宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む日本から始まる革命の道〜世界基軸教育によって人類がひとつになる〜

出会うということ

『出会い』と聞くとみなさんはどんなことを思い浮かべますか。

 

人と出会うことやモノと出会うこと、また物事と出会うこともあると思います。

その『出会い』というのは、だいたいは体の5感覚で新しい人やモノ、概念を認識することで出会ったというのではないでしょうか。

そのような自然な、大して努力や頑張ることもなく果たした『出会い』は、その『出会い』の価値も大して感じられないということが、しばしばあるのではないかと思います。

 

もう少し詳しくみると、体の『出会い』で例えた場合、家を出て学校に行くようになったからこそ友達と出会えます。このように、今までずっといた空間とお別れして新しいところに行ったからこそ『出会い』ができるわけですね。

 

何が言いたいかと言うと、出会うためにはお別れが必要だということ。『出会い』=『決別』でもあるのです。

 

その上で、さらに深い『出会い』について考えてみたいと思います。

 

例えば、日本は明治維新のとき、西洋を取り入れてオリジナル以上のものをつくりだし、太平洋戦争にしても高度経済成長にしても、世界を驚かせる功績を残したと思います。言うなれば西洋文明との『出会い』を大きな価値につなげた成功例でしょう。

 

では、その『出会い』の裏にある『決別』はどんなものだったのでしょうか。

それは侍の刀に象徴されるプライドとの『決別』だったと思います。何百年もの間脈々と培われてきた日本独自の価値観とその深さは計り知れません。しかし、それをあっさり手放すということはそれ以上に生半可なものではなかったと思います。

その半端ではない『決別』をしたからこそ、その『決別』にみあった深い『出会い』ができ、その後の日本の存在感につながっていったのだと思います。

 

ちなみに、そのような深い『決別』ではなく、鎖国を開くという空間的な浅い『決別』しかしていなかったら、間違いなくその後大きな価値を生むことはなかったでしょう。

 

このように、大きな価値を生む深い『出会い』をするには、それ相応の深い『決別』が必要なのです。

 

nTech との『出会い』もそうです。

瓶鳥の外に出て二度と生まれない源泉動きそのものになれる『出会い』なのか、瓶鳥の中に留まって革命家として一生を終える"それ"なのか、革命家として立つことなく nTech を学ぶ人で終わる"それ"なのか。

どの程度の価値を生める『出会い』を果たしたのか、そこにもそれぞれの『決別』の深さが問われると思います。

 

今回は nTech の価値以前の『出会い』の話になりましたが、正直言って nTech を価値あるものにするのも価値なきものにするのもその人の『出会い』の深さ次第。すなわち『決別』の深さ次第。

 

本気で出会うのであれば、親や子、恋人、友人など、大切な人や物事などとのお別れが必要なのです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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