宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

ご訪問ありがとうございます。
岸本真吾と申します。


私は現在、世界基軸教育を日本から世界に発信しながら、世界人類78億人がひとつになって鬱・自殺・殺人・戦争のない全人類が愛と信頼で生きれる地球文明を創る仕事をしています。


このブログはその世界基軸教育を世界に発信する過程で書いているものですが、このページではなぜ私がその世界基軸教育を発信するに至ったのか、その経緯について書いていきたいと思います。


■■■ 1.幼少期から子供のころの問題意識 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


私は子供の頃、学校や社会、世界の人間に対して子供ながらに真剣に考えていたことがありました。それはなぜ人間は互いに傷付け合って刺し合って、愛と信頼をもってひとつになれないのかということでした。


例えば学校では周りを見渡せば、暴力を振るう人、振われる人、それを見て見ぬふりをする人、そしてそもそも関心のない人など、たったクラス40人の仲間達でさえバラバラの状態だと思っていました。そして、先生たち大人でさえも感情的になったり、先生同士の不和など関係性の摩擦衝突にフォーカスしていました。


また、社会においては例えば国会中継などを見ていると、国のトップの人たち同士が言い争っていたりしていました。当時、子供の私にとって衝撃的だったのは、争いの結果、コップの水を相手にかけていた人がいたことです。大の大人が公衆の面前で、他人に水をかけるというのは一体どういうことなのかと思ったことを覚えています。


そして世界においては終わらない戦争です。国同士が互いに自分の利益を確保するためにけん制し合い、度を過ぎると戦争に発展、殺し合いが始まります。


このように人間は子供も大人も個人も組織も摩擦衝突を繰り返して、愛や信頼の余地などはないと私は考えていました。どうしたら私たち人類は本当に愛と信頼をもって生きることができるのか。このことについて子供ながらにさまざまな考えを巡らせた結果、この問題を解決するには人間が人間でなくなる必要があるという結論に至りました。


そして、人間が人間でなくなることを具現化するなどということは、だいぶ無理があると当時の私は考え、それ以上考えることをやめてしまいました。以降、「人類の未来は明るくない、だから少なくとも目の前の日常を楽しもう」と思うようになりました。


■■■ 2.祖父母の他界 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


私の祖父は、大正15年生まれで第二次世界大戦のころは20歳に満たない青年でした。当時そのくらいの歳だったということは、誰もが知る通り、次々に戦場の最前線に出て戦う若者世代の人間だったのです。


しかし、祖父は体に問題を抱えていたために戦場へは行けず、戦況を家で見守るしかできなかったそうです。生前、祖父から聞いた話ですが、自分も早く戦争に行きたいと家にいながら意気込んでいたとのことでした。


時が過ぎ、祖父が戦場へ行かないまま終戦を迎え、日本は高度経済成長の時代を迎えます。


祖父はその波に乗って、村の電気屋を始めました。時代が時代だったので飛ぶように商品が売れ、孫世代の私にまでその恩恵が回ってくるほど、経済的に何不自由ない生活をしていました。


しかし問題は、そんな彼がその電気屋をたたんでから始まったのです。


店を閉じて時間が余るようになった祖父は、当時高校生くらいだった私のところへ来ては、しきりに「年寄りははよ(早く)死んだらええんや」と言うようになったのです。しかもそれを、死んだ魚のような目をしながら無気力に、しかし自己否定の部分だけは確信した雰囲気で言うのです。本当に暇さえあればそれを繰り返していたので、正直なところ、私はそんな祖父を快く思っていませんでした。


そんな風にしながら時は過ぎ、祖父は風邪をこじらせたと同時に衰弱死という形で亡くなりました。お葬式では、地元の葬儀場で一番大きな部屋にも入りきれないほどの方が参列に来てくださりました。葬式というのはその人の人生の集大成であり、生き様、人格が如実に現れる場でもあるので、祖父はそれだけの人生を歩んだんだなと、当時の私は特に深くも考えずに思っていました。


そして時が過ぎ、今度は祖母が亡くなる時のことです。


祖父母に対して特に何も感じていなかった私ですが、物心のつく前からあった彼らの創る環境が完全に消えるその瞬間になって、私は初めて祖父の生前の生きる姿勢態度を、雷に打たれたようなショックとともに理解したのです。


電気屋をしていたときの、彼の人様に向き合う真摯な姿勢、そして自身の人生に向き合う真剣な態度。それは多くの人から厚い信頼と人望を獲得するに値するものだったということ。その証に、一般企業に勤める会社員である彼の娘の夫でさえも、休みの日には祖父の仕事を手伝うほどだったのです。彼の葬式であれだけの参列があったことは当然のことだと思うようになりました。


そして、自らを否定しながら死んでいったことに対して、「断じてそんな風にして死ななければならない人間ではない!!」という激しい想いが込み上げてきたのです。


その瞬間の感覚は忘れもしない、普段は絶対に気がつかない私の内側の深いところで何かが静かに重く、しかしゆっくりと確実に動き始めたのです。その得体の知れない力と同時に激しい怒りと悔しさが溢れ出し涙が頬を伝ったのです。


■■■ 3.日本の現在地の正しい理解 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


ここからの話は、祖父が自己否定しながら亡くなっていった原因とつながる内容です。人生に対して真摯かつ真剣な姿勢態度で向き合っていたのに、なぜ否定しながら死んでいったのか。その裏には第二次世界大戦後のアメリカの日本精神骨抜き政策があったのです。


これはアメリカの政策のうちですが、私たち日本人は義務教育の歴史の授業では近代史を教えられていません。だから第二次世界大戦後の日本がどのようにされてきたのかを、私は知りませんでした。しかし後にその真実を知ることになったのです。


日本は鎌倉幕府以降、700年に及ぶ封建社会を開国、明治維新という形で終わらせました。刀をもって走り回っていた時代から、西洋のオリジナルを超える飛行機、空母などをつくってしまうような凄まじい近代化を遂げたのです。そしてその上で、アジアの近代化はアジアでやると大東亜共栄圏を唱えました。


これにジェラシーした西洋は、日本にその領土を手放すことを要求しましたが、プライドの高い日本はそれを受け入れず、最後には第二次世界大戦へと発展していったのです。西洋と比べたら日本は極東の小さな島国だったにもかかわらず、そのポテンシャルは凄まじく、全世界を相手に戦ったと言っても過言ではなかったと思います。それはひとえに700年間培ったサムライ精神が可能にしていたことでしょう。


しかしそうは言っても、さすがに世界の複数の大国たちを相手にするのは分が悪く、徐々に劣勢になり、最後は日本本土の空襲、原子爆弾投下などを経て、世間的には敗戦に追い込まれました。


そしてその後、日本のポテンシャルパワーを恐れたアメリカは、日本の精神を破壊するために、ある政策を通して"自分たちはいけないことをしたんだ"という強烈な自己否定と"二度と熱くなるものか"という決断を日本人の無意識に擦り込んだのです。それが東京裁判(犯罪国家として認めさせる判決)やTV爆弾投下(テレビCMなどで無意識にアメリカすごい、日本はダメだのイメージを植え付ける施策)だったのです。


結果、その政策は見事に成功して、日本は国をあげて自己否定をするようになったのです。


私はこの歴史を知った最初のうちは、そうだったのかと浅い知識のレベルでしか理解をしていませんでした。しかし、このことを無意識深くから強烈な感情を伴って理解した時があったのです。それがまさに祖父の生きる姿勢と矛盾した、自己否定をしながらの死だったのです。


明治維新を成功させ、世界にその存在感を知らしめた日本人の最高のプライドと、そのプライドを徹底的に潰されて自分の存在自体を否定をするようになった見るも無惨なあの姿。


それが分かった時に心の底から思ったのです。


「"二度と"自己否定をさせない!」


個人も日本も、"二度と"自己否定させない。内側で無意識に動き始めた得体の知れない力の正体は、この決断だったのです。


■■■ 4.世界基軸教育 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


大前提、世界基軸教育では「人間は誰1人として1分1秒も他の人と同じ現実を見ていない」と言っています。だから他人とわかり合うことは100%不可能だし、個人も組織も摩擦衝突が絶えないのです。このことを観点の問題と定義しています。


そんな現在地にいる人類の秩序を、私たちはどのようにしてつくってきたのでしょうか。


大昔、王が国を治めていた全体主義の時代は、その王の見ている現実を基準にしていうことを聞かなければ殺すというような暴力によって秩序をつくってきました。その秩序の中では、個人に引っ越しや結婚の自由さえもありません。王含め人々は、自らの信仰する宗教の神を崇拝しながら生きる時代でした。


その時代から、自分たちも王のように生きたいと願う人たちが、フランス革命を起こしました。それによって王は倒され全体主義の時代が終わり、民主主義の時代が始まったのです。


この民主主義の時代は、全体主義の時代のように殺されることありません。しかし流れる時代の中で、一部の人たちが権力を握ってお金によって世界を支配するようになりました。これは財力による秩序と言えるでしょう。


この秩序の中では、人々はお金を獲得しなければ衣食住を満足できず生きていくことが難しくなります。ある程度お金を獲得できたとしても、そのお金の許す範囲の中でしか自由に生きることはできない時代です。またこの時代は科学の進化発展がめざましく、科学技術により身の回りがどんどん便利になっていった時代でもあります。そして、私たちの生きる今現在ももれなくこの財力による秩序と科学技術の時代です。


歴史を振り返ってみると、私たち人類は、「誰1人として1分1秒も他の人と同じ現実を見ていない」という観点の問題を抱えた人間たちを、このような暴力や財力による秩序によって無理矢理まとめてきたのです。


そして問題は、今現在、さまざまな問題の露呈によってその財力による秩序の維持が難しくなっているということです。


個人ではさまざまな理由により鬱・自殺・殺人・生きるモチベーションの低下などの問題が後を絶たないどころか増加傾向にあります。そしてそれが無視できない状態にあるのは多くの人の目に明らかです。組織においても、生き残りを掛けた激しい戦いが繰り広げられ、負けた集団は絶望の谷に転落し、かろうじて生き残ったとしても崖っぷちに立たされる状態です。このまま置いておけば貧富の格差はさらに激しくなっていくでしょう。


最近ニュースであった小田急線殺傷事件や京王線殺傷事件、九州新幹線放火未遂事件はこのような社会秩序に対する我慢の限界と見ることができるのではないでしょうか。


また、科学技術の進化発展によって人間の何十倍も賢いAIが普及し、今まで人間がしていた仕事がどんどんAIにとって変わっています。その中で言われているのが人間の存在意義の消失、尊厳の危機です。人間とは何なのか、どう生きるべきなのかを私たちは問われているのだと思います。


そしてここ数年は、その状況に追い討ちをかけるかのように、コロナパンデミックという未曾有の事件が勃発しています。


日本においては政府のお金を使わないと生き残れない個人、家庭、企業が続出し、行き詰まるのは時間の問題というような状況です。最先端の科学技術を集結させて生み出したワクチンでさえ、接種すべきか否かで意見が分かれたり、このパンデミックを終息させるには力不足であることは否めません。私たち人類は未だポストコロナの確固たる突破口を見つけられずにいるのです。


そしてさらに、このコロナパンデミックをクリアできたとしても、このままいくと2050年には私たち人類は地球上に住めなくなるとも言われています。それは主に地球温暖化による気候変動からくるもので、私たち人類が自分たち中心に利益を追求した結果と言えるでしょう。


このように問題が山積みの状態の中で、今世界で影響力を持っているアメリカ、中国がやっていることは半導体を巡った米中覇権戦争です。軍事戦争でないにしろ、世界の危機が迫る中でも経済の戦争が常に常に起こっているのです。


私たち人類は、このような時代をどのように乗り越えていくべきなのでしょうか。


これらの問題一つ一つにフォーカスをしていては、全てを解決することは不可能に近いでしょう。だからここは私たち人類が今まで何をしてきたのか出発に戻って俯瞰してみる必要があるのです。


暴力、財力による秩序をつくらなければならなかった原因、それは「誰1人として1分1秒も他の人と同じ現実を見ていない」という観点の問題に対処するためでした。そして、この問題を解決しようと頑張ってきたのが人類歴史なのだということ。またさらに時代に合わせてそのやり方を変えてきたけど、実はその方法が間違っていたのだということを認識することです。


その上で「誰1人として1分1秒も他の人と同じ現実を見ていない」観点の問題をどのように正しく解決すべきか考えなければなりません。


そこで世界基軸教育(令和哲学、nTech)なのです。


この教育の根幹にあるのは、真理であり心半導体とも呼ばれるものです。心半導体と呼ばれる所以は、半導体が0,1の組み合わせで全てを制御しているように、相対世界と絶対世界(真理)の関係性を説明するイメージ言語もたった2つの文字の組み合わせだからです。


私たち人間の見ている世界は相対世界であり、無限に境界線のある世界です。物理学と最先端の理論物理学では、この世界の構成要素は分子であり、原子であり、素粒子であり、ヒモであり、さらには膜であると結論が導き出されています。そして、世界がこの膜まで解けてしまうと境界線はたった1つだけの世界になるのです。


そして、実は人類が進化発展させてきた科学の最先端はこの膜の実在を語るところまでで、その先はわかっていません。


しかしながら、世界基軸教育はその膜のずっと先である無境界線の世界まで語っいて、実は私たち人間含めありとあらゆる全ての存在が、この無境界線の絶対世界から生まれていることも説明しています。だから人間本来のIDはこの無境界線の絶対世界であり、私たちが思う体の人間は勝手な思い込みによるアバターに過ぎないのです。


そして、そのアバター人間は一人一人が自分にしか見れない、他の人とは絶対に共有できないカイコの繭のような独自の世界の中に住んでいるのです。これが「誰1人として1分1秒も他の人と同じ現実を見ていない」という所以です。


だからこの観点の問題は、私たち人間が本来のIDである無境界線の絶対世界に戻ることで正しく解決することができるのです。この世界基軸教育の詳しい内容は令和哲学者NohJesuが各イベント、セミナーで案内しています。


それでは次に、この人類史上最大かつ最後の問題である観点の問題と、その解決策である世界基軸教育を、どこがトリガーになって全世界に広げていくのでしょうか。


それが日本なのです。


でも今の日本をみると、そんな力はどこにもないと思う人が大勢いるかもしれません。


それもそのはずです。第二次世界大戦以降、経済力で一時は世界第二位まで登り詰めた日本ですが、今はもうその見る影はほぼないと言っても過言ではないからです。そして国を支える未来産業はなく、かつアメリカの日本精神骨抜き政策により、自己否定と”二度と熱くなるものか”の決断が未だに根深く残っているからです。


ではこの状態の日本がどのようにして世界でリーダーシップを発揮していくのでしょうか。


それは日本人一人一人が変わることです。その自己否定と熱くならないという決断も、実は観点の問題の一部であり、骨抜き政策のあった時に”自分たちはダメなんだ”、”絶対に熱くならないぞ”というカイコの繭の中に自ら入ることを選択した結果なのです。


だから世界基軸教育の案内する無境界線の本来の人間IDに戻ること。そうすることでその決断からも自由になることができるのです。そして日本がその決断から自由になったなら、全世界を教育で制圧できるポテンシャルパワーを発揮していくことができるのです。


どうしたら人類が愛と信頼で一つになることができるのかという子供の頃の問題意識。
個人も日本も自己否定の根深い決断をしているという事実。
そして、二度と自己否定をさせないという決断。


これらの問題意識をよりシャープにさせ、かつ明確に解決させることができるコンテンツが世界基軸教育なのです。


そしてこのように問題を解決できることは素晴らしいことなのですが、何よりもその境界線が無限大の世界と、ひとつの世界と、無境界線の世界を自由に往来できる世界、これが本当に"何よりも"素晴らしいのです。この素晴らしさを共有したい想いで、私はこの世界基軸教育を人生全てをかけて世界に発信しています。


このブログではこの世界基軸教育(令和哲学、nTech)についてさまざまな角度から書いていくので、ぜひお楽しみいただければと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。


岸本真吾

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