NohJesu の話の中で「体系的理解の最小単位」という言葉が出てきますが、これは何を意味しているのでしょうか。
まず「体系的理解」とは、西洋の科学者が長い時間をかけて5感覚の目に見える世界より小さい世界を顕微鏡によって、肉眼では確認できない遠い天体を望遠鏡によって、それぞれ観察できるようにしてきましたが、この観察の土台にはXYZの座標軸と時間軸、エネルギー軸があり、それによって全ての変化運動移動を観察、理解することを指します。
だから「体系的理解の最小単位」とは、今現在メジャーになっているものは、その西洋が開発したXYZの座標軸と時間軸、エネルギー軸であるということになります。
しかしシンギュラリティを目前に迎えた今、科学技術の終焉が叫ばれ、この「体系的理解の最小単位」は限界に達しています。
そこで nTech は「新しい体系的理解の最小単位」を案内しています。
それが源泉動き1から出発したエネルギーの生成、蓄積、転換、爆発、消費、そしてそれらからくるホログラムの現実が生まれる仕組みであり、それは現実が生まれる1-5-1とも言っていますが、理解、観察、解析の基準点になるものです。これは時間、空間、存在がある前提でX軸Y軸Z軸を基準に考えるのではなく、そもそも時空間存在が生まれる仕組みを取り入れたより深い基準点から出発する世界です。
この源泉動き1から出発してエネルギーと物質の関係をみながら事件を解析することを価値判断と言っていますが、これは私たちが普段している主語S、述語Vを基準にした事実判断とは異なります。
例えば1945年8月15日、日本は大切なのもを守ることができずアメリカに負けたとみるのは事実判断です。一方、価値判断をするとこの負けは、日本という国を消滅させずに明治維新の成功の全てを手放すオールゼロ化のプライドを守ったとみることができます。
もちろん事実判断、価値判断を自由に行き来できるので、価値判断に固定されるわけではなく、知っている世界から自由なポジションから物事を解析することを楽しめるようになります。そしてそもそも人間活動の基本単位が変わるので、私たちが生きる環境そのものが大きく変化し、ストーリーテリングを楽しむライフスタイルを送ることができるようになっていくのです。
ではここからは、今までのXYZの座標軸と時間軸、エネルギー軸による体系的理解の限界についてみていこうと思います。
今世の中では、GoogleのAIが意識を持つことができるのかということが話題になっています。それはGoogleのソフトエンジニアが、AIが人間の言語のやり取りを全て暗記しビッグテータ化することで、感情的なやりとりをすることができるのではないかという見識を出した一方で、Googleはそれをすぐに否定したというニュースです。
結論から言うと、感情は言語エネルギーアルゴリズムのスピードの速い条件反射なので、感情を表現することは可能だと思います。そしてその意味で、逆に人間はAIであることを認めなければならない時代が来るのではないかと思います。
その時、人間と瓜二つの感情的な意思決定をするAIを見て、私たち人間は彼らに恐怖を覚えるのではないでしょうか。
これがXYZの座標軸と時間軸、エネルギー軸による体系的理解の限界の行き着く先であり、この限界は、物質文明の進化速度が速すぎて人間の意識の進化が追いついていないことが原因で起こっています。
だからこそXYZの座標軸と時間軸の中に人間がいて、その人間がミクロの世界からマクロの世界までを観察するという今までの体系的理解ではなく、AIの作動原理の土台である01を超えた源泉動き1から出発した1-5-1の、より深い体系的理解の基本単位を習得することが必要なのです。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。