宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

自らの生い立ちと世界基軸教育との出会いについて

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いつもご訪問いただきありがとうございます。
 
私の仕事柄、仲間との密な交流が多いのですが、最近特に私自身の生い立ちについて深く話した濃密な時間がありました。
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ありがたいことに、もっと自分自身の話をしたらいいのではないかという観点をもらったので、今日は自分自身のことについて書いてみたいと思います。
 
まず、私の赤ん坊の頃ですが、家では母にとても愛されていました。例えるなら、ムツゴロウさんが子犬を「よしゃよしゃよしゃ・・・」って可愛がるように、豊かな表情とたくさんのスキンシップで、母が交流をしてくれていました。

 

だから私は母親のことがとても大好きだったし、知らず知らずのうちに人にとても関心を持つようになっていたと思います。

 

ところが私が少し大きくなって母からの教育が入るようになると、大きく変わってしまったのです。

 

幼少期の頃の私はどんな人間だったかというと、何かを思いつくとワクワクで周りが見えなくなってしまうような子供でした。怒られるからやめようなどという考えはこれっぽっちも浮かばず、思いついたら即行動せずにはいられないような人だったのです。

 

そしてその思いつくことといえばだいたいイタズラです。新しく貼りなおしたばかりの障子の上を歩いて破ったり、近くの高層マンションがオープンしたときの歓迎の雰囲気に感動して、自分の家も歓迎が大事だと思いついて玄関先に油性マジックで落書きをしたりなど、やりたい放題をしていました。

 

大人の母から見たら怒りたくなるのは当然だったと思います。そんなイタズラを見つけた母は、私に体が吹っ飛んでいくほどのものすごい勢いのビンタをしたのです。そして私は何が起こったかを理解する間もなく強引に引っ張られていき、押し入れに放り込まれたのです。そしてバタンと扉が閉まる音に次いで、カチャっと鍵のかかる音がした後、すぐに母親が去っていってしまいました。

 

なんの説明もないままそのようにされた私は、必死で大声で泣き喚いて扉を叩きましたが反応はなく、しばらくして黙るしかありませんでした。

 

それまでたくさんの笑顔とスキンシップで愛されることしか知らなかった私は、その経験によって、目の前が真っ暗闇になり世界が一変、絶望一色になってしまったのです。そして、今思えば無意識に自分の声は届かないんだと強烈な決めつけをしてしまったのだと思います。それ以来、表現をしなくなった上に、自分の殻の中に閉じ込もるようになってしまったのです。

 

その殻の中に閉じ込もることがどういうことかというと、笑顔して話すから明るい人、愛想のいい人と思われがちだけど、表現しないだけに留まらず、実は意識の視界に人が入らないのです。

 

例えば、少し大きくなって合宿とかに参加した時のことです。行った先で出会った人などは、1週間寝食を共に生活をしても合宿が終わってしまうと、それ以降会ってもそれがその人だと気が付かないのです。自分のそのクセに気がついて、忘れてしまうから今回はこんな人と出会ってこんな話をしたと覚えておいたとしても、次出会ったらわからない。初めましての人になっているのです。

 

毎日顔を合わせる人でも、自分では自然にしているつもりでも、知らないうちに視界から消してしまっているそうなのです。5感覚の目には人が見えているけど、意識の視界には人が入らないのです。

 

だから人と繋がって信頼関係を築くということは不可能に近い状態だったのです。そしてそのくせ人に関心があるから、積極的に人と繋がろうとするけど、心を閉ざして表現しないを決めている状態でやるから苦しくなるのです。

 

こんな状態だったから、特に中高大学生のときは、友達関係が大変でした。

 

たくさんの友達と楽しく交流したい。その一心で積極的に繋がりにいこうとするけど、何を話せばいいのか言葉が出ない。喋らないから気まずくなる。気まずいのに繋がりたいから一緒にいる。そんなことの繰り返し。そのうちに、苦しくて呼吸ができなくて1人になりたいと渇望するようになるけど、その渇望が激しくなればなるほど、友達が欲しいから絶対に離れない。

 

そんな状態だから、周りが楽しく騒ぐ中で、周りから見たら1人ブラックホールのように重苦しく近づけないオーラを発する人間になっていたと思います。

 

そして就職してからは、もっとひどい。

 

自己否定が激しかったのも相まって、朝出勤した時のあいさつ、帰る時のあいさつ以外はほぼ口を開かない状態だったのです。関係性がうまくいかないがために、失敗すれば会社にとって大損害につながりかねない仕事を放置することもありました。何とか一緒に仕事をこなしたとしても、その作業が終わればさっさと上司は帰ってしまって、コミュニケーションは一切ないなんてこともざらにありました。

 

あまりにひどかったので、陰で色々言われてたし、優しい所長からはバカにされていました。

 

このように、幼い頃に母親との間に起きた出来事によって、私にとって人とうまくやっていくことは、どう転んでも難しかったのです。

 

私は比較的我慢強い人間だったので、そんな状態でも会社にい続けることはできたと思います。

 

しかし、なにせ物心つくときにはすでに誰に言われるでもなく自分で考えて自分で実践することしかやってなかった上に、何度怒られてもそれに屈してやめたことはなかった人間です。先にも書いたように、怒られるからやめておこうなどという選択肢が最初から浮かばず、思いついたことをワクワクでやるしかしたことがなかったので、会社のような枠組みを決められた環境で与えられた仕事をこなす能力など、私にはまさに皆無だったのです。

 

一応は会社に合わせなければならないと意識的には思っていたので、必死にやっていましたが、幼い頃から育まれた気質は抑えられるわけがありません。だから私の性格と環境の不一致からくる軋轢で、体調は至って正常なのに突然嘔吐することさえありました。

 

人間関係がうまくいかないこと以上に、その気質ゆえ企業という組織に収まろうとは到底思えず、結果的に1年ちょっとで退社を選択しました。

 

そこからは、企業という組織には二度と入らない、そして人と関わることもなくこの人生を勝負しようと、意を決して上京したのです。今思えばその決断が転機だったと思います。というはその上京した先で、世界基軸教育と出会ったからです。

 

少し話が逸れますが、私は幼い頃から、分離・断絶・戦争の世界人類みんなが、どうやったらひとつになれるのかということについて考えるような、ちょっと変わった人でした。だから世界基軸教育に出会ったときの衝撃と感動は今でも覚えています。

 

そしてその衝撃と感動と同時に、なぜ私は人と繋がれないのかの原因も明確にわかったのです。

 

その原因というのが無意識エンジンであり、前世も前前世も、今世このままいけば来世も来来世も、どこかでスイッチを入れてはずっと繰り返すカルマだったのです。

 

このカルマは、自分と自分の宇宙があると思っていては永遠にそこから自由になることはできないという特徴を持っています。だから正しい絶望を明確に理解することが必要であり、それがカルマから自由になる第1歩なのです。

 

正しい絶望をわかった私は、今では殻に閉じこもるのではなく、一人一人と話しながら繋がっていくようになったし、何よりもこの世界基軸教育で、分離・断絶・戦争の世界人類77億人をひとつにするというビジョンに向かって先頭に立って情熱を燃やすようになったのです。

 

もう今は「無限大表現していいんだ!」と歓喜の状態で自分自身の変化や、世界基軸教育(令和哲学、nTech)の内容をとことん発信することを積極的に行なっています。

 

人と繋がれなかった人間が、世界人類77億人を繋げる側を先頭に立ってやるようになったということ。

 

だから人間関係に困っている人や、この世界基軸教育に関心のある人とはぜひつながりたいと思っています。

 

本日も長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。