宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

メメント・モリ(必ず死ぬことを忘れるな)と、死ぬことと見つけたり(武士道)と日本文明の挑戦との関連性について

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表題、メメント・モリ(必ず死ぬことを忘れるな)と、死ぬことと見つけたり(武士道)と日本文明の挑戦との関連性について、ちょっとだけ考えてみようと思います。

 

メメント・モリ(必ず死ぬことを忘れるな)は、古代ローマで将軍が凱旋パレードをした時に使われたとされ、今は絶頂にある将軍も明日はどうなっているかわからないという戒めを表現する言葉です。

 

そして死ぬことと見つけたり(武士道)は葉隠にて有名な言葉で、いつも死ぬ気で物事と向き合えという教訓。元は武士としての生き方に言及した言葉です。

 

これら二つの言葉は、常に死と隣り合わせだといえると思います。特に死ぬことと見つけたりにおいては、生きることに死を裏付けすることで、その生きる姿勢を昇華させる意味合いがありますね。生きることばかりに執着していては堕落する、死んでこそすべてを使って生きることができると。

 

言うなれば有だけであったものに無を裏付けすること。そして有と無を行ったり来たりすることで両方を活かすことができる。

 

そして最後、日本文明の挑戦ですが、これは生も死もない状態です。生から、生に死を裏付けた表裏一体の状態、そこから生もない死もない状態。そしてさらに、生も死も両方できる1そのもので生きる状態なろうとしているのが日本なのです。

 

人類が脳を基準に生きてきた今までの時代。それは5感覚から入る情報をもとに考え・感情・言葉・行動・人間関係を構築して生き、その恩恵として科学を生み出しました。そしてその科学によって人類社会における様々な基準をつくりあげたと言えるでしょう。しかしながらそれらの基準は今、コロナパンデミックにより通用しなくなっています。

 

私たち人間はこの不安の蔓延する混沌とした時代に、何を基準に生きるべきなのか。

 

それが脳(=生)を基準にして生きるのではなく、生死表裏一体の状態さえも超えて、生もない死もない1そのものに基準をおいて生きることです。

 

本日もありがとうございました。