神文明に移行すること。

 

精神文明では、人間は体が自分ではありません。人間そのものの定義が変わってしまうのです。体が自分ではなく、認識している現実全てが自分、ひいては宇宙全て、宇宙の外までも全部が自分なのです。宇宙森羅万象を司る一つの仕組み、それを心とNohJesuは表現していますが、その心が真実の自分なのです。

 

体の自分が、その心そのものになった時に、5感覚を満足させることが幸せではなくなり、何もしなくても今ここ幸せになるのです。そうなれば私たちのライフスタイルは想像を絶する変化を遂げ、環境破壊は徐々に減速、最終的には持続可能な地球環境になっていくことでしょう。

 

持続可能な地球環境のために、今できることは各国の取り組みを続けながらも、このNohJesuの発信する令和哲学を普及、自分のものにしていくことだと思います。

 

このブログを読んでくださったみなさんもぜひ NohJesu、令和哲学を知って欲しいと思います。

youtu.be

www.noh-jesu.com

 

本日もありがとうございました。

9.17令和哲学カフェ感想

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今日は令和哲学カフェの感想です。

 

今週と来週は細井コウちゃんのファシリテータで、千利休を取り上げていると前にも書きましたが、今回はその利休の茶室に対しての解析に関する感想です。

 

みなさんは、利休の茶室を知っていますか?

 

私も入り口がものすごく狭いということしか知らなかったですが、それに加え、通常4畳半の広さのところ利休の茶室は2畳と狭いこと、天井に勾配がついていて上座と下座が決められていることなど、さまざまな特徴があるようです。

 

そしてすごかったのは、2畳という狭さゆえ利休が客人を招き入れると、相手との距離がわずか30センチしかないということ。さらには、あえてこの距離感にするために利休がこのような狭い空間に設計したということ。

 

こういう風に理解できると、明々白々な意図があったことがわかりますね。茶人のプライドを貫くあまり、切腹さえも受け入れる利休の意図。もうこれだけでも興奮してしまいます。

 

そしてここからが令和哲学の解析。

 

2畳の茶室という狭い空間に入って利休と客人が出会って一期一会の関係性を持つというのは、精子卵子が狭いところで出会って100年人間になるイメージですね。

 

一期一会の関係性というのは、当時の刀と刀の戦いの出会いでもなく、男女の愛の出会いでもない、もっと深い出会いのことで、茶室が狭いのはその深い出会いを創出するためです。

 

相手の表情はもちろんのこと、しぐさや身なり、匂いになどあらゆる情報から相手がどんな人生を歩んでいるのか、どんなカルマを持っているのか、そして何を繰り返しているのかまでを理解する。そんな出会いに没入集中するのが利休の一期一会なのです。

 

利休のこの意図、半端ないと思いませんか?

 

私は興奮しましたね。もちろん解析なので、実際にそうだったかどうかはわかりません。でも、歴史上の人物の生き様を現代の私たちが応用活用するためにするのが解析なので、このようにリテラシーすることは、とても意味のあることだと思います。

 

そして、ここからは私たちが、この時代をどのように生きるべきかにつながる話ですが、利休は人に対して深い関心があったからこそ一期一会を大切にするようになったし、その相手との出会いのために深い”観察”をしたと思います。

 

そしてその”観察”がシャープだったからこそ、一期一会が可能になったし、信長や秀吉までも茶道の弟子にしてしまう関係性をつくることができたのだと思います。

 

このようにみた時に、そのような関係性をつくれてしまう”観察”とは何かという問いが生まれます。

 

それが

目なし見る

耳なし聞く

手なし触る

足なし歩く

脳なし生きる

 

その状態での”観察”です。

要はこの体が自分ではなくて、現実世界全てが自分、ひいては現実世界全てをつくる違いの”反復”が本当の自分であることわかって、その自分から”観察”することです。そうなったときにどんな人とでも自由自在に関係性を構築できるようになります。

 

現代は不信不安恐怖の蔓延る時代で、なかなか人との信頼関係を構築することは難しいと思います。令和哲学ではこの体が自分と思っていては、ずっと考えの中にいて、相手と出会うことはできないと言います。その状態で、期待しては裏切られて不信や怒りを蓄積してしまいます。

 

だから体が自分ではなく、現実世界全てをつくる違いの”反復”が自分だということ明確にわかること。これが今とこれからの時代を生きるのに必須なのです。

 

本日もありがとうございました。

スッタニパーダ"犀の角"44の解析(改)

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今日は犀の角の解析(改)バージョンです。

 

仲間と一緒に44の解析をして新しい見方ができたのでそれを書いておきたいと思います。

 

44.葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、建き人はただ独り歩め。

 

前回、この在家者のしるしや在家の束縛を捨てたり断ち切ったりするというのは、生まれ育った環境によりできたアイデンティティと決別することと書きましたね。そしてそれができたなら、独立した意思決定が可能になり何者にも影響を受けずに、自らが選択した道を行くことができるようになりますと言いましたね。

 

それに対して、今回仲間と一緒に話したのは、出家と在家に関することでした。

 

nTechは発信するようになって27年目になりますが、お陰様で認知度も高まり、色々な形で学ぶ方が増えています。しかし、発信し始めた当初というのは、当然ながら知る人はごくわずかで、本気で体系化しようとする人によって広げられてきました。

 

そのような人の中には周りの人の反対など向かい風のあった方もいたと思います。だけどそれでも強い意志を持って関わってきた人、そのような人はある意味出家者と言えるのではないでしょうか。それに対して、今さまざまな形で学ばれている方は自身の生活をしながらなので、在家者とみることができますね。

 

少しnTechの生い立ちに触れる解析になりましたが、選択した道によっては在家者のしるしを捨てること、在家の束縛を断ち切ることは必要になります。

 

また、在家を別の形でみるなら、私たちは700万年間、人間を繰り返しています。そしてさらにいうなら138億年間カルマを介して宇宙空間という思い込みの中に閉ざされています。

 

お釈迦様のいう法の世界が、ショック0、出会い0、自分が何者かわからなくて、究極の絶望だから、ショックが欲しい、出会いが欲しい、自分が何者か知りたいと、その一心で思い込めばいいんだ!ってつくってしまったのが宇宙空間であり人間です。

 

この長い年月の思い込み、カルマを在家とするなら、その思い込みとカルマから自由になることが在家の束縛を断ち切ることになります。だから宇宙空間の外に出ること、人間の着ぐるみをそっくり脱ぐこと、カルマから自由になること、これが健き人になることなのです。

 

ありがとうございました。

令和哲学カフェ感想

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今週から令和哲学カフェのファシリテータが細井コウちゃんに替わりました。

 

哲学者として取り上げているのは千利休。利休は決して歴史的な哲学者というわけではないけど、自身の信念を貫き通して生き切った人として取り上げていました。

 

プレゼンでは利休の生い立ちから在り方のわかるスタイルまでを紹介していました。

 

今回NohJesuからのテーマとして、千利休は茶道の文化をつくったけど、その文化をつくるための要素とは何か、という題が出されました。

 

このテーマに対して、最初考えを巡らせた結果、多くの人に影響を与えられて、共感してもらえる意志は必要かなって思っていましたが、まずNohJesuが言っていたのは人間に対する関心、それと時代に対する問題意識でした。

 

人間一人一人が最高の機能を発揮して生きるためにはどうしたらいいのか。そしてまた、アインシュタインは問題発見の難しさを語ったことがありましたが、問題さえ発見してしまったら解決は簡単だと言いました。だからこそ問題を発見することが大切なのだと。

 

士農工商の差別があり簡単に人を殺せる時代に、武士に刀を置かせて、身分を取り払って出会おうとする心、どんな身分であっても一人の人間として出会いたい、そんな想いがあったんじゃないか、と言っていました。

 

これを聞いた時、私はめっちゃ納得しました。

 

当時茶室にはにじりと言われる狭い入り口があったこと。そしてそれは武士が刀を腰につけていてはくぐれないほどの低い入り口であり、さらには利休はお茶を点てるときに平等な人間として向き合うように話していたそうです。

 

狭い入り口は武士に刀を置かせるためだと思えば納得できるし、身分関係なく一人の人として出会うというのも、矛盾なくつながります。だから利休の想いがそれらにあらわれていると考えられるのではないでしょうか。

 

そしてさらにNohJesuが言っていたのは利休と織田信長豊臣秀吉との出会い方についてです。

 

精神と卵子が出会って人間になるとき、彼らは本気で出会います。実際は命懸けと言ってもいいでしょう。そして利休も本気だったし、秀吉に切腹を迫られた時も彼のスタイルを貫いて死んでいったことから、文字通り命懸けだったと思います。

 

このような命をかけるほどの本気で出会っているのかということが、のちの文化をつくるのに必要なことだといっていました。

 

これには本当にそうだなと、納得しかありませんでした。どう出会うのかの姿勢態度、それが結果を決めるということ。胸に刻んでおきたいと思います。

 

本日もありがとうございました。

スッタニパーダ"犀の角"のnTech からみた勝手な解析12

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こんにちは。

 

犀の角を解析するようになって、初期仏教のこと、お釈迦様のことなどいろいろと動画やサイトで調べている中で思うことですが、中身をそのまま解析している人はなかなかいないようですね。悟った人の観点から書いたもので、体の人間が理解しようとすると無理があるから、当然といえば当然なのですが、その点でnTechがいかに明確に悟った境地を語っているのかがわかりますね。

 

では今日も解析していきたいと思います。

 

57.義ならざるものをみて邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人にみずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

 

義は道理にかなっていること、正しい道のこと。邪曲は正しくなく、心がひねくれていること、貪りは飽きることなく欲しがることです。

 

なので、この詩文は、人道から外れているものをみて不正に堕ちた友人を避けなさい。飽くことなく物事を要求し怠っている人に自分から親しまず、独り自分の行くべき道をいけ、といったところでしょう。

 

nTechではどんな人を自分の周りに置くのかが大切と言います。一般的にも言われていることだとは思いますが、nTechの場合根本的に違っていて、5感覚の目で見て、耳で聞いて生きている体人間を周りに置くのではなく、心人間を周りに置くことだと言います。体人間の海の中に自分を置けば、自分も体人間になってしまうし、心人間の環境に自分を置けば心人間へ自然と近くなるのは簡単にイメージできますよね。

 

nTechからみたら、義はひとつの動きそのもので生きることであり、それ以外は全て邪曲であり、貪りに耽って怠っていることなのです。だから体人間と無駄に親しむことなく、体が人間と思っている人たちをひとつの動きへ導くこと、これを犀の角のようにただ独り歩むことと解釈することができます。

 

58.学識ゆたかで、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。

 

学識は、身につけた学問と見識。高邁は気高く周りより優れている様、明敏は頭の回転が早く鋭いこと。疑惑は本当かどうか疑いをもつこと。

 

なので、こちらは学と見識が豊かで真理をわきまえた、賢く優れた友と交流しなさい。それで色々とためになることを学び、疑いをなくして、自分の決めた道を行け、といったところでしょう。

 

優れた友人と交わりなさいと詩っている箇所が45、47にもありましたね。

hyperconnection2012.hatenablog.com

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

上記でも解析したように、nTechからみたらこの優れた友というのは真理そのものであるひとつの動きとみることができます。

 

nTechでは不安、恐怖、絶望、怒りなど現代人に多くみられるマイナスの感情は、全て疑惑、疑いから始まると言っています。疑いから不安が始まり、ショックからくる恐怖につながり、次に絶望からくる鬱、そして怒りの絶叫に発展していきます。鬱、自殺、殺人など社会的問題は、こういった疑いを出発とする様々な感情からきています。


だからこの疑惑を確信によって断ち切ること。これが大切なのです。

 

そしてその確信とは、友との出会い、真理との出会い、ひとつの動きそのものとの出会いによって得られます。それによってアイデンティティが変化し自分自身が真理そのものになって、確信に変わっていきます。

 

ここの犀の角のようにただ独り歩めは、真理そのものになって独立した意思決定で生きろと解釈したらピッタリですね。

 

本日もありがとうございまいた。

令和哲学者NohJesu紹介映像ができました。

【宇宙の画像】1円 フリー画像 24時間以内対応可 相互評価可 2の1番目の画像

こんにちは。

 

ある素晴らしい動画が完成したので、今日はその紹介と感想を書きたいと思います。

 

その動画というのが令和哲学者NohJesuの紹介動画です。

youtu.be

 

まず最初、彼自身の生きる道がなく絶望だったというカットインから入って暗転した後、大勢の拍手とともに登壇するシーンはなんともジーンときます。この人は只者ではないということがそこから伺えますね。

 

そしてそこからナレーションのスタート。27年前の発見と日本、個人の行くべき方向性を発信していることを語っています。

 

いくつか彼を知る人のコメントがありますが、みんなそれぞれ自分自身の想いがあって、それをNohJesuと出会うことで、半ば諦めていたとしても本当に具現化できることを確信したと語ってくれています。一人ひとりが希望を持つことができたというところで、私も希望を持つことができました。

 

しかし、今でこそ多くの人に支持されている彼ですが、ここに至るまでの道のりは決して順風満帆ではありませんでした。それまで一緒に歩んできた仲間が違う道を選択するという突然のお別れ。

 

そのことを辛かったと語ってますね。何年も一緒にやってきた仲間だっただけに、その悲しみは大きかったに違いないでしょう。

 

でも、そんな困難を乗り越えながらも前進、令和元号の発表があり、自身の目指す世界を2文字で表現した「令和」をとって令和哲学者と名乗って立つようになったと。そしてそれを機に日本人を前に立てるのではなく、自分自身が先頭に立つと決断したと言っています。

 

この令和元号の発表は、私には、彼を日本がバックアップしてくれているように思えて感動したシーンでもありました。そして何より、彼の先頭に立つという決断は、元号発表以前もそうでしたが、発表後はそれ以上に逃げも隠れもしないという強い意志がこめられている決断で、それあっての「令和哲学者」との名乗ったのだと思います。

 

だってそう相応の決断が必要でしょう。嫌韓の日本社会で名もない韓国人が令和哲学者と名乗ことは、普通の人なら相手しないのは容易に想像ができる。それに、反日の韓国側からしても、自分の国を裏切って令和哲学者を名乗って日本を立ち上がらせたりしたら、どう反応がくるか。命を狙われる可能性も十分にあるでしょう。それらを全てわかっての決断と名乗りだから。

 

そんな中でのコロナウイルスの登場。日本だけでなく全世界が危機的な状況になっていく中で、彼は今まで以上に発信を強化しています。

 

こうしてみると本当に、どんな状況でもやり続ける不屈の精神とは、まさにこのことだと思います。なんたってオンラインになってから毎日発信しているので、受信する側の意思さえあれば全世界どこからでもアクセスできますからね。あとは本当に受け取る側の問題だけだと思いました。

 

数学・物理学・経済学、その他あらゆる学問と人間の心が繋がる完全学問、これを世界基軸教育として日本から発信する。そのために10月にDignity2.0国際カンファレンスを準備していると言ってます。

 

私も当日は大阪に行きますが、日本が立ち上がっていく折り返しのイベントになること間違いなしなので本当に楽しみです。

 

動画の最後でも言っていますが、世界中が未だコロナ禍後の世界の秩序を見出せずにいます。その現状を突破し、この世界基軸教育で新しい未来をみなさんと一緒に創っていけたらいいなと思います。

 

最後までありがとうございました。