宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

個人イベント開催報告と変化のストーリー

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遅ればせながら、この前の日曜日に第2回きしもと心オープンアプローチを開催しました。

 

1時間という短い時間でしたが、参加者のみなさまのお話も伺って相互交流をしながら進めることができました。"笑顔で楽しく"を大切にされている方や人の役に立つことを大切にされてきた方、日本の出る杭は打たれる風潮の中リーダーシップを発揮して生きたい想いの方など、いろんな想いを共有していただきました。
 
人の想いを共有してもらえるということは、その人の人生の一部を少し覗かせていただくことだと思うので、自分とはまた違った生き様を味わうことができたと思います。他の人の人生を共有できるということは個人的にとても有意義なことだと思うので、このようにみなさまと楽しく循環できたことうれしく思います。
 
貴重な時間を割いてご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました。
 
 
さて、ここからはいつもとは趣向を変えて、このイベントの中でも語る世界基軸教育と出会った私自身の変化について書こうと思います。
 
タイトルで心オープンと書いているだけあって、私自身は世界基軸教育と出会う前は心がクローズの人でした。そもそも私はどんな経緯で心がクローズになってしまったのか、そしてそれが原因でどんな人生を歩んできたのか。そして世界基軸教育と出会ってどんな変化をしたのか。今日はそのことについて触れていきたいと思います。よかったらお付き合いくださいませ。
 
 
まず、私の赤ん坊の頃ですが、家では母にとても愛されていました。例えるなら、ムツゴロウさんが子犬を「よしゃよしゃよしゃ・・・」って可愛がるように、豊かな表情とたくさんのスキンシップで、母が交流をしてくれていました。

 

だから私は母親のことがとても大好きだったし、知らず知らずのうちに人という存在にとても関心を持つようになっていたと思います。

 

ところが私が少し大きくなって母からの教育が入るようになると、大きく変わってしまったのです。

 

幼少期の頃の私がどんな人間だったかというと、何かを思いつくとワクワクで周りが見えなくなってしまうような子供でした。怒られるからやめようとかという考えがよぎる間もなく、思いついたら即行動するような人だったのです。そして、だいたい思いつくのはいたずらで、新しく貼りなおしたばかりの障子を破ったり、玄関先に油性マジックで落書きをしたりなどやりたい放題をしていました。

 

大人の母からしたら当然ですが、それを見つけられた私は母に、体が吹っ飛んでいくほどのものすごい勢いのビンタを食らったのです。そして何が起こったかを理解する間もなく強引に引っ張られていき、押し入れに放り込まれました。バタンと扉が閉まる音に次いで、カチャっと鍵のかかる音がした後、すぐに母親が去っていってしまったのです。

 

なんの説明もないままそのようにされた私は、必死で大声で泣き喚いて扉を叩きましたが反応はなく、しばらくして黙るしかありませんでした。

 

それまでたくさんの笑顔とスキンシップで愛されることしか知らなかった私は、その経験によって、目の前が真っ暗闇になり世界が一変、絶望一色になってしまったのです。そして、今思えば無意識に自分の声は届かないんだと強烈な決めつけをしてしまったのだと思います。それ以来、表現をしなくなった上に、自分の殻の中に閉じ籠るようになってしまったのです。

 

その殻の中に閉じこもることがどういうことかというと、笑顔して話すから明るい人、愛想のいい人と思われがちだけど、表現しないだけに留まらず、実は意識の視界に人が入らないのです。

 

例えば、少し大きくなって合宿とかに参加した時のことです。行った先で出会った人などは、1週間寝食を共に生活をしても合宿が終わってしまうと、それ以降会ってもそれがその人だと気が付かないのです。自分のそのクセに気がついて、忘れてしまうから今回はこんな人と出会ってこんな話をしたと覚えておいたとしても、次出会ったらわからない。初めましての人になっているのです。

 

毎日顔を合わせる人でも、自分では自然にしているつもりでも、知らないうちに視界から消してしまっているそうなのです。5感覚の目には人が見えているけど、意識の視界には人が入らないのです。

 

だから人と繋がって信頼関係を築くということは不可能に近い状態だったのです。そしてそのくせ人に関心があるから、積極的に人と繋がろうとするけど、心を閉ざして表現しないを決めている状態でやるから苦しくなるのです。

 

こんな状態だったから、特に中高大学生のときは、友達関係が大変でした。

 

たくさんの友達と楽しく交流したい。その一心で積極的に繋がりにいこうとするけど、何を話せばいいのか言葉が出ない。喋らないから気まずくなる。気まずいのに繋がりたいから一緒にいる。そんなことの繰り返し。そのうちに、苦しくて呼吸ができなくて1人になりたいと渇望するようになる。そうなのにもかかわらず、渇望が激しくなればなるほど、友達が欲しいから絶対離れない。

 

そんな状態だから、周りが楽しく騒ぐ中で、1人ブラックホールのように重苦しく近づけないオーラを発する人間になっていました。

 

そして就職してからは、もっとひどい。

 

自己否定が激しかったのも相まって、朝出勤した時のあいさつ、帰る時のあいさつ以外はほぼ口を開かないブラックホールだったのです。関係性がうまくいかないがために、失敗すれば大損害につながりかねない仕事を放置することもありました。何とか一緒に仕事をこなしたとしても、その作業が終わればさっさと上司は帰ってしまって、コミュニケーションは一切ないなんてこともざらにありました。

 

あまりにひどかったので、陰で色々言われてたし、優しい所長からはバカにされていました。

 

このように、当時の私にとって人とうまくやっていくことは、どう転んでも難しかったのです。

 

だから人と関わることなしに人生勝負をしよう。そう思って私は約1年で退職、上京したのです。今思えばその決断が転機だったと思います。というのも上京した先で、世界基軸教育と出会ったからです。

 

私は幼い頃から、分離・断絶・戦争の世界人類みんなが、どうやったらひとつになれるのかということについて考えるような、ちょっと変わった人でした。だから世界基軸教育に出会ったとき衝撃的だったことと、とても感動したことを覚えています。

 

そしてその衝撃と感動と同時に、なぜ私は人と繋がれないのかも明確にわかって、さらにはその原因も根こそぎ取り除くことができたのです。

 

今では殻に閉じこもるのではなく、一人一人と話しながら繋がっていくようになったし、何よりもこの世界基軸教育で、分離・断絶・戦争の世界人類77億人をひとつにするというビジョンに向かって先頭に立って情熱を燃やすようになったのです。

 

もう今は「無限大表現していいんだ!」って歓喜の状態。だからこそ私自身の変化や、世界基軸教育(令和哲学、nTech)の内容をとことん発信すること。今は積極的にそれをしています。

 

人と繋がれなかった人間が、世界人類77億人を先頭に立って繋げる側になったということです。

 

だから人間関係に困っている人や、この世界基軸教育に関心のある人とはぜひつながりたいなと思います。

 

本日も長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。