宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

ヌリッショ〜参加者の数だけあるドキドキ〜

つい先日日韓交流フェスティバルヌリッショに参加してきましたが、それがとってもよかったのでちょっと書きたいと思います

 

世間的には反日嫌韓という風潮があるので、日韓交流と聞くとなかなか難しく思われるかもしれません

 

しかしこのヌリッショはそんな日韓関係だからこそ、大きなチャンスと捉え未来に向かって発信しているのです

互いに手を取り合いひとつに繋がることができる明確な代案を基に開催しているので両国にとってもそれぞれの個人にとっても希望の種なのです

 

そんなヌリッショですが、どんなイベントかというと、私が思うに5感覚的に見ると登壇者がいて参加者がいてって見えるけど実はそうではありません

その場にいた一人ひとりにそれぞれのヌリッショがあるのです

 

自分の身の回りに対し、社会に対し、世界に対し、どんな想いを持っているのか、どんな問題意識を持っているのか

それに対してこのヌリッショという場がどんな価値があるのか

 

そういった一人ひとりの意識空間をその場にいる人たちとつながりながら共有できる

それが日韓交流フェスティバルヌリッショ

希望を胸に繋がり合えるそんな温かい催しなのです

 

 

本当に私たち人類が平和に幸せに生きるためには、人間が人間で無くなるほどの変化が必要だと考えていた小学生の時

 

部活動の後輩によくなってほしいと願った大学生の時

 若者に夢と希望を持ってほしいと思った20代

 

日本の高度経済成長期に最前線で貢献した祖父母が自己否定しながら亡くなって日本の悔しさに涙した今年

 

これらの絶望や悔しさが観点の障壁というたったひとつの問題を突破することで、すべて解決されて希望へと向かってゆく

そんなヌリッショが私の中にはあった

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恋愛したくないのはなぜ!?

ネットでニュースを見てたらこんな記事見つけたのでちょっと書いて見ます。

 

恋愛したくない人急増中!そのワケとは?

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170723-00010006-tokyofm-life

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こちらの記事では該当する人の一人一人の声が書いてありました。

 

確かに今のご時世恋人いない人の割合が高くなってきているとよく聞きます。

私の周りの人を見渡してもその傾向はあるようです。

 

でもなぜそのような事が起きているのでしょうか。一昔前と今の時代ではなにが違っているのでしょうか。

 

それは私が思うに、その理由の一つに情報過剰により一人一人を取り巻く環境が厳しくなっている事があげられるのではないでしょうか。

 

一昔前までは一人の認識できる世界は広くなく、情報量もそれほど多くなかったでしょう。

ところが、インターネットの普及による情報の過剰な供給に加え、スマートホンによっていつでもどこでもその情報に晒されるようになりました。

 

人間の脳は

①部分だけを取り

②違いだけを取り

③過去とつなげてとる

のでその結果、情報の量だけ判断基準が増え、他との相対比較が激化していくのです。

そして副次的にジェラシー、諦め、挫折、うつなどが起こってきます。

また判断基準が増えて厳しくなったことで人と人の摩擦衝突も増え、疎通交流が難しくなっています。その結果、孤独、阻害、無気力、無感動などの無縁社会にもなりやすいでしょう。

 

このように考えると現代人の心は傷だらけで、他人を想う余裕なんてありませんね。

恋愛したくないという気持ちは十分すぎるほどにわかります。

 

そしてさらに話を進めるなら、恋人だけにとどまらず、家族、友人、同僚など、他の人間との関わりも積極的に持ちたくなくなる可能性も低くないでしょう。

 このような状態を放っておいてはそう近くない将来社会秩序の存続自体が危ぶまれるようになってきます。

 

少し話を広げすぎましたが、深く観ればインターネットやスマートホンなど科学技術の進化が、結果的に恋愛したくないという現象につながっていると思うのです。

 

ではこのような問題をどのようにして解決すればいいのでしょうか。

まさか時代の流れを巻き戻し、触れられる情報量を減らすというのは不可能に近いでしょう。

答えは氾濫した情報の分だけある判断基準をゼロ化することです。

判断基準をゼロ化することで人と人が摩擦衝突なしに深くから繋がれ信頼しあえる関係を創ることができます。

 

観術(認識技術)は判断基準をゼロ化させる道を案内し、恋愛だけにとどまらず、あらゆる人間関係を改善することができるのです。

セッション勉強会に行ってきました♬

久々の投稿。

 

今日は無意識エンジン発見セッションの勉強会に行ってきました!

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正直なところ行かなくてもいいかなって思ってたんですけど、行ってみるととってもよかったですね。

 

行かなくてもいいって思ったのは、エンジン発見セッションはある程度やれると思っていたから。

セッションって自分の中が整理整頓できてる分だけ相手の中を整理整頓できるもの。

 

①観点のことわからずにセッション施術する。

②観点のこと明確にわかって施術する。

③観点のこと明確にわかって、さらにそこから完全に自由になったところから施術する。

 

①〜③はそれぞれ次元が違うので、施術者がどこまで確信持って向き合うかで説得力とか伝えられるものが違うんです。

 

でもその確信って固定しやすいから裏を返せば危険にも繋がるんですよね。

 

そんな中で今日の勉強会。

他の人がどんなイメージを持ってセッションしているのか、今日はそのことをみんなでシェアしあってきました。

そんな中で自分にはない観点がどんどん出る!

 

なるほどー!みんなそんな風にやってるのかーって😊

 

確信も大事だけど、how to も同じくらいだいじですね!

今日はそれに気づかせてもらいました。

 

やっぱり常に他を取り入れることって必要なんだなーって改めて教えてもらいました😊

法事と決断の確認

先週末、法事で実家に帰った時のこと

 

私には高度経済成長期に町の電気屋をしていた祖父母がいました

まあ2年前に祖父、今年5月末に祖母が亡くなったのですが

 

その祖母の法事でのこと

 

帰宅すると早々に祖母のところに行って写真の前に座りました

 

物心ついた頃には祖父母の海の中にいたので私の根は100%祖父母からきたもの

だからそんな祖父母がいなくなるとなにも感じずにはいられないんですね

 

自分の根っこがなくなった感じ、今までの自分が消失した感じ

虚無感といえばそれなりに当てはまるのかもしれない

だけど、『それなり』と言うだけあってただ虚無なだけではない

 

とうのは同時に感じることがあるから

それは一つの時代が終わったということ

その感覚がフツフツと心の底から湧いてくる

 

祖父は大正生まれ、戦前に生を受け、太平洋戦争の間10代後半だったと聞く

昔祖父から戦争の話を聞いたことがあるが、そのとき自分も早く戦争に行きたかったそうだ

今から思えばまさに『日本人』だったのだろう

だけれどまもなく終戦、戦後復興を経て高度経済成長期へと行くわけだが、敗戦の結果アメリカの影響をもろに受けることになる

そんな中で町の電気屋をやっていたわけだ

祖父は真面目だった

来る日も来る日も一生懸命働いたそうだ

祖母がそう言っていた

その証拠に2年前の祖父の葬式には一番大きな部屋にも入りきれない数の人が来てくれた

信頼と人望があったのだろう

 

そしてその2年後、祖母も後を追った

 

一つの時代が終わった、と言ったけれど、それは祖父母の時代、もっといえばアメリカの影響を受ける時代が終わったのだということ

 

根っこがなくなって、というのは根っこが切れて、とも表現できる

私は過去の私から自由になった

祖父母に縛られ(悪い意味ではなく)ていた状態=アメリカに縛られていた状態から解き放たれた、そんな感じがするのだ

 

今なら自分の足で歩ける

どこへでもいける

 

 

電気屋をたたんでから祖父がよく言っていたことがある

それは、年寄りははよ死んだらええ、だ

来る日も来る日も町の人に貢献して信頼と人望を獲得してきた人間が言う言葉か!

世界経済を席巻するほどの日本を最先端で担ってきた人間が言う言葉か!

私は悔しい!

 

完全にアメリカにやられている

 

だから祖母が亡くなった5月末、私は決断した!

2度と自己否定できない日本を創る!と

 

根っこが切れて自由になった私はどこへ向かうのか

それは新しい日本を創る道だ!

2度と自己否定できない、若者が心の底から私は人生これにかける!と胸張っていえる日本にする!

 

その決断を改めて祖母の前でする時間になった

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語ります!絶望を♬

久しぶりに書きます

最近ちょっと別のことに集中してたので...

あ、別のことに集中といってももちろん革命活動ですよ😊

 

何かって?

 

それは内緒♬

こっそり蓄積してるのです😙

その時が来たらアウトプットしますよん!

 

はい、今日も書きます

自称絶望を語るブログ🤗

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毎度のことだけれど、なぜ絶望を語るのか

それは希望にいくため

感じた絶望の分だけ希望にいけるから

小さい絶望には小さい希望

大きな絶望には大きな希望

絶望の深さに似合った希望がくるのは当たり前ですね

 

だから語ります、絶望を

希望にいくために

 

まず人間は死ぬのがいいですね

死ぬといっても今までのイメージの体の死ではありません

違った言葉で言うならあなたが消え失せること

消え失せて別人として生まれ変わること

 

具体的に進めるためにここからはイメージを使いたいと思います

 

イメージしてください

あなたが一番大切なもの

これだけは何があっても譲れないもの

 

ルームメイトは声って言ってましたね

役者さんだからこれがなくなったら死ぬってね

 

 

はい、イメージできましたか?

 

じゃあそのあなたにとって最も大切なものだけど、それ、完全に失います

完全に失って未来永劫2度と戻ってはきません

願っても、嘆いても、叫んでも戻ってきません

 

どうですか?

苦しいでしょ

苦しくて、悲しくて、辛くて、嘆きたい

そんな気持ちでしょう

 

でもそんな気持ちのあなたに消え失せることを要求する、言葉を変えれば死ねと強要する

泣きっ面に蜂なんて言葉がありますがそんなレベルじゃないどうしようもない境地 

 

そこで消えて死ぬことができた人間は希望にいくのです

これが一般的にいう判断基準を手放すということ

 

だからね、はっきりいうけど変化=判断基準を手放すのって簡単なことじゃない

中途半端な苦しみだったら無理だから

自分が変わるしかないどうにもならない苦しみが必要なんです

それで極限の絶望を通過して初めてその絶望に見合った変化と希望があるんです

 

 

それともうひとつ

 

努力とはなにか

前にも触れましたけど、観点に掴まれていては努力は努力じゃありませんね

 

今から書くのはひとつの動き、神秘神聖、希望があることが大前提です

じゃないと厳しすぎることかもしれないので

 

脳の観点から見たら努力は素晴らしいです、もちろん

努力するから結果がついてくるし、私も頑張ってる人はとっても応援したい

 

だけどひとつの動きからみたら努力は努力しているようにみえる観点の結果としての行為だから、あなた1ミリも努力してませんよ、の世界

苦労して頑張って結果を出しても、あなたの観点がその観点だから自然とそういう結果になってるだけ

 

だからいくらすごい結果を残した人でも努力なんてしていない

自らに働く不可抗力に気づかずただただ盲目的にやってその結果になっているだけ

 

逆もまたしかり
努力せず失敗してもそれもその観点の結果だから自然なこと

 

だから観点に掴まれていたら努力なんて概念は存在しない

操り人形だから

見えない道に支配されて動いているだけだから

あなたの一挙手一投足一言一句、すべて気づかないところで操作れているのだから

人間が悲惨残酷屈辱という所以だ

 

それでも強いて努力を定義するなら新しい道を切り開いて歩むことだと思う

それも行動レベルでは浅すぎてあまり役に立たないので感情レベルで

要は今すぐ歓喜で涙を流すほどの気持ちになるとか、この瞬間腹わた煮え繰り返るほどの怒りの気持ちになるとかそれができるようになること

それができるためには無意識の観点が変化しないと難しいかなって思うから、自由自在に観点を解いて結んでできるようになること

それが努力ではないかなと思う

 

はい、そんなことだから人間は努力も頑張ることもしてません

 

既に作られた道が車の行き先を決めるとか現実は映画とかいうけれどまさにそう

まっすぐ行きたいって思っても道が曲がってたら曲がらざるを得ない、あなたの意思なんて関係ない

映画もそう

君◯名はで三葉が独立して瀧くんを途中で嫌いになろうとしても、映画の結末は変わらない

三葉の私的な意思なんて関係なく映画は進む

 

人間は生まれた瞬間からレールの上を走る電車と同じ

本人の意思と関係なく決められたレールの上しか走れない

 

だから努力もなければ怠惰もない

 

現実を否定するっていうけどほんとにそう

現実はほんとに映画の世界

観点に掴まれていては最初から最後までセリフと行動が確定している

周囲とどう相互作用するかも決まっている

あなたが独立して行動することはない

 

この残酷な状態をわかること

そんな人間の屈辱をわかること

それがわかれば宇宙が消える必要性が理解できるし、宇宙が消えることがどれだけ希望なのかもわかるはず

sunsetとsunriseは同時に

始まりと終わりが同時にあるようにsunsetとsunriseも同時にある

 

2017年6月11日をもって私のウルトラ行きつけの中華料理屋が閉店する

 

ガガーンっ‼️

 

なんてこった、、、😱

これから私はどこへご飯を食べに行けばいいのだ😨

いつかの客がこの店なくなったら溝の◯なくなるっていってたけど過言じゃない!

このお店はsunsetしてほしくなかったんだけどなぁ、、

 

まあ決まってしまったことは仕方がない

 

2017年という年は激動の年

sunriseする組織があればsunsetする組織もある

もちろん私たちの観術勢力はsunriseするんだけど、個人的にsunsetしたこのお店の分までsunriseしたいと思います😁

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世の中の"できない"という言葉は本物か

世の中の"できない"という言葉は本物か

 

日常生きていると家のことや仕事のこと、たくさんしなければならないことがある

時間的な制約、能力的な制約、感情的な制約、いろんな理由があって手がつけられないものが誰しもがあると思う

そんな時に、手をつけられなかったことに対し当たり前だけれど"できなかった"って多分思うと思う

当然ながら私も毎日思う

 

だがしかし!

"できない"というのは本当に"できない"なのか

結論から言うと脳の観点から見て"できない"と思い込んでいるだけであって、ひとつの動きからみたらできないのではない"やらない"だけだ

自分が"やらない"選択をしてできなかったと言い訳をする、それが脳がやること

かなり厳しいけれど、脳の観点に掴まれるということはそういうこと

 

実際"できない"と思ってやってなかったとも、状況が変われば簡単にできることだってある

その時になってやらなかっただけだったって気づくのだ

気づくのだけれど、次同じような場面になると"できない"

だからどうにもならないでしょって思うかも知れないけれど、どうにもならないっていってる言葉の奥にはどうにかする気はない

それが脳の観点

 

人間の現在地を明確にわかること

それが間で生きるためのファーストステップであり人間の素晴らしさを理解するプロセスでもある

どうみるかの違いだけで絶望と希望は共にある

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