前回、太平洋戦争敗戦をきっかけに日本が考えの走る道を失ったことと西洋の考えの走る道が限界であることを書きました
今回はその認識技術の新しい考えの走る道について書こうと思います
認識技術では宗教を信じる時代から学術を学ぶ時代を経て、今は美学実践の時代に移っているといっています
美学実践では目標計画の前に1を明確に規定する必要があります
なぜかというとすべての論理展開は出発の1をどう規定するかによってすべてが左右されるからです
ではなぜ1の規定から論理展開が始まらなければいけないのでしょうか
人間は存在が何からできているかを理解するために、存在を分けてその素材が何なのかを科学技術を使って追求してきました
その結果、物質を分けて分子、分子を分けて原子、原子を分けて素粒子
そしてその先は数学方程式を使って存在が存在しているのではなく、ヒモもできたり膜もできたりしている状態だということが結論として導かれています
また10の500乗個の宇宙が瞬時にでできたり消えたりしているという結論に至っています
この結論によれば、存在は実在しないということになります
そしてもしそれを公言するのであれば物理学者、数学者は答えが1であることもわからないのに、1が何なのか規定しなければなりません
そしてさらに存在が存在するようにみえる理由を説明しなければなりません
これらのことを説明できないから、存在が実在しないと言い切ることができないのです
これが西洋の考えの走る道の限界であり、どのように考えたらいいのかわからなくなってしまう根本的な原因は、存在が存在することを大前提に論理が始まっていることなのです
ところが認識技術ではなんとその大前提を逆にひっくり返してしまっているのです
ではその逆、地球上で初めて存在が生まれた時のことを考えてみましょう
ある存在Aを生み出そう、ということでその存在Aとは別の存在が集まって存在Aの模様、形、用途、機能が生まれます
存在Aを生む別の存在は元々地球上にあるものなので、その源は地球と考えることができます
では地球はどこから生まれたのか
答えは太陽系から
同じように太陽系は銀河系から
銀河系は宇宙から
そして最後、宇宙のルーツはというと
それが宇宙の究極の根源1なのです
だから唯一のリアリティである1がわかることで、そこからどうやって実在しない存在が生まれて存在するようにみえるのか、その仕組みがみえるのです
これが1に対する明確な規定であり、その1がわかれば全てがわかるのです
逆に存在が存在する前提ではその1に到達することはできず、全ての論理がわからないまま進まざるを得ないのです
だから論理展開は1の規定ができて初めて始まるのです
さらに前回の経済活動の観点とつなげて話をするなら、認識技術の案内する考えの走る道は人間脳を代行するAIの時代に本当に最重要必須なものなのです
そもそもなぜ人間脳をAIが代行するようになるのでしょうか
それは人間脳もAIも活動の根本は因果であって、AIの処理速度と正確さは人間脳のそれをはるかに上回っているからです
だからいろんな仕事をAIがするようになっていくのです
ただそんなAIにも唯一弱点があるのです
それは因果から自由になれないこと
AIはコンピュータの根本の0と1なしには稼働しません
認識技術の案内する1の世界は因果から自由になる世界なので、AIが真似できない領域なのです
だから1から出発した思考方式でAIができない仕事を人間ができるようになるのです