先週末、法事で実家に帰った時のこと
私には高度経済成長期に町の電気屋をしていた祖父母がいました
まあ2年前に祖父、今年5月末に祖母が亡くなったのですが
その祖母の法事でのこと
帰宅すると早々に祖母のところに行って写真の前に座りました
物心ついた頃には祖父母の海の中にいたので私の根は100%祖父母からきたもの
だからそんな祖父母がいなくなるとなにも感じずにはいられないんですね
自分の根っこがなくなった感じ、今までの自分が消失した感じ
虚無感といえばそれなりに当てはまるのかもしれない
だけど、『それなり』と言うだけあってただ虚無なだけではない
とうのは同時に感じることがあるから
それは一つの時代が終わったということ
その感覚がフツフツと心の底から湧いてくる
祖父は大正生まれ、戦前に生を受け、太平洋戦争の間10代後半だったと聞く
昔祖父から戦争の話を聞いたことがあるが、そのとき自分も早く戦争に行きたかったそうだ
今から思えばまさに『日本人』だったのだろう
だけれどまもなく終戦、戦後復興を経て高度経済成長期へと行くわけだが、敗戦の結果アメリカの影響をもろに受けることになる
そんな中で町の電気屋をやっていたわけだ
祖父は真面目だった
来る日も来る日も一生懸命働いたそうだ
祖母がそう言っていた
その証拠に2年前の祖父の葬式には一番大きな部屋にも入りきれない数の人が来てくれた
信頼と人望があったのだろう
そしてその2年後、祖母も後を追った
一つの時代が終わった、と言ったけれど、それは祖父母の時代、もっといえばアメリカの影響を受ける時代が終わったのだということ
根っこがなくなって、というのは根っこが切れて、とも表現できる
私は過去の私から自由になった
祖父母に縛られ(悪い意味ではなく)ていた状態=アメリカに縛られていた状態から解き放たれた、そんな感じがするのだ
今なら自分の足で歩ける
どこへでもいける
電気屋をたたんでから祖父がよく言っていたことがある
それは、年寄りははよ死んだらええ、だ
来る日も来る日も町の人に貢献して信頼と人望を獲得してきた人間が言う言葉か!
世界経済を席巻するほどの日本を最先端で担ってきた人間が言う言葉か!
私は悔しい!
完全にアメリカにやられている
だから祖母が亡くなった5月末、私は決断した!
2度と自己否定できない日本を創る!と
根っこが切れて自由になった私はどこへ向かうのか
それは新しい日本を創る道だ!
2度と自己否定できない、若者が心の底から私は人生これにかける!と胸張っていえる日本にする!
その決断を改めて祖母の前でする時間になった