宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパーダ"犀の角"のnTech からみた勝手な解析⑤

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最近クセになってきました犀の角です。今日も同じくツノっていきたいと思います。

 

解析をするに至った背景はこちらからご覧ください。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

43.出家者でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住う在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。

 

仏教徒には在家者と出家者がある。出家者は字の如く家庭を捨てて僧になる人、在家者は日常生活を送りながら仏教に帰依する人のことです。子女というのは、息子・娘の意味です。

 

なので、僧になって修行を積む決意をしながら不満を言っている人々がいる。また家で仏教を拠り所とする人たちも同じく不満を言う人がいる。だから他人の息子・娘にかかわることは極力減らして、犀の角のように進め。このような意味でしょう。

 

犀という動物は、特にお釈迦様のいう犀はインドサイだと思うけど、特徴的な一本の角と大きな体格、そして硬く分厚い皮膚によって覆われているため、鎧を纏っているように見える。だから肉食獣に襲われることは多くないし、そのためか基本的に単独で生活することが多い。犀の角のようにただ独り歩めと言っているのは、この犀の形態・生態からくるものでしょう。

 

nTechから見ると、出来事に対して意味づけ価値づけするのはすべて自分なのです。隣の人に対して湧いてくる感情も、ある物事に対して上手くいってないと思うのも自分次第。現実は全部自分でつくっていると言っています。

 

だから出家者も在家者も不満を言っているけど、自分でそのように解析して言っているのだということ。だからそういった他人の息子・娘にはあまりかかわるな、犀がそうであるように、犀の角がそうであるように、独り自分の道を行け、と言っていると見ることができます。

 

44.葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者はしるしを捨て去り、在家の束縛を断ち切り、健き人はただ独り歩め。

 

コーヴィラーラ樹というのは、スッタニパータ自体がパーリ語という仏教の経典を書くための言語を使って書かれているので、そのパーリ語でしょう。どんな樹木かは詳しくは不明ですが、お釈迦様はよく大樹の下で瞑想に耽っていたとのことなので、その大樹のうちの一つなのかもしれません。

 

しるしは所属や家柄などを表すもの。健きは"たけき"と読みますが、字の意味すように健康という意味でしょう。ただし体の健康よりは心の健康の方がしっくりくると思います。

 

なので、はの落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者はその家のものだという証を捨てて、またその家との関係性(モノや人に対する執着など)を切って、心の健康な人は独り自分の道を行けと。

 

nTechから見たら、自分の家との関係性、モノや人に対する執着はもちろんのこと、無意識にあるその家で育った時にできた自分のアイデンティティと訣別しろと言っているのだと思います。それができた時には心の健康になり、心が脳にうち勝つことができ、独立した意思決定ができるようになります。

 

本日もありがとうございました。