宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパーダ"犀の角"35の解析(改)

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今日は仲間とスッタニパーダ"犀の角"35の解析をしたので、その時の話をもとにイメージを膨らませて、新しい解析を書いておきたいと思います。

 

解析しようと思った背景はこちらにあります。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

まず大前提スッタニパータは、初期仏教で詠われたお経なので小難しい言葉はなく、現代に投影すると俳句を詠むような感じで、お釈迦様が悟りの観点から現実をみた時の感情や気持ちを表現しているものです。そのことを鑑みて味わってみたいと思います。

 

35.あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

 

子供、仲間を欲せず、全ての生き物を痛めつけることなく、独り自分の決めた道を行け。

 

仏陀は自分の息子が生まれた時、束縛が生じたと言っただけあって子供に対する愛情は苦しみの原因になると考えていたようです。またさらに「況や朋友をや」(友人は言うまでもない)とあるように、人との関係も苦しみのもとになるとも言っていますね。

 

またあらゆる生き物に対して暴力を加えず、悩ますこともなくというのは、暴行はもちろん、雑な扱いをして生き物が嫌な思いをしないようにするのが良いと詠っているのではないでしょうか。

 

よくある解析に、独り孤独に生きるのが良いとありますが、nTechからみた場合そうではありません。

 

nTechでは5感覚脳を使って生きることは暴力だと言っています。イメージできること、理解できること、認識できること、疎通交流できること、共有共感できることには有効期限があるのに、それがずっと続くと思って期待した矢先に期限が切れて、その期待が裏切られるからです。

 

要は条件状況によってコロコロ変わるのに、そこに執着してしまうから苦しくなるということです。子供や友人は条件によってコロコロ変わるから苦しみの原因になるし、自分さえも条件状況によって変わってしまうからあらゆる生き物を愛することもできませんよね。

 

だから「犀の角のようにただ独り歩め」は暴力のもとである5感覚脳を越えること。それは「目で見ちゃだめ!」の脳が認識不可能な世界を認識できるようになることであり、精神の独立を詠っているのです。