ここにきて身内で流行っているスッタニパータ犀の角。
身内の流行りに乗っかって続きを書いていきます。ちなみに書くのをやめていたわけではありません笑。別の書きたいことがあったので、そちらを優先していただけです。そうしているうちに、なぜか流行りがきたので、流行りに拍車をかける意味でも乗っかっていきたいと思います笑。
犀の角を解析し始めた背景をこちらに書いています。
hyperconnection2012.hatenablog.com
63.俯して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎み)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。
この詩文は、まさに悟った人がもつ感覚の世界を語っているのではないでしょうか。というのも、最初の入り、俯して視というフレーズ。これは俯瞰の俯の字なので、その字と視るが合わさって、高いところから見下ろすといった意味合いになると思います。
そして、とめどなくうつろうことなくは、永遠の変化を否定しているので、永遠不変。そして感官は感覚器官なので5感覚、防ぐは遮るの意味もあるので、現実の変化しかない世界の刺激を遮断することでしょう。そしてこころを護るとはnTechでいう源泉動きで生きることあり、お釈迦様のいう法灯明の世界。
あとは文字通り、煩悩が浮かぶことなく、浮かんだ煩悩に惑わされることなく、といった意味でしょう。
だから、高いところから見下ろす永遠不変であれ。5感覚から入る刺激に振り回されることなく、源泉動きそのもので生き、煩悩が浮かぶことなく、浮かんだ煩悩に惑わされることなく、ひとつの動きそのもので生きなさい。
だいたいこのような解釈でいいと思います。個人的にはこの俯して視というフレーズが、覚者ならではの言葉だなと興奮しましたね。
64.葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。
次。44.でも出てきましたが、しるしは所属や家柄を表すもの。袈裟はいうまでもなく、僧侶が身に纏う衣装。
葉の落ちたパーリチャッタ樹のようにとありますが、これは自分の身の回りにあるあらゆるものを葉にみたて、出家はその葉を全て落としていくことであることを例えているのでしょう。
だから、パーリチャッタ樹が葉を落とすように、自身を証明する家の諸々の物事を全て捨てて、僧侶の衣装を纏って、源泉動きそのもので生きなさい。
このような意味合いでしょう。
木や象や鹿など、さまざまな自然の動植物を例えに使うあたりはその時代を象徴していますね。そう考えると、科学が進歩した現代では、例えることなく真理を明確に語ることができるnTechが完成していること、それは凄まじいことなのだと思います。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。