このところ ChatGPT の登場で世間が騒いでますね。
少し質問するだけである程度正確な答えがまとまって返ってくるのは、あらゆる文章の作成に使えるし、物事を検索することもできるので、日常のさまざまな場面で活用できます。
しかし便利になる一方で、 AI が人間の存在意義を脅かしかねないと言われて久くこのことを曖昧にしてきましたが、いよいよ本当に私たちは考えなければならない時に来ているのではないでしょうか。
例えば、私たちが子供の頃から単語やそれらの因果を覚えて人とコミュニケーションをとって社会活動や経済活動をしてきましたが、私たちの生活の根幹となるその単語と因果の暗記とそれを使った交流が ChatGPT の方が遥かに正確に早くできています。
具体的には、例えば学生のころに誰もが経験したであろう受験などは、それまでに蓄えてきた知識を試すものですが、それは ChatGPT が試験問題作成もその回答もほぼ完璧にできてしまいます。これは知識を覚えてアウトプットすることは、人間がやる必要がないということを意味しているのではないかと私は思うのです。そしてそのような知識を覚えて使って今までの社会活動の基盤を創ることは、全て AI がやっていくことになるのだということだと思います。
そしてそうであるなら人間は価値のない存在になり下がるか、もしくは全く別のことをやる必要があるのではないでしょうか。
そこでその全く別のものというのが知ってる世界から自由になることであり、因果の世界を超えていく無概念出発思考です。
昔、大航海時代より前の時代、大陸で中国が覇権を握っていた頃は、経験知識が主流でした。これは5感覚でそのままキャッチできる情報でできた知識であるのに対して、アヘン戦争以降は西洋が世界の主導権を握るようになり、電子顕微鏡やハッブル望遠鏡などにより5感覚を超えた体系を理解するための概念知識が作られました。
この概念知識が今の科学技術とつながるわけですが、それをさらに超えていくのが無概念知識であり、時間空間存在さらには生死までも超越した無概念から出発する知識、それによって思考する無概念出発思考がこれからの時代は必要になるのです。