宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

正しい絶望をするために知るべき人間の現在地

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今日は「正しい絶望」に到達するために必要なことついて書きたいと思います。

 

まず表題にある絶望が単なる絶望ではなくて「正しい絶望」ということですが、これは一体どういうことなのでしょうか。

 

この表現の裏には、実は人間には本来到達すべき究極の希望があるのですが、大前提、未だそこには到達できていないという現実があるのです。そしてその究極の希望に到達するためのカギが「正しい絶望」なのです。

 

今回はその「正しい絶望」を知る前に、まずは今私たち人間がどのような現在地にいるのかを見ていきます。

 

私たち人間は今まで少しでも多くの幸せを獲得しようと日々あくせくしてきたと思います。しかし望む幸せを獲得したと思っても一定期間が過ぎると状況が変化して、また絶望するということを繰り返してきました。

 

例えば、想いを寄せる恋人と出会って交際を始めたとすると、初めは幸せいっぱいですが時間が経てば関係性が変化していきます。そしてやがては喧嘩が多くなり最後は別れることになってしまうなんてことはよくあることだと思います。これは会社や家庭での出来事でも同じことが言えます。

 

また、幸せになるために何かしらの目標を立てて一生懸命努力して達成したとしても、すぐに物足りなくなってしまい、次にまた足りない点を見つけては目標を立てようとすることがあると思います。この場合、目標はどんどんエスカレートしていくばかりで永遠に続いていってしまいます。

 

例えば億万長者になったとしても、もっといいパートナーと出会いたい、もっと名誉や地位の獲得できる結果を残したいなど、終わりのない欲望が湧いてくるでしょう。これは、どこまで行っても出発の ID ができない・足りない・わからないの自分であるから起こってしまうことなのです。

 

このように人生を見れば、人間は一喜一憂を繰り返したり、足りないものを補おうと走り続けてきたことが伺えます。言葉を変えるなら人間は、中途半端な絶望と中途半端な希望をずっと行き来してきたのだということです。このままいけば未来も同じことを永遠に繰り返すことになってしまうでしょう。

 

ここからは「正しい絶望」を獲得するための、さらに細かい人間の現在地を見ていきます。

 

人間の現在地1:1分1秒も見ている現実を共有できない

 

まず、人間は誰1人として1分1秒も自分のみている現実を他の人と共有したことがないし、共有しようと思っても不可能だということです。

 

一般的に私たちの認識している宇宙は138億年前のビッグバンで生まれ、以来銀河系、太陽系、地球、生命、そして人間と、あらゆる存在はその1度のビッグバンを皮切りに生まれたと考えられています。そしてその理論では、宇宙は1個だけ存在していてその中で複数の人が同じ1つの宇宙を共有しているということは、疑う余地のない事実となっています。

 

しかし、その1個の宇宙を共有しているという事実は実は思い込みに過ぎません。AさんにはAさんの宇宙、BさんにはBさんの宇宙、CさんにはCさんの宇宙というように、一人一人自分にしかみれない自分の宇宙を見ているのです。そして、そうであるにも関わらず、みんな自分と同じ宇宙をみていると信じて疑わないのです。

 

例えば以下にカップの写真が2つあります。これら2つの写真は同じカップを角度を変えて撮ったものです。

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この写真に見えるように、Aさんは把手の見える角度から、Bさんはそれが見えない角度からそれぞれこのカップをみているとすると、同じカップをみていても違うように見えてしまいます。

 

少し譲って例え同じ角度から見ていたとしても、人間の脳は一人一人違うのでこれもまた色や形など微妙に違って見えてしまうので、AさんとBさんには全く同じカップに見えることはありません。

 

また、ある人から見たら可愛らしいチェリーの柄が入っているので、花を生けて花びんにするといいと思うかもしれないし、またある人から見たら可愛らしすぎて私には合わないと思うかもしれません。

 

このように同じものを見てもどの立ち位置でみるかによって、見え方も違えば浮かぶ考えも違ってくるのです。

 

だから同じ空間にいて同じ出来事を経験したと思っても、全く違って見えているし、どう捉えるかもバラバラです。例えば仲のいい友人と同じ趣味を持って共有共感したと思っても、それは思い込みであり真実には心を通わせることはできていないのです。

 

これにより人間関係は、一時的に共有共感できたと思ってもいずれはその思い込みのズレに気づき失望してしまう、一喜一憂を繰り返さざるを得ないのです。

 

1分1秒も誰とも共有共感したことがないから本当の出会いを1度もしたことがない。この状態で生まれては死んでを繰り返してきたのが人類だったのです。

 

人間の現在地2:ありのままの世界を見たことはない

 

ここからはまた違う角度から考えてみます。

 

私たちの生きる現実には無数の波長の光が存在しています。そのうちの5感覚の目で捉えられる光を可視光線と呼び、波長の長い順に赤橙黄緑青藍紫の色に分類されています。そして赤色に見える光より波長の長い光を赤外線、紫色より波長の短い光を紫外線と言っています。またそれ以外にもX線γ線宇宙線などさまざまな光が存在しています。

 

問題なのは、可視光線以外にも光は存在するのに5感覚の目には見えていないということです。私たちは可視光線の反射をキャッチすることで存在を認識するので、見えている現実はごく一部分だということです。

 

また、もしX線をキャッチする目でこの現実を見ていたらどう見えるでしょうか、赤外線をキャッチする目だったらどう見えるでしょうか。それぞれ、皮膚に覆われた今までの人間は骨で見えるでしょうし、体温によって色分けされて赤やオレンジに見えるでしょう。

 

そしてさらには、電子顕微鏡のようなごく小さな世界を覗く目で見ていたなら、物質は原子の並びで見えるかもしれません。

 

このように条件状況によって見える世界はコロコロと簡単に変わるのです。

 

しかし、このような少し考えれば当たり前だと思うことでも、私たち人間は普段の生活では無意識で過不足なく見ていると思い込み、見えている現実が絶対だと握りしめているのです。

 

この話はあくまで5感のうちの視覚について書いたものであり、残る4つの感覚でも同様のことが起こっているのはいうまでもありません。

 

このように、人類は誕生以来700万年間、ありのままの世界を見たことは一度もないのです。

 

人間の現在地3:脳の認識のクセ

 

ではさらに、ここからは人間の中枢を司る脳についてみていきましょう。

 

早速ですが、以下の写真に写っているのは何に見えるでしょうか。

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おそらく多くの人が「プリン」と答えると思います。

 

では次に、下の写真のように2つ並べてみます。

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そうすると上が大きく見えると思います。上の方が微妙に大きいのでは?と思うかもしれませんが、下の写真をご覧ください。

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この写真はノートのラインにプリンの左端を合わせて置いています。これで上下ともだいたい大きさは同じであることがわかります。しかし、このように同じ大きさであるとわかっても上が大きく見えてしまいます。

 

このように見えてしまうのは、実は以下の4つの脳の認識のクセが働いているからなのです。

 

1. 部分だけをとる

2. 違いだけをとる

3. 過去とつなげてとる

4. 有限化してとる

 

まず「1. 部分だけをとる」は上下に置かれたプリンの写真で、脳は全部を見ていると見せかけて、実は上のプリンの底辺と下のプリンの上辺のあたりの一部分しか見ていないのです。

 

そして「2. 違いだけをとる」は、その一部分を上の方が長くて下の方が短いと違いをとって、適当に底辺が長い上のプリンの方が大きくて、上辺が短い下のプリンが小さいだろうと勝手に編集して見せてしまうのです。

 

また最初にプリンと答える人が多いのではないかと言いましたが、これは「3. 過去とつなげてとる」機能が作用しており、過去にプリンを見たことがあるから写真を見てプリンと答えることができるのです。もしプリンを見たことない人が聞かれたら、まずその回答はできないはずです。

 

そして最後、脳は「4. 有限化してとる」ために境界線を引いて、ここからここまではプリンであり、それ以外の部分はプリンではないと認識します。

 

ここまでを読んで、これはよくある錯覚の話だと思うかもしれません。しかしこのプリンだけでなく、見ている現実全てに脳の認識のクセが作用しているのです。だから人間は可視光線の中でも真実を見ることができていないのです。

 

またさらに、この錯覚は視覚的なものだけにとどまりません。例えば心情的な相対比較さえも引き起こします。

 

例として、子供に囲まれている自分をイメージしてください。一般的には気持ちに余裕があって、可愛いなとか、いっぱい交流してあげたいなとか思うと思います。しかしそれとは逆に大物政治家や大物経営者に囲まれている自分を想像すると、先ほどとは打って変わって居心地が良くなかったりします。自分はここにいていいのかなとか、場合によっては萎縮してしまうかもしれません。

 

このように、自分と他人を無意識に比較した結果、自分の方が大きいとか、自分の方が小さいなどと相対的に自分を決めつけて感情までも無意識に生んでしまうのです。

 

ですから私たちは認識のクセをもったこの脳を使っている限り、たったの一度もありのままの真実を見ることができないのです。現実にある色や模様、境界線、そして形など全ては自分の脳が創り出した虚像なのです。

 

人間の現在地4:男性性の文化DNAしか使っていない

 

DNAという言葉は誰もが知っていると思います。生命の遺伝情報を伝達する部分はだいたいDNAで作られていると言われていますが、このDNAには生命を司る生命DNA以外に文化DNAというものが存在します。

 

この文化DNAは、歴史をつむぐ体の外のDNAだと思えば分かりやすいでしょう。そして、この文化DNAには2種類あるのですが、実は人類は700万年間2つあるうちの片方だけしか使ってこなかったのです。

 

そしてその片方だけ使ってきた文化DNAというのが共同注意(共同注視)というものです。これは「ほら見て」と誰かが指を指し示すと、人間はみんな同じところを注目するという性質であり、動物にはない人間特有のものです。

 

この性質により複数人で共通のターゲットに集中することができるので、人間は自分たちよりも強い動物をチームプレーによって制圧することに成功したのです。ところが動物を制圧できた一方で、今度はそれが原因で戦争の歴史を歩まざるを得なかったという事実もあります。

 

共同注意(共同注視)は人間同士でもターゲットにフォーカスするので、裏を返せば争いの火種になってしまうのです。そこで700万年間使ってこなかったもう片方の文化DNAが重要になってくるのです。

 

これら2つのDNAのうち、今まで使ってきたものを男性性の文化DNA、そして未だ使っていないものを女性性の文化DNAと便宜的に呼んでいます。

 

まとめ

 

以上のように私たち人間は誰しもが、誰1人として1分1秒さえも他の人と共有することのできない自分だけの宇宙、しかも真実が覆い隠された虚像の宇宙の中で生きているのです。その上で男性性の文化DNAだけを使っているので、争いが絶えないというのが基本的な人間の現在地なのです。

 

このような現在地で、幸せになりたい、幸せにしてあげたい、誰かの役に立ちたいなどと多くの人は一生懸命になっているのです。

 

アインシュタインの残した言葉に「いかなる問題もそれを生み出した同じ意識によって解決することはできません」というものがあります。

 

これは何が言いたいのかというと、その幸せになりたい、幸せにしてあげたい、誰かの役に立ちたいなどというのは、中途半端な問題(絶望)を解決するために中途半端な解決策(希望)を提供しようとする行為であって、根本的な解決(本当の幸せ=究極の希望)には至らないのだということです。そしてさらに解決しないがために、いつまで経っても中途半端な絶望と中途半端な希望を永遠に繰り返してしまうのだということです。

 

またアインシュタインは「1時間後に地球が滅亡するとしたらどうしますか?」という質問に対して「55分は根本問題の発見に使って残り5分で解決策を導きだす」と言っています。

 

これは多くの人は何か問題が起きるとすぐに解決しようとして解決策に飛びつきがちですが、本当に大事なのは、なぜそのようなことが起こってしまったのかの根本原因を突き止めることです。それさえ明確になってしまえば、あとは解決策は自ずと導き出されるからです。

 

だから幸せになりたい、幸せにしてあげたい、誰かの役に立ちたいなど中途半端なところに着目するのではなく、それらの問題を引き起こす根本原因である人間の現在地を明確にわかること、これが本当に大切なのです。

 

本日も長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。