宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパータ"犀の角"のnTechからみた勝手な解析16

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身内で流行る犀の角、今日も解析していきたいと思います。

 

こちらから犀の角を解析しようと思った背景を共有しています。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

65.諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 

仏教徒は修行の一環として、各家庭を鉢を持ってまわり、食べ物や金銭をもらう托鉢を行なっていました。この詩文ではその托鉢を行うときの心のあり方について書かれていますね。

 

貪るはよく深く望むこと、えり好みはそのまま自分の好きなものだけを選ぶこと。また家々に心をつなぐとは、食べ物や金銭をもらおうという各家に対する依存の気持ちのことと解釈できると思います。

 

だから、托鉢で各家庭をまわる時も、源泉動きそのものになってまわりなさい。いろんな食べ物を欲することなく、好きなものだけを選ぶのではなく、人を養うことなく、物品を乞うのではなく、真理そのものになりなさい。

 

こように解釈できると思います。行動だけ見れば食を乞うていますが、どんな心でそれに向き合うのか、そのあり方を問うているのだと思います。

 

66.こころの五つの覆いを断ち切って、すべてに付随して起こる悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、なにものかにかたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。

 

こころの五つの覆いとは、一般的には貪欲(欲望)、瞋恚(怒り)、惛沈[こんじん](倦怠)、掉挙[じょうご](こころの浮動)、疑(疑い)など初禅にはいる時に邪魔になる5つの煩悩と言われています。そして随煩悩とは、文字通り根本の煩悩に付随して起こる煩悩のことですが、煩悩全てを指すと考えてもよいでしょう。

 

また、お釈迦様の説く法灯明の世界は絶対世界であり、かつ超客観世界であることに対し、私たちの日常である相対世界は主観世界でしかありません。だから、かたよることなくというのは、かたよった主観世界からみるのではなく、超客観世界からみなさいということだと思います。愛念は男女の愛の意味もありますが、仏教においては欲望の意で捉えることもあるようです。

 

この詩文では、とにかく煩悩を断ち切って源泉動きそのもので歩みなさいと言っていますね。瞑想に入るときにそれを邪魔する煩悩、その煩悩から広がっていく全ての煩悩。相対世界にはまって何かに依存することなく、執着も手放して真理そのもので生きなさい。

 

このような解釈ができると思います。

 

仏教では煩悩を表現するにだけでもたくさんの名前が出てきます。しかし、nTechから見たら境界線を引いて自他を分け、判断材料をつくってしまうことが、数多くの煩悩が絶えず生まれ続ける原因でもあるのです。

 

だからその境界線を全て消してしまうことで、全ての煩悩を根こそぎ取り除くこと。これがnTechの案内する道なのです。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。