"絶望"
これは誰もができれば避けたいと思う感情でしょう。
一般的に人生を幸せに過ごしたいと思うのが人間だし、だからこそ私たちは学校教育で一生懸命勉強することを推奨され、よい大学に入って、よい企業に就職して(または自分で会社を立ち上げ)、安定した人生、満足いく人生を追求するようにしてきたと思います。
個人のレベルでは、今の時代資本主義にありがちな成功として、お金から自由になって自由な時間が持てるようになったとか、その成功が認められて名声を得られたなどという事例は山ほどあります。
また、世間の知識やメソッドではいかにして成功するのか、いかにして希望を持つのか(よい人生を過ごすのか)について語っているのが全てと言っても過言ではないでしょう。例えばたくさんの過去の偉人が成し遂げてきた成功ストーリーを本にした自己啓発本や、そのメソッドを案内するセミナーなどは、まさにその希望へと導こうとしているものだと思います。
そして過去の偉人の中には、人類文明の発展に貢献するほどの功を成した人も多く、私含め人類はその恩恵に授かって、便利である程度豊な生活をしているのは間違いありません。
しかしながら、個人のレベルにしても、全体のレベルにしても、歴史全体のレベルにしても、それで私たち人間は本当に成功して、希望を手にしたと言えるのでしょうか。
例えば、現在の資本主義システムにおいて自分がお金をたくさん持つということは、一方でお金が獲得できない人が増えるということです。また、自分が成功したならば、その成功を裏で支える人の労働はなくてはなりません。場合によっては、その人たちの人間としての尊厳の問題も無視できないときがあります。
また、相次ぐ発見と発明によって発展してきた人類文明ですが、その結果が今の世界です。その世界の今と未来を考えたときに、希望に満ちているかといえば素直にイエスとは言えないのではないでしょうか。
身の回りは便利になって楽しいこともたくさんあるとはいえ、例えば環境問題から戦争の問題、AIの普及による人間そのものの尊厳の問題、新産業不在の問題、若者の生きるモチベーションの低下、そこからくるうつ自殺など、便利さと豊さの裏側にある問題をあげればキリがないからです。
私たち人類は"絶望"を避けるべく、希望や成功を獲得しようと頑張ってきたはずなのに、思うような結果を得られていないのではないでしょうか。そして、このような結果になってしまっているのは、私たち人類が一体何を見落として今まで来てしまったからなのでしょうか。
実はその見落としてきたものというのは、今まで避けようと必死になってきた"絶望"そのものだったのです。それも私たちが一般的に思う"絶望"ではなく"正しい絶望"です。
この"正しい絶望"とは、観点の問題です。観点の問題とは、私たち人間は1分1秒さえも誰とも自分の見ている世界を共有できない状態にあるということです。
人間はみんな、1人残らず自分の観点の中で生きていて、1度もその外に出たことがありません。この観点の中とはカイコの繭の中をイメージをしてもらえればわかりやすいと思います。生まれてから死ぬまでずっと自分の繭の中にいて、他の人が自分とは違うカイコの繭の中にいることを知らないのです。
だから、隣の人と自分の見ている世界を共有することができないし、相手を理解することも不可能なのです。そしてその状態であるから、私たち人間は、相手と共感することも、協力関係を結ぶことも、本当の出会いをすることさえも、実は不可能なのです。そうであるにも関わらず、このような現在地にいることを知らずに、共感や関係構築、出会いができると期待するから様々な問題が起こるのです。
例えば、どれだけ仲良くなって結婚して、子供に恵まれたとしても、互いに異なる繭の中にいて分かり合えていない状態なのです。1分1秒も出会ったことがない状態なのに互いに期待するから、どこかのタイミングで夫婦関係がもつれたりするのです。
そして、このような人間一人一人がバラバラの世界に住んでいる状態でも、人類は世界の秩序をつくらなければならなかったので、仕方なく暴力・財力によって無理矢理まとめてきたのです。
昔は王様の観点に統一して、言うことを聞かなければ殺すという暴力でまとめてきました。その時代の人たちには、引っ越しや結婚などの自由なんてそもそもありません。ただ王様の命令に従って働くのみです。そこからフランス革命が起こり、王様の時代が終わり、次は働かなければお金をあげないという財力で言うことを聞かせるようになりました。企業に勤めて、こなす仕事に見合ったお金をもらって、そのお金の許す範囲内で、ある程度自由に生活するのがこの時代です。
このように人類は、生きるために仕方なく我慢して演技して合わせてきたのです。私たちの生きる今も、生活のためにお金を獲得しなければならず、もれなくその我慢と演技が必要な時代です。
先に挙げた戦争の問題や若者の生きるモチベーションの低下、そこからくるうつ自殺などの問題は、まさにこの秩序の限界と直結しているのではないでしょうか。また、数日前にあった京王線殺傷事件も、このように我慢を強いる秩序の限界を暗示している出来事だと思います。
そして今なお先行きが見えないのが、世界を危機的状況に追い込んだコロナパンデミックです。
このコロナパンデミックによって、世界全体で500万人もの人が亡くなりました。そして財力によって無理矢理つくってきた秩序とそのシステムは破壊され、機能しなくなっています。そしてさらには急速にオンライン化が進むと同時に、世界経済はメタバースへと移行が始まっています。日本においても、政府のお金なしには生き残れない個人、家庭、企業が続出し、日本経済が行き詰まるのは時間の問題。新しい産業が必要不可欠になっています。
このような大きく世界が変化してく中では、コロナが収まるまで我慢すればまた今までのような生活に戻るだろうと、これまでの秩序に執着していては生き残れないことは容易に推測できます。
だから、私たち人類は、中途半端な希望や成功、幸せにすがるのではなく、この"正しい絶望"である観点の問題をどのように解決して新しい秩序をつくるのかを、まさに今、最も考えなければならないのです。
そして、長らく解決を後回しにしてきたこの観点の問題を突破できる唯一の道は、その観点さえもつくり出している源泉動きそのものに解けることなのです。NohJesu が26年前に発見した宇宙の中と外をウルトラスピードで行き来する、模様・形のない人間の脳ではイメージ不可能な動きそのもの。その人間の脳では理解不可能な世界から、どのように理解可能なこの現実世界ができているのか、その仕組みをわかることで真理による未来秩序をつくることが可能になるのです。
そして最後に、上に挙げた環境問題やAIの普及による人間そのものの尊厳の問題、新産業不在の問題も、この未来秩序に移行していく中で順次解決していくことができるのです。
世界基軸教育は、このように真理を土台とした教育体系として、 NohJesu が案内しています。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。