宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

文明の創建とリーダーシップの本質

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人間活動とは何でしょうか。また人間活動と文明にはどんな関係があるのでしょうか。

 

今回、その人間活動は不便の解消と定義したいと思います。そうすると文明とはその不便の解消の具現化であると言えるでしょう。

 

だからその不便を我慢していたら文明は発展していかないし、その我慢が度を過ぎるとその不便さえも感じなくなり、不便であることを発見することさえできなくなってしまいます。

 

例えば生老病死のように、私たち人間が当たり前のこととして受け入れてしまっていたことは、まさにその度を過ぎた我慢に当てはまることだと思います。最近でこそ不老不死ビジネスなどという言葉も耳にするようになりましたが、それまでは生老病死からは誰もが逃れられないと考えていたのではないでしょうか。

 

最近になって、ようやく私たち人間はそのことが不便であることに着目し始めたと考えてもてもいいと思います。

 

そして私たち人間が、このような不便解消の具現化である文明を秩序創っていくためにやってきたことが、団結・チームプレーです。その団結・チームプレーをするにあたり、まず人々の物事に対する認識の違いをクリアすること、そして何よりリーダーシップの進化発達が重要になります。

 

例えば大航海時代、東洋は西洋に学問・職業・モノづくりなど全てにおいて完全に負けていました。鎖国をしていた日本は完全に希望がないことに気ついたとき、侍のプライドである刀を捨て全てを0化し明治維新を起こしました。しかしそれは日本人の技術、習慣、感覚が優れていたからなんとかなったことであって、所詮はマネでしかありませんでした。だから結果的に全て潰されて骨抜き日本にされてしまったという見方ができると思います。

 

ここで何が問題だったかというと、当時日本でリーダーシップを発揮した人たちが技術、習慣、感覚に依存して物事を深く観察しようとする意思がなかったということでしょう。

 

西洋には科学精神という言葉に集約されるように、この現実は何からできているのか、起こる現象のメカニズムはどのような仕組みになっているのかという思惟があったのです。それに対して東洋を代表する日本では、現実を認め仕組みを追求することなく、その現実の中でどのように生きるのかを考えるところに留まっていたのです。

 

文化文明を創建する意思1号は興味・関心ですが、このように、その興味・関心がどこに向いているのかによって創られる文化文明が決定されてしまうのです。

 

では今の文化文明をさらに発達させるリーダーシップには何が必要なのでしょうか。

 

それはその興味・関心の土台にある観察行為の進化なのです。

 

今までの観察は5感覚の目で見て、耳で聞くことで行ってきました。そしてそれは特に日本では感覚依存であり、技術依存、習慣依存、馴染みに依存、そして長いものには巻かれろという風潮に則ってされていたと思います。またそれは西洋でさえ今ここ目で見る耳で聞く観察に疑問を持たれてなかったし、そのために人間の尊厳を殺す教育しかできなかった状態でした。

 

だから目で見て、耳で聞かなければならない観察行為が不便であると感じること、そして自分と自分の宇宙がある状態とない状態をイコールにできる心によって観察行為を進化させることが大切なのです。自分と自分の宇宙がある状態とない状態をイコールにさせる心についてはこちらの記事をご覧ください。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。