宇宙水準点

若者を熱くさせる新経済と新教育について気づいたこと感じたことを綴っていきます

今語ります!絶望を♬

久しぶりに書きます

最近ちょっと別のことに集中してたので...

あ、別のことに集中といってももちろん革命活動ですよ😊

 

何かって?

 

それは内緒♬

こっそり蓄積してるのです😙

その時が来たらアウトプットしますよん!

 

はい、今日も書きます

自称絶望を語るブログ🤗

 

毎度のことだけれど、なぜ絶望を語るのか

それは希望にいくため

感じた絶望の分だけ希望にいけるから

小さい絶望には小さい希望

大きな絶望には大きな希望

絶望の深さに似合った希望がくるのは当たり前ですね

 

だから語ります、絶望を

希望にいくために

 

まず人間は死ぬのがいいですね

死ぬといっても今までのイメージの体の死ではありません

違った言葉で言うならあなたが消え失せること

消え失せて別人として生まれ変わること

 

具体的に進めるためにここからはイメージを使いたいと思います

 

イメージしてください

あなたが一番大切なもの

これだけは何があっても譲れないもの

 

ルームメイトは声って言ってましたね

役者さんだからこれがなくなったら死ぬってね

 

 

はい、イメージできましたか?

 

じゃあそのあなたにとって最も大切なものだけど、それ、完全に失います

完全に失って未来永劫2度と戻ってはきません

願っても、嘆いても、叫んでも戻ってきません

 

どうですか?

苦しいでしょ

苦しくて、悲しくて、辛くて、嘆きたい

そんな気持ちでしょう

 

でもそんな気持ちのあなたに消え失せることを要求する、言葉を変えれば死ねと強要する

 

それで消えて死ぬことができた人間は希望にいくのです

これが一般的にいう判断基準を手放すということ

 

だからね、はっきりいうけど変化=判断基準を手放すのって簡単なことじゃない

中途半端な苦しみだったら無理だから

自分が変わるしかないどうにもならない苦しみが必要なんです

それで極限の絶望を通過して初めてその絶望に見合った変化と希望があるんです

 

 

それともうひとつ

 

努力とはなにか

前にも触れましたけど、観点に掴まれていては努力は努力じゃありませんね

 

今から書くのはひとつの動き、神秘神聖、希望があることが大前提です

じゃないと厳しすぎることかもしれないので

 

脳の観点から見たら努力は素晴らしいです、もちろん

努力するから結果がついてくるし、私も頑張ってる人はとっても応援したい

 

だけどひとつの動きからみたら努力は努力するようにみえる観点の結果としての行為だから、あなた1ミリも努力してませんよ、の世界

苦労して頑張って結果を出しても、あなたの観点がその観点だから自然とそういう結果になってるだけ

 

だからいくらすごい結果を残した人でも努力なんてしていない

自らに働く不可抗力に気づかずただただ盲目的にやってその結果になっているだけ

 

逆もまたしかり
努力せず失敗してもそれもその観点の結果だから自然なこと

 

だから観点に掴まれていたら努力なんて概念は存在しない

操り人形だから

見えない道に支配されて動いているだけだから

あなたの一挙手一投足一言一句、すべて気づかないところで操作れているのだから

人間が悲惨残酷屈辱という所以だろう

 

それで強いて努力を定義するなら新しい道を切り開いて歩むことだと思う

それも行動レベルでは浅すぎてあまり役に立たないので感情レベルで

要は今すぐ歓喜で涙を流すほどの気持ちになるとか、この瞬間腹わた煮え繰り返るほどの怒りの気持ちになるとかそれができるようになること

それができるためには無意識の観点が変化しないと難しいかなって思うから、自由自在に観点を解いて結んでできるようになること

それが努力ではないかなと思う

 

はい、そんなことだから人間は努力も頑張ることもしてません

 

既に作られた道が車の行き先を決めるとか現実は映画とかいうけれどまさにそう

まっすぐ行きたいって思っても道が曲がってたら曲がらざるを得ない、あなたの意思なんて関係ない

映画もそう

君◯名はで三葉が独立して瀧くんを途中で嫌いになろうとしても、映画の結末は変わらない

三葉の私的な意思なんて関係なく映画は進む

 

人間は生まれた瞬間からレールの上を走る電車と同じ

本人の意思と関係なく決められたレールの上しか走れない

 

だから努力もなければ怠惰もない

 

現実を否定するっていうけどほんとにそう

現実はほんとに映画の世界

最初から最後までセリフと行動が確定している

周囲とどう相互作用するかも決まっている

あなたが独立して行動することはない

 

この残酷な状態をわかること

そんな人間の屈辱をわかること

それがわかれば宇宙が消える必要性が理解できる

sunsetとsunriseは同時に

始まりと終わりが同時にあるようにsunsetとsunriseも同時にある

 

2017年6月11日をもって私のウルトラ行きつけの中華料理屋が閉店する

 

ガガーンっ‼️

 

なんてこった、、、😱

これから私はどこへご飯を食べに行けばいいのだ😨

いつかの客がこの店なくなったら溝の◯なくなるっていってたけど過言じゃない!

このお店はsunsetしてほしくなかったんだけどなぁ、、

 

まあ決まってしまったことは仕方がない

 

2017年という年は激動の年

sunriseする組織があればsunsetする組織もある

もちろん私たちの観術勢力はsunriseするんだけど、個人的にsunsetしたこのお店の分までsunriseしたいと思います😁

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世の中の"できない"という言葉は本物か

世の中の"できない"という言葉は本物か

 

日常生きていると家のことや仕事のこと、たくさんしなければならないことがある

時間的な制約、能力的な制約、感情的な制約、いろんな理由があって手がつけられないものが誰しもがあると思う

そんな時に、手をつけられなかったことに対し当たり前だけれど"できなかった"って多分思うと思う

当然ながら私も毎日思う

 

だがしかし!

"できない"というのは本当に"できない"なのか

結論から言うと脳の観点から見て"できない"と思い込んでいるだけであって、ひとつの動きからみたらできないのではない"やらない"だけだ

自分が"やらない"選択をしてできなかったと言い訳をする、それが脳がやること

かなり厳しいけれど、脳の観点に掴まれるということはそういうこと

 

実際"できない"と思ってやってなかったとも、状況が変われば簡単にできることだってある

その時になってやらなかっただけだったって気づくのだ

気づくのだけれど、次同じような場面になると"できない"

だからどうにもならないでしょって思うかも知れないけれど、どうにもならないっていってる言葉の奥にはどうにかする気はない

それが脳の観点

 

人間の現在地を明確にわかること

それが間で生きるためのファーストステップであり人間の素晴らしさを理解するプロセスでもある

どうみるかの違いだけで絶望と希望は共にある

現実世界において唯一意味あることとは

はい、今日も少々スパイスの効いた辛口ブログです笑

 

タイトルからして現実の中のただ一つを除いては全て意味はないということになっちゃうけど、まあその通り

 

まあね、見る観点によっては意味あるという見方もあるけどそれも視点の広さによる

 

たとえば『この人生』といった視点で見た時

人生よくしたいといったときに思った通りの資格を取れたとか、できなかったことができるようになったとかそういう変化は意味あるといえる

 

でもその前提の『この人生』というくくりでみることに、どれだけの意味があるだろうか

 

それでさらに、そういう表面的なことではなく無意識の観点が原因で起こってしまういつものパターン、たとえば周りから否定的な反応がいつもくるとか、頑張ろうと思ってやってみるけど気持ちがどうにもいうこときかないとか、そういうのはなんとかしようって頑張ってもムダ!

意識的な努力でなんとかなるものではないから

 

なんとかしようとしている自分に満足したり、とにかく頑張るパターンをもっていてやり続けるならいいけどそれも結局自分のパターンの中

だからなにも解決していない

 

おまけにそのパターン、1年後、10年後は当たり前、来世、再来世もずーっとやり続ける

一生どころの話ではない

 

だから頑張ることを通して獲得するべきことは

よくなったり変化したりすることではなく、宇宙を消すことが唯一意味あることだと気づくこと

よくなるとか変化とかはその結果ついてくるおまけみたいなものだから

 

未来永劫、あなたが本来のあなたであるために

祖父母の海

先週木曜日祖母が亡くなりました

昨日一昨日と通夜、葬式をしてきました

 

今感じることは幼いとき物心ついたときにはすでに祖父母の海にいたこと

亡くなるまでは当たり前すぎて気づかなかったけどいなくなってそうだったことに気づいた

別に何かから守られていたわけではないけれどその海の中にいた

そして今、その海は開かれ外の世界と直接繋がっていて、いつでも外に出ていける

いや、すでに外に出ているのかもしれない

自分の足で自由に進める外に

 

戦前にこの日本に生を受けて戦中を生き、そして戦後の高度経済成長を最前線で引っ張ってきた祖父母

その時々どんな気持ちで生きてきたのだろうか

それに私がJapanMissionProjectと直接関わることができるのも祖父母のおかげだと思う

そういうのを総合してイメージすると自ずとどちらに向かうべきかみえてくる

 

時がきたのかもしれない

 

 

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

嬉しかったこと

今日は甥っ子、姪っ子と話す機会がありまして、学校での話をちょっくら聞きました

 

その前に20年ぶりくらいに私の卒業した中学校の制服を彼らが着ているのをみましたが、セーラー服やカッターシャツじゃなくてポロシャツのようなトップスが制服になっていました

時代とともに大きく変わるものですね

一瞬部活帰りの服装かと間違えるほどでした😊笑

 

それで話した中で嬉しかったのは先生の話

中1と中2のときにお世話になった先生がいろんな学校を巡り巡って母校に戻って来たようです

 

それも1人は私の当時の観点から見てとっても素晴らしい先生だったんです

どんな人かというと、そりゃあもう怒ると怖い怖い、だけとそれは子供達に向き合う真剣さからくる厳しさだったと思います

どんな優秀な生徒でもしっかり怒ってた記憶があります笑

学業関係なくやはり人としてという倫理道徳的な側面での指導は大切です

教育者としてのあり方はしっかりしていらっしゃったのではないかなと思います

 

そしてもう1人は校長だそうです

そばで聞いてた母は年取ったらみんなそないなるんやってゆうてましたけど、でもお世話になった先生が母校の校長をされてるのは嬉しいことです

担任されてたときは面白い先生のイメージでしたけどね

いまは面白い校長になってるんでしょうかね笑

 

これから観術によって教育という側面でお世話になった先生方にお返しができると思うと嬉しくなりますね

死ぬとはどういうことか

最近ことあればNohJesuは"まず死ね"という

もちろん体の死、すなわち今までのイメージの死ではないことは当たり前

 

体がなくなってエネルギーまでほどける、それでまたそのエネルギーから結ばれて同じような判断基準を持った体で生きる

これを輪廻といっているけど、そのほどけるところを"死"といっている

 

じゃあなんでそれを"死"という単語を使っているのか

 

それはほどける前と後の自分に対するイメージの格差に原因があると思う

ほどけたしまったら、ほどける前の自分は完全に消滅してまったく新しい自分に生まれ変わる

 

消滅=いなくなるといってもいい

だから"死"という単語を使うのだ

 

そして生まれ変わるという言葉ゆえん"第2の誕生"という言葉も使う

ほどける前の自分は消失して、まったく新しい自分になって新しい人生がスタートする

 

ポイントはそれら"死"と"第2の誕生"という言葉の裏に"感覚"があること

本当にほどける前の自分は死んだんだ、それでほどけた後の自分は生まれ変わったんだという感覚

その感覚があるからこそそれらの言葉を使う

 

ただ言葉だけを聞いて使っていては表現が薄っぺらくなってしまう

変化といったときにどこまで自分が死んだ感覚があるのか、どこまで生れ変わった感覚があるのか、その感覚から表現することがとっても大切

 

感覚をもって話せばその感覚を相手にイメージさせることができる

次元の違う説得力を獲得できるのだ

NohJesuがひとつのイメージから話をするから私たちがその動きをイメージできるように

 

感覚があること、それがあなたという人間の価値を押し上げる