宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパーダ"犀の角"のnTech からみた勝手な解析①

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今日は初期仏教の経典の中でも、現存する最古の経典と言われているスッタニパータの中にある犀の角について書きたいと思います。

 

まずこのスッタニパータが何なのかというと、釈迦が出家後、悟りの世界を得てそれを人たちに説いているときに言っていた言葉(詩)をまとめたものです。釈迦の生きた時代は基本的には物事は丸暗記だったそうなので、このスッタニパータは釈迦の弟子が記したものが大部分であると言われています。

 

そんなスッタニパータの第1章に犀の角が収録されていますが、この犀の角は、全部で41の詩文があり、一部を除き「犀の角のようにただ独り歩め」の言葉で締め括られています。その内容は、釈迦が得た悟りの世界から見たときに、この現実とどう向き合うべきなのかについて、さまざまな例えを用いてうたったものになっています。

 

そして、なぜ今スッタニパータ犀の角を取り上げるのかというと、今の時代背景が大きく影響しています。

 

私たちの生きる今の時代は、人類が幸福を追求するために、宗教、哲学、科学などあらゆるものを開発してきにもかかわらず、理想的な幸福には到達しないまま、個人の鬱や自殺、生きるモチベーションの低下から、世界の貧富の格差や環境汚染、戦争の問題など、あらゆる問題が山積みの状態と言えるでしょう。

 

また、誰1人として1分1秒も同じ世界を見ていない人間たちをどうまとめて秩序をつくっていくかという問題に対して、今までは暴力や財力を使って無理矢理言うことを聞かせてきました。その結果、個人では鬱・自殺・殺人などの問題が後を絶たないどころか増加傾向にあり、組織においても、生き残りを掛けた激しい戦いが繰り広げられ、負けたところは絶望の谷に転落していくような崖っぷちの状態です。

 

そしてここ数年は、その状況に追い討ちをかけるかのように、コロナパンデミックという未曾有の事件が勃発。日本においては政府のお金を使わないと生き残れない個人、家庭、企業が続出し、行き詰まるのは時間の問題というような状況です。世界においても未だポストコロナの確固たる突破口は見つけられずにいます。

 

これらのような世界の現在地から、以下のような問題が考えられます。

人類が追い求めている本当に理想的な幸福とは何なのか。誰1人1分1秒も同じ世界を見ていない人間の問題を正しく解決し、理想的な秩序をつくるためには何が欠けているのか。そして、このコロナパンデミックの危機を突破できる揺るぎない代案とはどんなものなのか。

 

今の時代は、これらの課題を全てクリアできなければ、この先長くても2050年には地球上に人類は住めなくなると言われています。簡単にいえば人類滅亡ということです。だからこそ、これらの問題を確実に突破することは死守すべき項目なのです。

 

そしてそこに対して明確な代案となる概念、それは人類歴史上で聖人といわれる人たちが説いた世界だと私は思います。

 

今回、スッタニパータ犀の角を取り上げるのは、その聖人の代表格である釈迦が、わかりやすく例えを使って表現している悟りの世界をみなさんと共有していきたいからです。

 

令和哲学者NohJesuが、歴代のどの聖人と比較しても負けない人類歴史上最高の悟りを獲得し、そこから体系化したnTechから見たときに、どのように犀の角を読み解くことができるのか。

 

この『スッタニパーダ"犀の角"のnTech からみた勝手な解析』シリーズでは、その犀の角の解析を順番に綴っていきたいと思います。

 

それではさっそくいってみましょう!

 

35.  あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

 

あらゆる生き物に暴力せず、干渉することがないこと。そして子供を欲しがるな、まして友人はもってのほかだ。ただ犀の角のように独りで歩め。だいたいこのような意味でしょう。

 

子供、友人を欲しがるなというのは実際に孤独に生きろという意味でもあるけど、そこだけに留まらず、我欲を捨てろということだと思います。

 

そして、犀の角のようにというのは以降にもずっと出てくるけど、犀は頭の先端に一本角がグッと独立して伸びているように、独立して他との関係を絶って孤独に生きることの例えでしょう。

 

nTech でいうならこの体が自分であるという思い込みを捨て去ること。この体が自分と思うからそれ以外の他人を存在させてしまって、摩擦衝突の苦しみを生んでしまう。

 

だから体を捨てたその先、出会い不可能の究極の孤独になることを表現しています。

 

36.  交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

 

これは愛情についてのこと。今なら異性に対する愛情がわかりやすいと思いますが、出会った頃はラブラブでなんでも許し合えるかもしれません。でも時間が経つにつれ、意見の相違や摩擦衝突で我慢が必要になります。そしてその我慢が限界に来た時にストレス、うつ、離婚、暴力、殺人などいろいろな問題に発展してしまいます。

 

だからそれをしっかりわかった上で、犀の角のように生きろということでしょう。

 

愛人と別れて孤独になれと世間的には解釈されるかもしれないけど、nTech から見た場合、体の自分を捨てた究極の孤独になってアバターの自分で愛人と出会うことを勧めている教えなんだと思います。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。