朝一本の電話が実家からあった
母『おばあちゃん、調子悪なってもう先長くないねんて』
予測はしていたけれどこの時が来たか
そう思うと同時に2年前の祖父の他界を思い出す
祖父は戦時中を生きて、戦後高度経済成長の時代に祖母と2人で村の電気屋さんを経営していた
三種の神器とかいわれた電化製品の出回る時代の波に乗っていたので、まあある程度の成功者だったと思う
真面目にコツコツと働いていたので村の人たちの信頼も厚かった
その証拠に祖父の葬式には式場の一番大きな部屋にも入りきれないくらいの人の列ができるほどだった
だけどそんな祖父が電気屋を畳んでから亡くなるまでに幾度となく言っていたことがあった
『年寄りははよ死んだらええんや』
当時はまたゆっとんのか!って不快だったけど、今思えば、信頼も人望もあって真面目にやってきた人が言う言葉ではない
なにがあってそんな風になっているのだろうか
少し考えればすぐ答えはきた
"敗戦"だ
電気屋をやっていたころに、戦時中わしもはよ戦争に行きたかったんや、と言っていたことがあった
そう言った祖父のあり方からしてきっと戦場には赴かなかったが気持ちは日本と1つ、アイデンティティは日本だったのだ
だから次々に劣勢になってゆき、果ては本土空襲、原爆と徹底的にやられたときの挫折は大変なものだったと思う
それでその後のアメリカの政策によりきれいに自己否定が入ったのだと思う
2017年に入ってからそんなことに気がついたので、祖父が亡くなったときは全くこんな風に思わなかったけど、今日の朝の電話を切った後でこれらのことが心の深くから突き上げるように意識化されてきた
戦後を中心に最前線で日本に貢献してきた祖父母がなぜ自己否定しながら亡くならなければならないのか!
悔しい
悔しさと悲しさで涙が出る
今までこんな感情出てきたことなかったのに
もしかしたら日本をなんとかしてくれっていうメッセージなのかもしれない
こんな生き方は私たちの世代でもう終わりにしなければならない
私たちが立ち上がらなければならない