宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパータ"犀の角"のnTechからみた勝手な解析20

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今日はスッタニパータ犀の角の解析の続きをやっていきます。

 

なぜ今スッタニパータ犀の角の解析をやっているかについては、こちらの記事をお読みください。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

犀の角の解析も残りわずかです。今回は73. からスタートしていきます。

 

73. 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間全てに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 

慈しみは深い愛、平静は穏やかで静かなこと、あわれみは苦しみや悲しみに同情すること、解脱は悟りの境地、修めるは行いを正すこと。世間全てに背くことなくは、世の中に逆らうことなくといった意味だと思います。

 

全体を通して、深く愛を持つべき時は深く愛を持ち、穏やかにすべき時は穏やかにし、憐れむべきときは憐れみ、悟りの境地にいるべき時は悟りの境地にいて、喜ぶべき時は喜ぶ。このようにその時々に応じて心を正しく持って、世の中の流れに逆らうことなく、自ら選んだ道を進め、といった意味でしょう。

 

nTechでは、"はじめにないものは終わりにもない"という言葉を使いますが、それは今ここの認識に勝利することでしか幸せ成功はありえないということです。過去も未来もなく今しかないのだから、今この瞬間に幸せ成功を獲得しなければ未来永劫幸せ成功などはないのだということです。

 

その今ここの認識に勝利した境地になってしまえば、現実空間の中でも毎瞬毎瞬に没入集中できるので、慈しみや平静、憐れみ、解脱、そして喜びなど、さまざまな感情をその場その場で自分ごととして捉えることができるのです。

 

nTechでは"順走行"という言葉も使いますが、この言葉の意味するところは、同時に使われる"逆走行"という言葉が体が自分と思って生きることで摩擦衝突を起こしてしまうことを意味するのに対して、自我がなくなり周りと究極まで同調して生きることができるということです。

 

だから世間全てに背くことなくというフレーズは、体が自分だと思って生きる"逆走行"をするのではなく、自分をなくして周りと同調して生きる"順走行"を勧めている文言でもあると思います。

 

このように"はじめにないものは終わりにもない"と"順走行"を実現するためにも、真理そのもので生きること。それが犀の角のようにただ独り歩むことに他ならないのです。

 

74. 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 

貪欲は欲深い心、嫌悪は憎しみ嫌うこと、迷妄は道理に暗く心が迷うこと。結び目とは存在を存在させている仕組みと考えるのが妥当だと思います。だから結び目を破るとは、その仕組みを解体することなので、その存在が失くなることを表現しているのだと思います。

 

だから、欲深い心や憎しみ嫌うこと、道理に暗く心が迷うことなど一切を捨て去ること。そして、全ての物事を成り立たせる裏にある仕組みを解くことで消えてしまうことを恐れず、真理そのもので生きなさい、といった意味だと思います。

 

nTechでは、絶対世界である無境界線の源泉動きから相対世界である現実を生み出すプロセスを、現実を"結ぶ"と表現することがあります。だからこの"結び目"を破るということは、この現実を生み出す仕組みに隠れている"結び目"を解くことに他なりません。

(科学がやったように分子→原子→素粒子→ひも・・・のように分けていく行為は真理に到達することはできないため、釈迦の表現する"結び目"を破ることには当てはまらない)

 

だから相対世界の中の執着を捨て去ること、そして自分と自分の宇宙が消滅することを恐れることなく現実世界を解いてしまうこと。そうすることで犀の角のようにただ独り歩む真理に到達することができるのです。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。