タイトルをみてなんのこと?って思った人は多いと思います
たとえば日常で仕事を頑張って"やる"とか、ちょっと手を抜いて"やらない"とか表現ますよね
普通に今まで通り考えたら深い意味はありませんが、それを nTech の観点から考えてみたいと思います
nTech では人間は観点固定されているといっていますよね
この観点とはなにかというと、ここでは人間を人間たらしめる初期設定と思えばわかりやすいでしょう
そして、人間はその初期設定から自由になれず、生まれてから死ぬまでそれに沿った考え、感情、表情、言葉、行動、人間関係を繰り返しているのです
楽しいことも悲しいことも、歓喜溢れることも悲惨なことも、日常的な何気ないことから非日常な出来事が起こった時の反応まですべて
なに1つその初期設定に沿わないものは無いのです
だから頑張ってなにかを"やった"としても、イマイチ力が入らず"やらなかった"としてもそれはその初期設定、すなわち観点に沿った結果なのです
だから本当は"やってもなければ、やってなくもない"のです
ただただその観点、初期設定に沿って反応しているだけ
いわばあらかじめ敷かれたレールの上をただ惰性で走っているかのように、当人の意思は介在していません
なんか人間、悲惨な状態になってきましたね
でも大丈夫!
それを悲惨と認識できることは逆に希望
なぜかというと悲惨を認識できた分だけ希望を獲得できるから
はい、じゃあ続き
やってもないし、やってなくもないんだったら、本当の"やる"というのはどういうことなのでしょう
それはその初期設定、観点から自由になった状態で、いろんな考え、感情、そして表情、言葉、行動、人間関係を選択できるようになること
これが本当に"やる"ということ
だから本当に"やる"のであれば、まずは初期設定、観点から自由になること、これがとっても大切なのです