宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパーダ"犀の角"のnTech からみた勝手な解析⑩

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本日も犀角解析やっていきます。

 

解析しようと思った背景はこちらです。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

53.肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群れを離れて欲するままに森の中を遊歩する。そのように犀の角のようにただ独り歩め。

 

この詩文に出てくる蓮華は、南無妙法蓮華経や寺院の池の蓮など、仏教と密接につながりのある花です。お釈迦様の故郷のインドではよくみられるもので、もともとはお釈迦様が人としてのあり方を語るときに例えとして使っていたものだと思います。

 

またさらに、象は仏教において畏敬の対象とされていますが、お釈迦様が悟りについて説くときに、上の詩文のように例えとして使ったことが始まりではないかと思います。

 

こうしてみると原始では詠う中で使っていた対象が、今では神聖なものと認識されるようになっていて面白いですね。ある意味後世の人が勝手に崇拝してしまい、お釈迦様の真意とはズレた形で伝わってしまっているのではないでしょうか。

 

少し話がそれましたが、本筋に戻りましょう。

 

詩の意味としては、肩がしっかりと育った蓮華のようにみごとに巨大な象は、群れを離れて好き勝手に森の中を歩き回る。そのように自分一人の道を行け、といったところでしょう。ちなみにこの象は立派な人の例えで、そのような立派な人は自分の家族や親族、友人や恋人と離れて自分の思う道を生きなさいと言っているのだと思います。

 

「1間点」を使うnTechからみたら、群れを離れるというのは生まれ育った環境、特に多くの人の場合は母親との関係(無意識エンジン)から「1」によって自由になること。そして「間」で自分の感じたい感情をつくって、「点」で自分の創りたい現実を創って自分だけの生き方をする(犀の角のようにただ独り歩め)ということです。

 

54.集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔<ブッダ>のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

 

次、暫時はしばらくの間、解脱は俗世間の束縛・迷い・苦しみからぬけ出し、悟りを開くことです。太陽の末裔というのは、おそらくお釈迦様が生まれた国の名前だと思います。

 

以上のことから、人の集まりを好む人は、しばらくは悟りを開くことはない。お釈迦様のことばを心にかけて、自分のいくべき道を行け、といったところでしょう。

 

最初からずっと言っているように、お釈迦様は親しみにより束縛が生じると言っています。特に37ではそのままが文言として出てきます。

 

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

そのように人との交流を積極的に楽しむ人は悟りと縁遠いということを言っています。

 

しかしながらnTechでは人との繋がりを否定してはいません。むしろ人と人がどれだけ深く繋がれるか、その信頼関係の深さが大切なのです。そしてそのためにどれだけnTechを日常に応用活用するのか、習慣化するのか、それが問われます。

 

習慣化というのは、53で書いた「1間点」を使うこと。仏教でいう法灯明の世界から色受想行識の5段階で現実が生まれるように、知らなくていいんだー!の「1」から思い込めばいいんだー!の「間」を通過して、理論上の粒子である「点」を創る。そしてさらには基本構造セッティングを「1」として、基本構造のフラクタルである「間」を通過、物資レベルの「点」を創る。

 

このように連続2段階「1間点」でイメージしていきます。

 

この習慣化がどのように人間関係に役に立つのかと思うかもしれませんが、これからは人とであったときに、その人がどのような人生を歩んできたのかがみえることが大事だと令和哲学者NohJesuは言っています。(悪い意味で人を見透かすではなく、その人ととより強い関係性を構築する上で、その全てをわかってつながることだということ。)そしてその人をみるときに、この「1間点」の仕組みを使ってみることが必要なのです。

 

今日は少し難しくなりましたが、最後までありがとうございました。