宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパーダ"犀の角"のnTech からみた勝手な解析②

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前回の続き、スッタニパーダ"犀の角"の解析です。

 

スッタニパータ犀の角を解析するに至った背景はこちらをご覧ください。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

37.朋友・親友に憐みをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

 

まず朋友を辞書で引くと「同門の友」と出てきます。同門というのは同じ師匠のもとで学ぶことを言います。なので、朋友とは同じ先生のもとで学んだ友のことを指します。そして、憐みはこの漢字の場合、かわいそうに思うに留まらず何かの行動をすることを意味しています。それによって心がほだされると書いてありますが、これは自由を束縛されるということ。

 

なので全体の意味としては、同じ師匠のもとで学んだ同志や親友をかわいそうに思って気をかけていると、自由に動けなくなり損する。親しい人と関わることはこのような危険性があることをわかって、犀の角のようにただ独り歩めといったところでしょう。

 

nTechからみたら、例え大切な人であろうとも、自分の行く道においてなんらかの協力関係を組める人でない限り、その人のことを気にかけることは利益にはならない。だからそのようなことはほどほどにしておいて自らの道を独り行け、といった解析ができると思います。

 

38.子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

 

まず愛著は、仏語で欲望にとらわれて離れられないこと。筍は、竹が枝分かれして絡み合うのとは違い、他に依存せず真っ直ぐに伸びていく。

 

このことから、子や妻への愛着は、竹が茂って互いに絡み合っているのと同じ。一方で筍が何にもまとわりつくことなく伸びるように、犀の角のようにただ独り歩めといった意味になると思います。

 

nTechからみたら、愛着は一見いい意味で使われることが多いけど、実はその愛着があるが故、茂って互いに絡み合う竹のように、自分を束縛するものだということ。だからこそ、筍が何にも縛られす自ら伸びていくように、その愛着に縛られることなく、自身の道を行け、と読み解くことができるでしょう。

 

本日もありがとうございました。

これからも続けていきますのでよろしくお願いします。