今日は令和哲学カフェの感想を書きます。
今週からファシリテータが代わって、若手HOPEの野田ケントくんがリードしています。カントではなくてケントです笑。
昨日一昨日と他者とは何かという高度な質問にはじまって、3日目の今日のお題はというと
「自分と決別する方法とは?」
でした。
もう・・・、ヤバすぎっしょ笑。質問の意味がわからんくらい笑。こんな質問する人おらへんし、それにまともに考える人らも一歩違ったら頭おかしいくらいの感じに思ってまうくらいぶっ飛んだ面白さの質問だったと思います。こんな話は間違いなくここでしか聞けないでしょう。
まずは丸っと境界線を引くと、その境界線の中が自分になる。そして逆にその境界線の外は他者になりますね。自分は有限で他者は無限にありますが、その無限の他者の外にはイメージができない他者もいます。
1間点で見ると、点の中に自分と他者がいます。1から始まって変換装置ができて結果が生まれて、自分と他者がいる。そう考えると、他者によって自分と他者が生まれてくる。ボールペンはボールペンでないものからできているように、自分は自分ではない他者であること。
だから、自分と決別するには生きたままで死ぬこと。自分があるから苦しいし、自分があるから何もわからない。だから生きたまま死ぬこと。
そして死んだまま終わるのではなく、死んでスクリーンの中に入って(1そのものになってから相対世界に入って)遊ぶ。失敗し続けてもチャレンジし続けるのがいいと。
ざっとこのような話でしたが、1間点そのままのイメージでしたね。令和哲学を学んでない人にはちょっと高度すぎる内容だったと思います。でも、令和哲学の観点から見たら本当にその通りで、イメージしてみるとめっちゃ面白い!
やっぱり、自分や他者を固定で見ていると全然面白くない。動きで見るのがいいですね!
今日は短いですが、最後まで読んでくださりありがとうございました。