
お久しぶりに令和哲学カフェに参加しました
彼はいろんな角度から言語について語ってくれていたけど、中でもイメージしやすかったのはシニフィアンとシニフィエ。これらはざっくりいうとイメージと実物のことで、これには必ずズレが生じてかろうじて言えることはAではないからBだということ。相対的にしかものごとを語れず、それそのものを規定することはできないということ。
言語の曖昧性を的確に指摘していると思いました。
でもこれは令和哲学から見たら映像スクリーンの中の分け方を語っているに過ぎず、彼自身も晩年自らの理論に苦しんでいたように明確な答えには到達していません。
言語の機能とは何なのかを考えたときに、人と人、すなわち宇宙と宇宙を繋ぐ間の機能こそがが言語が言語である理由であるように、宇宙自然を誕生させて、言語が1人の人生を誕生させているということ。
どんな言語を使うのかで人生が決定するとはこのこと❣️
壮大でした♪───O(≧∇≦)O────♪