宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

9.17令和哲学カフェ感想

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今日は令和哲学カフェの感想です。

 

今週と来週は細井コウちゃんのファシリテータで、千利休を取り上げていると前にも書きましたが、今回はその利休の茶室に対しての解析に関する感想です。

 

みなさんは、利休の茶室を知っていますか?

 

私も入り口がものすごく狭いということしか知らなかったですが、それに加え、通常4畳半の広さのところ利休の茶室は2畳と狭いこと、天井に勾配がついていて上座と下座が決められていることなど、さまざまな特徴があるようです。

 

そしてすごかったのは、2畳という狭さゆえ利休が客人を招き入れると、相手との距離がわずか30センチしかないということ。さらには、あえてこの距離感にするために利休がこのような狭い空間に設計したということ。

 

こういう風に理解できると、明々白々な意図があったことがわかりますね。茶人のプライドを貫くあまり、切腹さえも受け入れる利休の意図。もうこれだけでも興奮してしまいます。

 

そしてここからが令和哲学の解析。

 

2畳の茶室という狭い空間に入って利休と客人が出会って一期一会の関係性を持つというのは、精子卵子が狭いところで出会って100年人間になるイメージですね。

 

一期一会の関係性というのは、当時の刀と刀の戦いの出会いでもなく、男女の愛の出会いでもない、もっと深い出会いのことで、茶室が狭いのはその深い出会いを創出するためです。

 

相手の表情はもちろんのこと、しぐさや身なり、匂いなどあらゆる情報から相手がどんな人生を歩んでいるのか、どんなカルマを持っているのか、そして何を繰り返しているのかまでを理解する。そんな出会いに没入集中するのが利休の一期一会なのです。

 

利休のこの意図、半端ないと思いませんか?

 

私は興奮しましたね。もちろん解析なので、実際にそうだったかどうかはわかりません。でも、歴史上の人物の生き様を現代の私たちが応用活用するためにやるのが解析なので、このようにリテラシーすることは、とても意味のあることだと思います。

 

そして、ここからは私たちが、この時代をどのように生きるべきかにつながる話ですが、利休は人に対して深い関心があったからこそ一期一会を大切にするようになったし、その相手との出会いのために深い”観察”をしたと思います。

 

そしてその”観察”がシャープだったからこそ、一期一会が可能になったし、信長や秀吉までも茶道の弟子にしてしまう関係性をつくることができたのだと思います。

 

このようにみた時に、そのような関係性をつくれてしまう”観察”とは何かという問いが生まれます。

 

それが

目なし見る

耳なし聞く

手なし触る

足なし歩く

脳なし生きる

 

その状態での”観察”です。

要はこの体が自分ではなくて、現実世界全てが自分、ひいては現実世界全てをつくる違いの”反復”が本当の自分であることわかって、その自分から”観察”することです。そうなったときにどんな人とでも自由自在に関係性を構築できるようになります。

 

現代は不信不安恐怖の蔓延る時代で、なかなか人との信頼関係を構築することは難しいと思います。令和哲学ではこの体が自分と思っていては、ずっと考えの中にいて、相手と出会うことはできないと言います。その状態で、期待しては裏切られて不信や怒りを蓄積してしまいます。

 

だから体が自分ではなく、現実世界全てをつくる違いの”反復”が自分だということ明確にわかること。これが今とこれからの時代を生きるのに必須なのです。

 

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。