日本文明が走り出している。
このところNohJesuがそのように言うけど、私もそう思う。今月上旬に開催したDignity2.0国際カンファレンスを境に、私自身も環境も大きく変わったのを肌身で感じるからです。
そして、その走り出した日本文明のキーワードは「違い」。
全ての模様形、音、意味は「違い」があるから存在できる。もしその「違い」がないのであれば、境界線がないことを意味するからです。だから、「違い」は認識の根拠であり、存在の源泉であり、やる気のキッカケであり、意味の根っこであり、リーダーシップの本質でもあります。
また人間の脳は「違い」がないと認識できないし、存在できないし、意味づけもしようとしません。
したがって、リーダーシップを発揮するためには、「違い」を見せることができなければならないし、現実で勝利するためには、その「違い」をマスターする必要があります。なぜならその「違い」がどれほどの差別性を持つのかによって競争力が決定されるからです。
ドゥルーズ哲学は相対世界の中の同一性、違いの反復を語ります。これは固定観念の中の同一性なので、ドゥルーズ哲学には限界があります。しかし一方で、令和哲学の案内する「違い」と同一性は絶対世界を語っています。
この絶対世界とは、侘び寂び美学であり完全学問です。今まで哲学は個人の実践だったのに対し、美学は集団の実践です。
そして、侘び寂び美学は尊厳によって完成されます。どんなことを言われても自分の尊厳は自分で守ること。また源泉動きで生きることで、出会いの美しさを感じることができます。さらにはこの尊厳があるからこそ、宗教と科学が融合されるのです。
ではその尊厳は何によって完成されるのか。それは今ここの勝利によって。今ここ永遠の勝利があるからこそ尊厳があります。
そして今ここの勝利の価値を支えるのは何か。それが源泉動き1が規定できていることです。
歴史上にどんな組織も個人もやったことのない1の規定、さらにはそれを応用活用することで、今ここの勝利、尊厳、侘び寂び美学、リゾーム組織、日本文明に拍車をかけていくことができるのです。
日本がこのコロナパンデミックの中で、東京五輪を無観客で開催、成功に導いたことは私たちの記憶に新しいと思いますが、それこそ世界に「違い」を見せつけた事件だったと思います。「やめるのは簡単。でも日本は挑戦する!」と菅総理が言ってましたが、それはまさに日本文明の意志と直結するものに他ならないでしょう。
その、世界に「違い」を見せつけた日本に、さらなる究極の「違い」である1の規定を導入すること。それが世界人類を救済できる日本文明に生まれ変わるキッカケになるのです。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。