宇宙水準点

若者を熱くさせる新経済と新教育について気づいたこと感じたことを綴っていきます

次世代の日本を担うリーダーシップ

よく次世代を担うリーダーシップっていうけれど、そもそもリーダーシップとはなんなんでしょうか

 

いろいろな観方はあると思うけど、観術ではそれは独立した意思決定再構築で牽引できることっていっています

 

そしてそのために、今の時代、今の自分をどう規定するかがすごく大切になります

 

まず今の時代をどうみるかですが

時代といったとき宇宙の始まりからみると137億年の歴史があります

人類の始まりからだけみても500万年

それで、歴史をみたとき集団の相互作用で今まできていますね

じゃあその集団がどうやって秩序を作ってきたかというと、大昔は神様基準で王様の判断基準が絶対、そのあとはお金で秩序立ててきました

だけどそれ、力で押さえつけているだけで実は根本の観点の問題は解決していません

 

現実に当てはめるなら今の日本がわかりやすい

明治維新以降アジアの近代化を目指していた中でせざるを得なかった太平洋戦争

アジアの植民地化を企む西洋と激戦を繰り返したのち敗北、悪者にされ悔し涙を飲んだ

敗戦後も日本人の精神を潰す教育に日本のモノづくりを潰すお金融経済で徹底的にやられている状態

 

この日本を代表とした世界の現在地を観術では歴史文明のカオスといい、観点の問題を発端としています

 

では次、自分をどうみるか

それは他者を明確にすることから始まる

分かり合えると思うのはナンセンス、自分とは全く違う存在であることをしっかり認識すること

そのように境界線があるのであれば出会えば戦争です

みえないけれど、一人一人が互いに戦争状態、心の血を流しながら常に要求しているのが今の人間だとNohJesuはいいます

 

自分をどうみるかは集団に対して個人のレベルですが、先ほどのこの時代をどうみるかのところと同じように個人のレベルでも観点の問題が働いています

 

なのでこの観点の問題をどう解決していくかがリーダーシップの鍵になってきます

そしてその鍵となるのが歴史文明のカオスに対しての宇宙自然のカオスです

 

宇宙自然のカオスは宇宙森羅万象を創造する1つの動きそのもの意志そのものです

1つというくらいだから境界線はゼロの世界

出会いなければショックなし、自分がどういう状態かも知ることができない世界です

この状態をイメージしてみてください

存在したくても存在できない状態がずっと続きます

 

境界線があるから問題になる世界と境界線がないから問題になる世界が融合すること

これをできることが独立した意思決定を可能にしこれからの時代を引っ張っていくリーダーシップを発揮する条件になるのです

認識経済のモデルが生まれにくい背景の考察

今回は一個人の観点として読んでほしい

というかいつも一個人の観点だけど、今回は特に

というのも人によってはあまり芳しくない現象の考察だからだ

あくまで私個人のつぶやきということでよろしくお願いしたい

 

今私たち人類は核戦争に行くか世界が1つに繋がるOneWorldに行くかの岐路に立たされている

 

そして私たちNRグループはその危機的状況をチャンスにひっくり返すべく新しい教育と経済を提案しているわけだが、その教育と経済というのが人を悟らせる人をつくる教育と、悟った人が今までにない商品を作って経済を回す認識経済だ

 

人を悟らせる人ということから、これから歴史の舞台に上がって活躍していくにあたって代表的なモデルが必要になる

実物経済でいえば新商品が発売になったらその商品を披露するように

 

でも今、私たちのNRグループではそのモデルがいないと言われている

誤解しないでほしいのは、いないからじゃあ失敗といいたいわけではない

私たちは意志そのものなのでどんな状況にあろうとも道を切り開くが、今日はそのモデルが生まれにくい背景を新教育の特徴と紐づけて考えてみたいと思う

 

モデルといっときに、まず必須なのは観点の問題を一番語れること

人を引っ張る力、人としての魅力というのももちろん必要だが、今は前者について考察したい

 

まず観点の問題を語れるようになるにはなにが必要になるだろうか

それは限界を感じること

壁にぶつかる時、必ず裏に観点固定が隠れているからだ

じゃあ一番観点の問題を語れるようになるにはなにが必要か

一番大きな限界、壁にぶつかってそれを突破することだろう

 

NohJesuは人間として生きる道がない最大の限界を突破し全て自分というアイデンティティに移動したから観点の問題を人類初で語れるようになったのだと思う

 

まあ創始者と同じようにいかないまでも、その大きな限界とはどんなものが考えられるだろうか

 

例えばビジョンに向かって走るなかで限界を感じるのが一般的だけど、そもそも走ることさえままならないという限界

 

突破しなければビジョンに向かって走ることさえできないような感情に掴まれているなど、行動しても感情レベルで完全にブレーキがかかっている状態

よく精神エンジンというけれど、これがなかなか自由になるのは難しい

というか自由になるのは普通無理という方が自然なほど

 

それでそれを突破しても今度、生命エンジンに掴まれ、そもそも人間として生まれた時に決定された運命から自由になれず走れない限界だ

例えばそもそもビジョンに向かう意志がないという状態とか

無意識で大前提の意志がないので、意識的にヤル気あって行動しても気持ちがついて来ず現実はなにもかわらない、そういった状態

 

これらは1つの例だけど、やり方や思い方レベルではなく、感情レベルやアイデンティティレベルで観点に掴まれて"走れない"という限界が大きな限界ではないだろうか

 

走れる中の限界で観点の問題を理解するのと、走れないという限界で観点の問題を理解するのとでは、問題の深刻さの理解が違う

だからそんな限界にぶつかる人が最も観点の問題を語れるようになると思う

 

しかし問題はその観点に掴まれて"走れない"ということ

走れないからこそ深く観点の問題を理解できるのに、同時に走れないから新しい時代を切り開いていく力になれない

そんなことが起こってくる

 

走る中で問題を理解していくのでもいいけれど、それではモデルとしては理解がいささか浅い気もする

だからモデルになる人間はそれくらい深い壁と出会う必要があるのだが、この壁をクリアするのがまた難しい

宇宙を消せば済む話だけど、完全に自由になるほどゼロ化するのは無意識的な決断が必要だから簡単ではない

 

そんな理由で観点の深い理解につながる限界にぶつかる人は、観点の問題を語る代表にはなりにくいといえる

モデルになるべき人はモデルにならない可能性がある

悟りの世界自体が特異点を通過することだから仕方のないことかもしれない

 

だけど先にもいったように私たちは意志そのものなのでモデルがいなければいないなりに対応する

なんとしても人類の明るい未来を切り開くために

後悔ない生き方も考えもの

昨日めずらしくリクエストがあったので喜んで書いてみたいと思います

 

みなさん、後悔ってしたことありますよね

今日はその後悔について私自身の気づきを綴っていきます

 

ちょいちょい言ったことあるんですけど、私33年生きてきてその生き方に"後悔"が0なんです

これをいうとすごいねとか、いい人生生きてるねとかいわれて、私自身もまあそうかなーって思ってたんです

 

確かになんにしろ躊躇なく選択できたし、失敗も失敗じゃないと思ってたし

 

だがしかーし!

最近その真相が明らかになったのですっ!

 

それはなぜ"後悔"がおこるのか、それを考えてみたらわかります

『ああしとけばよかった』って思うってことは、『ああできたのにしなかった』ってこと、すなわち『選択できる可能性があったのに選択しなかった』ということ

だから"後悔"の前提として自分の"可能性"を認めていることがあるのです

 

で、私

後悔0って言いましたけど、ということは自分の"可能性"を認めていないということになる

無意識で"可能性"を完全に否定していたことに気づいたわけです

そしてそれどころかいつも自分にとって正しい選択をしてきたし、失敗も0、いつも最高の道を歩んできたと思っていたのです

 

最高の理由が他の"可能性"を一切認めてなかったことであり、他の"可能性"を完全に否定することでその選択が必然的に最高にならざるを得ない

完全なあきらめがあるうえに、そこにはまったく気づいていない

それどころかそれがいいことだと思ってた

 

悲しくなってきますね、ほんと

 

でもね、観術さまさまじゃないけれど、別の観点からみたらそれも悪くない

過去可能性を潰してきたことには完全にとらわれないから引きずらず決別できる

そして今、可能性殺してその選択しかしないのか、それとも新しくできた選択肢を選んで可能性を広げるのか

 

これからは後者を選んでいこうと思う

認識商品を生むのに必須なのはなに?

認識商品を生むために必要なのはなにか

それはイメージです

 

オリジナルをつくる場合はもちろん最も明確なイメージをもつ人が精密に具現化できる

ほどけたイメージがある人がセッションを形にするし、歴史上の人物、時代などのイメージがある人がヌリ路の商品をつくる

 

オリジナルの場合、イメージが大切なのはなにも認識商品だけではないかもしれませんが

どういうことかといえば、たとえば車

車のイメージがなければ車をつくることはできない

それ以外にも身の回りにあるあらゆるモノがそうでしょう

最初につくるにはイメージが必要

 

じゃあもう一歩思考を進めてみましょう

オリジナルの次、コピーの場合はどうでしょう

 

今までのモノだったら目に見えるから見て観察すればオリジナルに近い、もしくは頑張ればオリジナルを超えるものはつくれたと思う

だけど、認識商品の場合はそうはいかない

というのはイメージが商品だから

 

オリジナルと同じイメージをもてるか、それが問題となってくる

イメージのない状態で単に言葉だけを発しててもそれは深さのないものになってしまう

車でいうなら実際に走る車なのか、レプリカで飾り物でしかない車なのかの雲泥の差がある

 

だからコピーするときは要注意、言葉をコピーするのではない、言葉の裏のイメージをコピーする必要があるのだ

 

セミナーだったら1のイメージを深めるとかいう言葉があるからわかりやすいけど、セミナー以外のことでも同じ

あなたが発する言葉一言にどれだけイメージが乗っているのか、それでその言葉の深さが決まるし、もっといえばあなたという人間の深さが決まる

よく人間が商品ですといったりするけど、そのことと繋がる

 

第16弾 JapanMissionProject in 札幌

少し遅くなりましたが、行ってまいりました札幌

前回横浜に続き札幌でのリレー講演です

 

残雪が溶けて春が訪れるように、人類史の寒い冬に終わりを告げ、希望に満ちた春が巡ってくるように観術のエネルギーを注ぐイベントとなりました

 

人類史に春を運ぶ観術の中核は1つの動き

1つの動きが個人を変える

1つの動きが社会を変える

1つの動きが世界を変える

 

全てが新しく生まれ変わる

その時まであと少し

 

アニメは時代の象徴

今日仕事で一緒の子と話してたらアニメの話になって、その子が言うには最近のアニメは面白くないとのこと

昔のと今ので何が違うのか聞いてみたけどなんかよくわからないといってたので、私なりに考えてみました

 

ちなみに昔のって言うのは80年代半ば頃のやつ、最近のっていうのは文字通り最近、まあ2014年以降くらいにしときましょう

 

単刀直入簡単にぱっと見のイメージを適当に挙げてみたいと思います

 

昔のやつ

①ダサい

②単純、勧善懲悪とか

③弱ささらけ出す

④心がアツい

 

最近のやつ

①カッコいい、カワイイ

②種類豊富

③スマート

④クール

 

こんな感じかな

なんかね、比べたら全然違うんですよね

 

まず①、文字通り昔のやつはダサい!登場キャラはもちろん乗り物、建物などなど

テキトーに書いただろって感じもしなくもない

今のやつはいろいろとスタイリッシュだし見栄えする

 

次②、昔のはストーリー性がわかりやすい、悪いヤツをやっつけるみたいな

今のは勧善懲悪もあるけど別のところに意図がある気もする

 

③、昔のは人間味溢れるというか、弱いところも強いところも包み隠さないのにたいし、今のは綺麗にまとまった感じ

 

④、昔のはキャラの中に人としての強さが見える

一方今のは人としての強さではなく、力的な強さがある

 

ざっとこんな感じ

 

こういう風に見ると時代を象徴しているように見えるんですよね

 

80年代半ばといえば高度経済成長期からバブル崩壊寸前といったところ

日本がモノづくりで世界を席巻していた時代

まずものづくりにアツくなっていたのはあったでしょう

それから弱み強みをオープンにしながら協力しながら発展してきたのもあったと思います

人間的なドロくささとか、ダサいという言葉で置き換えられそうなところもあったでしょう

 

一方で今

バブル崩壊後、30年近くが経ち、向かうべき方向性を見失った日本

向かう方向がわからず没入集中できないから頑張ることやアツくなることもない

さらに敗戦の影響でそもそも熱くなることをよしとしない、クールに結果を出すのがかっこいいことのような風潮

 

こんな感じ

 

私の観点からみたら、昔のものと今のものの違いを一言で表現するならキーワードは『深さ』だと思う

昔のものには見えないところに人間的な意思の強さがあった

だからその分アニメーションが下手でも通用したと思う

一方、最近のは見た目よくというところに力が入っていて人としての中身の描写は伝わってこないのが少なくない、要は表面的ということ

 

人間関係が希薄になって不信がはびこる時代、やはり人間的な深さのつながりが求められているのではないでしょうか

人間でいるということは屈辱と絶望しかない

人間には無意識エンジンがあるということはずっと前から話してきた

幼い頃に自分で決断したものだ

 

観点というやつだけど、観点って浅いものから深いものまでたくさんある

 

たとえば人間として生まれた瞬間に決定するエンジン

おぎゃあって生まれて呼吸をする瞬間にエネルギーを取り込む間ができる

その取り込んだ年月日時間のエネルギーでその人の運命がある程度決定される

四柱八字もそれで決定されるので木火土金水のエネルギー属性や相性なども決まる

 

そしてもっと深いのは人間になる前に決断している観点もある

動物の時、植物の時からずーっと繰り返しているもの

その観点があなたの人生を良くもすれば悪くもする

コントロールされているので自由な選択はできないし、AだったらBの条件反射、そうしたくなくてもせざるを得ない

 

観点に掴まれるということがどれだけ屈辱的で絶望的なことか!