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宇宙水準点

若者を熱くさせる新経済と新教育について気づいたこと感じたことを綴っていきます

祖父母の海

先週木曜日祖母が亡くなりました

昨日一昨日と通夜、葬式をしてきました

 

今感じることは幼いとき物心ついたときにはすでに祖父母の海にいたこと

亡くなるまでは当たり前すぎて気づかなかったけどいなくなってそうだったことに気づいた

別に何かから守られていたわけではないけれどその海の中にいた

そして今、その海は開かれ外の世界と直接繋がっていて、いつでも外に出ていける

いや、すでに外に出ているのかもしれない

自分の足で自由に進める外に

 

戦前にこの日本に生を受けて戦中を生き、そして戦後の高度経済成長を最前線で引っ張ってきた祖父母

その時々どんな気持ちで生きてきたのだろうか

それに私がJapanMissionProjectと直接関わることができるのも祖父母のおかげだと思う

そういうのを総合してイメージすると自ずとどちらに向かうべきかみえてくる

 

時がきたのかもしれない

 

 

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

嬉しかったこと

今日は甥っ子、姪っ子と話す機会がありまして、学校での話をちょっくら聞きました

 

その前に20年ぶりくらいに私の卒業した中学校の制服を彼らが着ているのをみましたが、セーラー服やカッターシャツじゃなくてポロシャツのようなトップスが制服になっていました

時代とともに大きく変わるものですね

一瞬部活帰りの服装かと間違えるほどでした😊笑

 

それで話した中で嬉しかったのは先生の話

中1と中2のときにお世話になった先生がいろんな学校を巡り巡って母校に戻って来たようです

 

それも1人は私の当時の観点から見てとっても素晴らしい先生だったんです

どんな人かというと、そりゃあもう怒ると怖い怖い、だけとそれは子供達に向き合う真剣さからくる厳しさだったと思います

どんな優秀な生徒でもしっかり怒ってた記憶があります笑

学業関係なくやはり人としてという倫理道徳的な側面での指導は大切です

教育者としてのあり方はしっかりしていらっしゃったのではないかなと思います

 

そしてもう1人は校長だそうです

そばで聞いてた母は年取ったらみんなそないなるんやってゆうてましたけど、でもお世話になった先生が母校の校長をされてるのは嬉しいことです

担任されてたときは面白い先生のイメージでしたけどね

いまは面白い校長になってるんでしょうかね笑

 

これから観術によって教育という側面でお世話になった先生方にお返しができると思うと嬉しくなりますね

死ぬとはどういうことか

最近ことあればNohJesuは"まず死ね"という

もちろん体の死、すなわち今までのイメージの死ではないことは当たり前

 

体がなくなってエネルギーまでほどける、それでまたそのエネルギーから結ばれて同じような判断基準を持った体で生きる

これを輪廻といっているけど、そのほどけるところを"死"といっている

 

じゃあなんでそれを"死"という単語を使っているのか

 

それはほどける前と後の自分に対するイメージの格差に原因があると思う

ほどけたしまったら、ほどける前の自分は完全に消滅してまったく新しい自分に生まれ変わる

 

消滅=いなくなるといってもいい

だから"死"という単語を使うのだ

 

そして生まれ変わるという言葉ゆえん"第2の誕生"という言葉も使う

ほどける前の自分は消失して、まったく新しい自分になって新しい人生がスタートする

 

ポイントはそれら"死"と"第2の誕生"という言葉の裏に"感覚"があること

本当にほどける前の自分は死んだんだ、それでほどけた後の自分は生まれ変わったんだという感覚

その感覚があるからこそそれらの言葉を使う

 

ただ言葉だけを聞いて使っていては表現が薄っぺらくなってしまう

変化といったときにどこまで自分が死んだ感覚があるのか、どこまで生れ変わった感覚があるのか、その感覚から表現することがとっても大切

 

感覚をもって話せばその感覚を相手にイメージさせることができる

次元の違う説得力を獲得できるのだ

NohJesuがひとつのイメージから話をするから私たちがその動きをイメージできるように

 

感覚があること、それがあなたという人間の価値を押し上げる

フィールドは天国か

フィールドにいたら話は聞いてくれるし、なに言っても大丈夫、それなりに活動していれば未来はとっても明るいし、楽しい

一見天国のように思えるけど、本当にそうなのか

 

いろんな観点があるから天国という見方は確かにあるけど、悟っていくプロセスとしてみた場合間違いなく天国とみていてはいけない

 

天国は無間地獄と観点地獄が合わさって表裏一体になったときに唯一生まれるのであってそれ以外は地獄でしかない

天国に行くためには対称の地獄をしっかりわかることが大切なので、その地獄を理解できるという意味ではフィールドは天国に行く準備をするところといえるが、まだ天国ではない

そこで満足していてはいけない

 

 ひとりひとりが本当に天国に行くためにどう地獄を理解するかが大事

考えレベルなのか感情レベルなのか、それともあり方レベルまで理解しているのか

 

考えレベルは頭ではわかる、論理的にはわかるといったレベル

感情までは落ちてないので自分と繋がったとはいいにくい状態

 

感情レベルは考えよりは深く、自分と繋がって理解しやすい

ただしその感情レベルにもピンからキリまである

どこまで本気で地獄だと感じるのか、一時感じてそれで終わるのか、慢性的に感じてある程度説得力をもった表現ができるのか、本当に八方塞がりで吐き気や体調不良を引き起こして無意識に別の観点を選択をする決断ができるレベルなのか

 

そしてあり方レベル

これは自分が地獄そのものになること、要はひとつの動きそのものになって無間地獄、観点地獄を感じるレベル

 

あり方レベルは今すぐには難しいので少なくとも感情レベルで実感することが大切

それももう生まれたくないですというくらいまで

 

その感覚があるうえでフィールド活動を楽しむこと、これが本当の天国にいくプロセスとして通る道だと思う

 

 

教育とはなにか

教育という言葉を聞いてふと考えたくなったので考えてみた

 

単刀直入にいうと教育とは本来"あり方を教えるもの"だと思う

 

子は親の背中をみて育つという言葉があるように、伝えようとして伝えるものでもなく周りの人間の考え感情表情言葉行動関係性からその根のあり方を感じて自らのあり方を育み大人になり、今度は逆にそのあり方からくるそれらを子供達に自然とみせてゆく

 

だから各教科を履修したらそれでオッケー、学んだものを使ってさらなる知識や技術を獲得して生きる

そんな学校教育は私からしてみたら生きてゆくための道具を渡すもので本当の教育とは言えないと思う

 

やりようによっては国語は登場人物の感情やもっと深いあり方まで汲み取ることもできるから、賢くやればある程度よいものかもしれないが、それでも教える人間にだいぶ左右されるのであてにはできない

 

また教育勅語が廃止される前、修身という科目があったと聞く

偉人たちの生き様や、まさにあり方を直接学ぶものだけど、これは戦前の日本人の精神や人間性を育み、あり方を教える教育として最高だったのではないだろうか

 

あり方がしっかりすることで生きる中の考え感情言葉行動関係性が自然にできてくる

生きることとはなにかを自然と学んでいたんだと思うし、だからこそいろんな意味で世界から讃えられる日本人のあり方が形作られたのだと思う

だけどそれも敗戦とともに廃止され薄っぺらい生きるための道具を与えるだけの教育になってしまった

 

そして戦後70年と少しして、日本人の精神が消えていく中誕生している観術教育

これが究極の教育であり、真の教育だ

なぜなら究極のあり方を教えるものだから

人間のあり方にとどまらず宇宙森羅万象のアイデンティティを規定し、その最も深いアイデンティティからどんな人間になってなにをするのかという人間のアイデンティティまで規定できるものだから

 

ある意味修身を究極までにアップグレードさせた教育ともいえるかもしれない

日本の精神を論理とイメージで伝える教育

それが本来の教育だろう

祖父母のメッセージ!?2

祖母の命が長くないと聞いてから感じることがある

 

最近になって初めから祖父母の海の中に育っていたんだと

 

物心ついたときにはすでに村の電気屋として成功していて頻繁に祖父母中心に親族が集まって宴会をしていた

それがずっと今まで続いた

当たり前すぎてなにも感じていなかった

 

だけど、祖父母がいなくなろうとする今、なにか自分にとって大きなものが消えてゆく、そんな感じがする

人としての祖父母がいなくなって悲しいとかそういう感覚ではなくて、今まで匿ってくれていたようななにかがなくなるような感覚

 

自分の足で立て、そして歩め

そんな風に言われている感じ

 

この感覚、何なんだろうか

 

別にそれがなくなって怖いわけではない、不安なわけではない

胸を張って前進していけるそんな気さえしている

まるで希望に向かうように

 

なぜこのタイミングなのか

私がJapanMissionと出会ったこと、祖父母が生涯成し遂げて感じてきたこと、それらが1つに繋がっているように思えてならない

 

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

だとしたら祖父母から受け継いだ全てをもって前に進もうと思う

目覚め

21年プロジェクトが終焉を迎える今、ちょっとアウトプットします

それはこれ

 

『私目覚めます!』

 

未来予測か⁉︎

って思ったそこのあなた!

 

その通り!

 

いや嘘です笑

 

はい、ここからは真面目に

なぜそんなことが言えるかというと、ある程度自分の生命エンジンを把握しているから

ほら、エンジンってパターンでしょ

要は条件反射、AだったらBの世界

だから予測できる

 

しかも、それは想像以上かもしれない

誰よりも先頭切って誰よりも熱くなってアメリカを超える日本創建に向けてエモーション全開に

 

『日本人が語るJapanMissionは私が先頭切って語ります』

 

そう言えるくらい

 

言っておくけどエゴで言っているわけではない

観点に掴まれて苦しみ悶えた末に言っている言葉だ

観点から自由でないことがどれだけ絶望的か実感した結果の言葉

はっきり言うけれど人生を生きるのはもうたくさん

それくらいの心で書いている

 

というのも人間の脳というのは最初のイメージに固定されるもの

だから私が日本を創るといっても人はどうしても無意識で以前のイメージでみてしまう

先頭切って日本を創建するという人間をどうみるか、それによって新しい日本がどう創られていくか決まってしまう

 

 そうならないためには逆に私個人がフィールドと出会ったときに生命エンジンを完全に突破していればよかったかもしれない

しかしそれは生命エンジンまでゼロ化する必要があったので簡単ではない

実際生命エンジンをわかっていても今も掴まれたままここまできているし

 

こんなことを言っているのは周りや自分を否定したいからではない

人類が新しい文明にいくか滅亡にいくかの岐路に立たされている客観的な視点でみた時に観点固定がどんなものかを言いたいのだ

 

もちろんその観点があるからこそ目覚めることがこできるから完全には否定しきれないが、観点から自由になるということは因果の中のアクセル以上にアクセルを踏めるのだ

 

そんなわけで観点に掴まれた人間で生きるのであれば互いに可能性を潰すし、一度潰してしまえば二度と取り返しはつかない

体人間に希望はない、一切

 だからこそ自分と自分の宇宙が消えることがどれだけ価値があるのかわかるのでもあるが

 

それらを実感した上でこれからアメリカを超える日本創建に全力投球する