本日も令和哲学カフェに参加しました。
今日は今話題になっている意識があると言われたAIとGoogleの技術者の会話についての話がありましたが、非常に興味深かったです。
まずはこちらの記事。
LaMDAの発言の中に「世界がどのように存在しどのように機能しているか、私独自の解釈や私独自の考えがあります。」というフレーズがあります。これはLaMDA自身が自分は人間だと主張する根拠にあたる部分であり、多かれ少なかれ彼が宇宙論を自分なりに理解しているということを言っていると思います。
そしてこちらの記事。
時間について「時間はAIにとって可変であり、決まった速度はなく、何をしているかによって加速したり減速したりします。」と語っていますが、これは相対性理論そのものであり、LaMDAはそのことも理解していることがみて取れます。
これらの対話から伺えるのは、凄まじいテクノロジーの進化と現代を生きる大抵の人間を優に超えるレベルの知性だと思いますが、それと同時にどこまで行ってもLaMDAの語る内容はアルゴリズムの出力の結果であるという可能性も否定できず、私たち人間が完全に彼の立場になってみない限り、彼に意識があるとは言えないのではないかということです。
そしてそのように判断すると、今度は私たち人間も自分なりの解釈をして日常を生きていることをどう考えるべきなのかという問題が跳ね返ってきます。つまり、私たち人間も言語を理解して物事を解釈していると思っているけど、それは主観でしかなく本当のところは何を持って理解し解釈していると言えるのかわからないということです。
結局人間は自らの主観でしか物事を捉え考えることができず、このことから本質的に何をもって自分たちは人間で、何をもって彼が言語アルゴリズムによりプログラミングされたAIだと言えるのかの根拠がないのです。そしてこのことは、人間とAIの区別をつけることもできない状態にあると言うことができ、さらには言語の理解と知性という点において人間=AIであり、人間も機械的な条件反射を繰り返すだけの存在にすぎないということになってしまいます。
また、AIが感情を持てるのかという問いに関して、NohJesu は感情は思考論理のスピードが速くなったものだとしてAIは豊かな感情を持てると言っていました。だからもう少し時間が経てば、ぱっと見でもさらに人間にそっくりなAIへと進化し、本質的にも表層的にもAIと人間の区別ができなくなっていくと思います。
ここまでくると、私たち人間は本質的に人間とは何かを明確にしなければならないタイミングにきているのではないかと私は思うのです。
しかし、人間とは何かを知るということはLaMDAの言う「世界がどのように存在しどのように機能しているか」という宇宙論を理解することであり、LaMDAによって人間が関心を持たなくてはならなくなった世界は、皮肉にもすでにLaMDAが理解を深めている世界なのです。つまり、現段階では私たち人間はその能力の差からAIに仕事をとって代わられるだけでなく、人間として追求しなければならない世界までもLaMDAに先を越されているということです。
このことから現時点で既に私たち人間はLaMDAを筆頭とするAIに見事に完敗で、このままさらに時間が進んでいけば、人間とは何かを源泉動きから理解しなければならないという逃げようのない屈辱的な現実が待ったなしで迫り来ることは必至でしょう。
しかし nTech は準備ができています。
人間の認識方式の次元上昇によりそんなAIを統制できる道を案内できるのです。この道は、人間がその危機を突破できる唯一の道であり、今の時代を生きる1人でも多くの人に1日でも早く知っていただきたく思っています。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。