「トランスジェンダーの私が悟まで」を読みました。
この本は私の友人である荒牧明楽さんが書いたものです。表題にもあるように彼は出生時、体は女の子として生まれたが自身を男の子と認識する性同一性障害、トランスジェンダーです。
そんな彼がどんな人生を歩んできたのか、そして令和哲学と出会ってどのように変化したのかが本当に事細かに濃密に書いてありました。この本は誰しもが日々感じる苦しみを、増幅させて濃厚に味わった1人の人間の物語です。
今回はそんな彼の人生を味わって感じたことを書いていこうと思います。
まず最初読み始めてすぐに思ったのは、前書きの部分からすでに自信感と安定感が溢れているように感じたということ。荒牧氏本人を知っているからというのもあるかもしれないが、令和哲学をベースにしたこの本は、ただものではないなということをじわじわと感じることができました。
彼の小学生時代はインターネットがそれほど普及しておらず、得られる情報にも限りがあったためLGBTという言葉さえ知らなかったと。そしてオカマやオナべと揶揄われる人をみると自分がおかしいのではないかと思うようになったこと。
そして居場所がなくて思い通りにならないことに対して、手当たり次第に当たるしかできないどうしようも無い気持ちの日々を過ごしたということ。自分は男だと思っているのに女としてしか見られず、決めつけられて、誰も理解してくれない。
そんな毎日の感情をそれとなく自然に、しかし生々しく描く表現は本当に読者を引き込んでいく内容だったと思います。要所要所に写真を挿れているところもイメージを補ってくれるので、さらに情景を想像しやすくなっていたと思います。
カナコに性同一性障害だということをカミングアウトした瞬間涙が溢れてただ泣くしかできなかったというシーンなどは、どうしようもなく苦しいことをアウトプットしたが、それでもなおどうしようもなく、本当にガタガタと体を震えさせながら泣くしかないということがビリビリと伝わってきました。
読者である私は、その流れ込んでくる感情に読書をストップさせて茫然とせざるをえなかったほどです。
私はトランスジェンダーではありませんが、著者の気持ちにとても共感できたと思います。
というのも、自分の思う自分と相手の思う自分が180度真逆の状態で怒りが爆発するほど真剣に向き合っても話にすらならないこと、その状態で軽々しく決めつけがくること、そして人と繋がりたいが故に友人と一緒にいるけど、同性であっても観点の問題から首が締まって呼吸ができなくなるような苦痛にいつもいつも耐えなければならない。そんな毎日を私も20年以上送ってきたからです。
話は戻りますが、そんな彼が勇気を持ってカミングアウトをして変化し始めてからは、まさに希望と絶望の連続です。限界を突破したかと思えばまた限界、突破したかと思えばまた限界、その繰り返し。
その限界と限界突破のストーリーは、本当に彼が人生に対して真剣そのもので向き合っているのがビンビン伝わってきます。
目を見張るのは、最初は自分自身の問題をどうにかしようともがいていたところから、みるみる視野が広がって人類共通の問題意識にまで移動していくところです。読んでいただければわかるが、その変貌っぷりは凄まじく、前書きからすでに自信感と安定感を漂わせるだけはあるというものでしょう。
人生はどんな問題意識を持つがで決定されると言いますが、まさに自分の人生を拡張して理想的な成功を掴むプロセスを辿っていると言えると思います。そしてその過程を、理解と思考の観点からしっかりと事細かに記してあることは、読者の変化の歩みを助ける布石にもなりうると思います。
彼のように、自分の思う自分と相手の思う自分が180度真逆とはいかなくとも、多くの人はわかってもらえないと思ったことは多々あるだろうし、決めつけられて怒りが湧いたこともあるだろうと思う。そして人に合わせななくてはならなくて苦しく窮屈に感じたこともあると思います。
だからこそ、多くの人が必ず共感できる内容だと思うし、令和哲学によって理想の人生を共有できる内容だと思います。
よかったら是非みなさんに読んでいただければと思います。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。