今までもいろんな角度から令和哲学について書いてきましたが、今日もまた別の角度からその価値について書いてみたいと思います。
令和哲学とは何か。
それは新プラットフォームと言えます。プラットフォームといえば、FaceBookやAppleなどがありますが、それらを凌駕する次元の違うプラットフォームです。
昔は、生産手段というと人、モノ、お金でしたね。
日本はモノづくりで世界を席巻した頃は、【モノ(材料)+人(労働)=モノ(商品)⇨お金】みたいな流れだったと思います。例えモノづくりでなくサービス産業に携わっていたとしても、労働(人)という形で経済活動に入っていたでしょう。
でも徐々にモノが売れなくなって、最近になって情報、知識が生産手段に加わりました。まさにその情報や知識が商品になって、私たちの目の前を横行しているのが今の時代でしょう。
昔であれば【モノ(材料)+人(労働)=モノ(商品)⇨お金】の流れの中のどこかに属していたら経済活動ができて生活できていたのに、今ではそれが通用しない。それどころか、多くの人は生産手段の中心になっている情報、知識を生産できない上に、過剰のそれらに振り回されている状態です。
そんな中で、とはいえ生活していかないといけないから、今まで通り労働をするけれど、仕方なく経営者の要求する言葉、行動、関係性を演じることだから我慢の連続。昔であれば、それでも未来に希望があったからよかったものの、今の時代では未来への希望は皆無に近い。これでは主体的な生き方などできるはずもありません。
何かしらの形で情報、知識を発信できて、それらを売れる人でも、自分が何をやっているかわからない状態で、ただ楽しいからとかお金を稼げるからという理由でやっているのではないでしょうか。「別にできてるからいいじゃん!」って言ってしまえばそうだけど、より豊な人生にするために、より積極的な選択をするためには、それでは弱いと思います。
だからまずは情報、知識を生産できるようになること、そしてさらに情報、知識とは何なのかをわかって生産できることが大切です。
はじめに挙げたプラットフォームのFacebookやAppleは既に出来上がっている情報、知識を発信するためのプラットフォームであり、生産を可能にさせるものではないし、情報、知識が何かもわかりません。
そこで、次元の違う新プラットフォーム、令和哲学が登場します。
令和哲学は無から有が生まれるアルゴリズムを習得できる教育プラットホームです。有を理解するためには無を理解する必要があるのですが、その無が理解できてしまえば有が何なのか明確に説明ができるし、そうなれば無から有を創造することができるのです。
これまでの話に当てはめると、情報、知識(有)が何かを理解するためにその情報、知識が生まれる前(無)を理解すること、逆にその無がわかれば情報、知識が何か明確になるし、そこまでわかればついに情報、知識の生産が可能になるのです。
そしてさらには、情報、知識を発信するためのプラットフォームさえも、無から観ればそれが何なのかわかるし、創造してしまえるのです。
今の時代、我慢しながら未来に希望のない労働を強いられる人に、コロナ禍の中逼迫した会社の経営者に、何をしているかわからないまま情報発信をしている人に、究極の情報、知識のつくり方と発信のプラットフォームを提供できる新プラットフォーム。
それが令和哲学が提供する価値なのです。