宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

nTech から日韓が一つになるまで

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このところ仲間が蓄積しているnTechのコンテンツやNohJesu本人、NRの仲間、時代の脈絡、NR組織システム、日本文明の素晴らしさ、そして日韓ビジョン同盟についてのエピソードをストーリーにしてみました。

 

このように一連のお話にしてみるとグッと確信が深まりますね!

 

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認知革命以来、私たち人類は主語Sと述語Vを土台とするSVアナログ言語を使って人類文明を築きあげてきた。しかし約7万年間の時を経た現在、時代は八方塞がり。人類全体はどこに向かえば良いのか、その基準軸が見えない。

 

そんな中、SVアナログ言語の限界を補う1-5-1デジタル言語こそが次代の基準軸であるとNohJesuは断言する。

 

1-5-1デジタル言語とは

人類が今まで誰も規定できなかった1の発見があったからこそ発明できた言語。

そしてその1を誰もが理解し自由自在に活用応用できるようにする言語。

またSVアナログ言語が1不在であったゆえ突破できなかった観点の問題からくる不信不安や摩擦衝突の人類の涙を一掃でき、誰もが悟った観点から見ることができる言語。

めっちゃすごーい!

 

NohJesuはなぜ人類文明全体の方向性を明示できるのか。

 

それはNohJesuが人類史上初めて神を発見し神と完全にひとつになってその子どもを生み、さらには誰しもがその神をいつでもどこでも使えるようにデジタル言語化させ、PCの作動原理と繋げてPUスクリーン着火点感覚まで広げてしまったから。

神の道具を人間に渡し人間が神以上になることを導く決断と覚悟があるから。

2,000年前約束した最終章の革命をこの時代に切り拓き 、1ミリもブレることなく揺るがない道をつくってくれている『1そのものJ』であるから。

 

ではこの次代の人類文明の出発になるのはどこなのか。

 

それはここ日本。

明治維新の時、刀を捨てて西洋を取り入れた日本。

戦争に負けた時、心を0化してモノづくりで世界トップになった日本。

日本には他の国がやらないことをやってきてる歴史がある。

0化をしても次に世界トップになる、そこに侍の強さ、日本の強さがある。

そのDNAが自分たちの中にもある。

本気を発揮していない日本人の私たちがいる、本気になった時に世界にどれだけ影響を与えられるのか。

 

そんな日本から世界をリセットしていこうとしているのが同志たち。

 

この時代、この時に、ものすごい確率で日本を選択し、ものすごい確率でJと出会い、NRを選択している同志1人1人は、かけがえのないもの。

目で見ず心で観る、国が出来ない心を取り入れた世界基軸教育によって人間性能を次元上昇、新秩序・共同体秩序モデルを拡大させ、世界を一つに繋いでいく組織。

80億人の利益のために政府がやるべきことをやっている。

80億人のみんなが勝利することを探しているNR組織。

 

日本から出発して最初に一緒にやるのは韓国。

 

日韓ピジョン同盟によって天皇百済の王族である事知らせながら毎年イベントしちゃえば大統領より天皇が人気になる時代になる!

天皇百済の王族だといって年に一回日本が百済にいってお祭りしたら韓国のハートとれてしまう。

自然に日韓はひとつになる!

観点の問題のwhy

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前回は、問題を解決して理想に向かうには、問題解決が大切なのではなく問題定義が大事であること、そして今この時代を生きる私たちが持つべき共通の問題意識は「観点の問題」であることを書きました。

 

今日はその「観点の問題」がなぜ問題なのかを書いてみようと思います。

 

観点の問題

【否定・肯定】相手を否定したら相手が怒り、相手を肯定したら相手を相手に従わなければならない。だから相手を否定も肯定もできない。

【完全・不完全】完全だと思ったら傲慢になるし、不完全だと思ったら何をしても自信がない。だから完全だとも不完全だとも思うことができない。

【異質・同質】異質だと摩擦衝突が終わらないし、同質だったらロボットのようになってしまう。だから異質も同質も認めることができない。

 

この観点の問題がなぜ問題なのでしょうか。

 

それはこのように否定も肯定もできないし、完全とも不完全とも思うことができないし、異質であることも同質であることも認められないにもかかわらず、一時もその観点から離れることができないからです。

 

一時も観点から離れることができないというのは、家族をみても、友達をみても、恋人をみても、実は自分の観点しかみていないし、右をみても左をみても自分の観点の中、寝ても起きても観点の中、さらには死んでも生まれても観点の中というように、私たち人間はずっと観点の中にいて一度たりとも外に出ることができないということです。

 

上記のどちらをとっても問題となる観点の問題を抱えたまま我慢して生きることを続けるしかない上、死んで生まれ変わっても同じことを繰り返し、永遠に続けるしかないというのが私たち人間の現在地なのです。

 

そしてさらに悪いことに観点は、その観点の中にいることが問題であるということを私たちが認識するためには、観点の外に出て観点を客観的にみなければならないにもかかわらず、実はその観点の問題を認識しなければ観点の外には出ることができないという矛盾を孕んでいます。

 

このようにどうにもならない苦しい状態でありながら永遠に堂々巡りを繰り返し、そこから出ることができないでいること。これが観点がなぜ問題なのかに対する答えなのです。

 

まずは観点の問題が何かということ、そしてそれがなぜ問題なのかということを理解すること。これが問題を認識するに至る初めの一歩になります。

 

nTechではこの観点の問題を解決するために、まずは問題を発見・認識・理解することを案内していますが、このことを1人でも多くの方に知っていただくために平日はほぼ毎日令和哲学カフェを開催し、さまざまなテーマを取り上げながらnTechから見た解析をみなさんと共有する時間をとっています。

 

よかったらご覧ください。

reiwaphilosophy.com

大事なのは問題解決策ではなく「問題定義」


みなさんは何かに対して理想があるとして、どうしたらその理想地に効率よく到達できると考えるでしょうか。

 

とにかくその理想に近づくためになんでもやってみるというのも一つの答えかもしれませんが、例えば地図をイメージして理想地=目的地としたとき、その目的地に到達するためには現在地を明確にわかる必要があります。その現在地をわからないままにはどう足掻いても目的とする地点に到達することは不可能です。

 

何が言いたいかというと、理想地に到達するために「今どこにいるのか」という問題に明確に答えられること、すなわち今自分の抱えている問題が明白であることが必須であるということです。その問題さえ明確になってしまえば、それを解決して理想を手にすることは簡単だということです。

 

私たちは子供の時から義務教育を通過する中で、答えを暗記することばかりをやってきたと思います。その結果、なかなか自分で考える習慣がつかず、例えばどうしたら月に100万円を稼ぐことができるだろうかとか、どうしたら結婚相手と出会うことができるだろうかなどの表層的な問いを持つことが多いのではないでしょうか。

 

少し俯瞰して、私たち人間がそのような教育を受けることでたどってきた歴史を見ると、うつ、自殺、戦争が絶えず、他人の前では無限大我慢して合わせて演技しなければならない状態になっています。

 

これは表層的な問題は簡単に発見できるのですぐに解決できますが、本当に解決しなければならない問題は実は見えないところにあって見つけることが難しいからこそいまだに解決できてないことを物語っています。

 

アインシュタインの有名な言葉に「私は地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、55分を問題の定義に使い、5分を解決策の策定に使うだろう」という言葉があるように、本当に大事なのは問題解決策を考えることではなく問題を定義することなのです。

 

では、私たちの個人の表層的な問題から、世界中で乱立する数多くの問題までを生み出してしまう人類がいま発見できていない根本的な問題とは何でしょうか。

 

それが「観点の問題」です。

 

①否定・肯定

相手を否定したら相手は怒り、相手を肯定したら相手に従わなければならない。そのため相手を否定も肯定もできない。

②完全・不完全

自分を完全だと思えば頑固になるし、自分を不完全だと思えば何をしても自信がなくなる。そのため自分を完全とも不完全とも思うことができない。

③異質・同質

観点がバラバラだから摩擦・衝突が終わらないし、一つにしてしまったらロボットのようになってしまってさらに問題。そのため異質も同質も認めることができない。

 

私たち人間は寝ても覚めても、死んでも生まれてもこの観点を使い片時も離れることができないにもかかわらず、この観点の中にいることはどちらにしても問題という八方塞がりの状態なのです。

 

この観点の問題をまずは明確に理解すること。これが多様な問題を生み出す原因を根こそぎ取り除く一番の近道になるのです。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

ChatGPTの登場は何を意味するのか

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このところ ChatGPT の登場で世間が騒いでますね。

 

少し質問するだけである程度正確な答えがまとまって返ってくるのは、あらゆる文章の作成に使えるし、物事を検索することもできるので、日常のさまざまな場面で活用できます。

 

しかし便利になる一方で、 AI が人間の存在意義を脅かしかねないと言われて久くこのことを曖昧にしてきましたが、いよいよ本当に私たちは考えなければならない時に来ているのではないでしょうか。

 

例えば、私たちが子供の頃から単語やそれらの因果を覚えて人とコミュニケーションをとって社会活動や経済活動をしてきましたが、私たちの生活の根幹となるその単語と因果の暗記とそれを使った交流が ChatGPT の方が遥かに正確に早くできています。

 

具体的には、例えば学生のころに誰もが経験したであろう受験などは、それまでに蓄えてきた知識を試すものですが、それは ChatGPT が試験問題作成もその回答もほぼ完璧にできてしまいます。これは知識を覚えてアウトプットすることは、人間がやる必要がないということを意味しているのではないかと私は思うのです。そしてそのような知識を覚えて使って今までの社会活動の基盤を創ることは、全て AI がやっていくことになるのだということだと思います。

 

そしてそうであるなら人間は価値のない存在になり下がるか、もしくは全く別のことをやる必要があるのではないでしょうか。

 

そこでその全く別のものというのが知ってる世界から自由になることであり、因果の世界を超えていく無概念出発思考です。

 

昔、大航海時代より前の時代、大陸で中国が覇権を握っていた頃は、経験知識が主流でした。これは5感覚でそのままキャッチできる情報でできた知識であるのに対して、アヘン戦争以降は西洋が世界の主導権を握るようになり、電子顕微鏡ハッブル望遠鏡などにより5感覚を超えた体系を理解するための概念知識が作られました。

 

この概念知識が今の科学技術とつながるわけですが、それをさらに超えていくのが無概念知識であり、時間空間存在さらには生死までも超越した無概念から出発する知識、それによって思考する無概念出発思考がこれからの時代は必要になるのです。

 

 

最も解決しなけれはならない「観点の問題」

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私たち人間が今最も解決しなければならない問題は何でしょうか。

 

個人の悩みはもちろんあるでしょうが、最近だと世界全体の不景気と物価上昇からくる生活の逼迫やロシアウクライナ戦争の長期化からくる核戦争の危機、気候変動からくる環境破壊の危機、持続不可能な社会の危機、AI台頭による人間の尊厳の危機、貧富の格差からくる共同体破壊の危機、そして人間関係が築けないことからくる少子高齢化の危機など、視野を広げれば実に多くの問題が山積みです。

 

私たち人間は古代より真実の尊厳や自由、愛、幸せ、成功などを追い求め、宗教、哲学、科学、数学、芸術などさまざまな分野で質問を投げかけてきたと思いますが、その結果が個人の問題も含め上記のような問題が乱立する世界なのではないでしょうか。

 

これだけの時間と労力をかけて追求しながら一体何が足りなかったのでしょう。

 

実はそれはどの分野においても究極の質問にたどり着いていないことが原因だったのです。そしてその究極の質問とは「いかにして観点の問題を解決するのか」という問いです。

 

この観点の問題を詳しく見ると

 

①相手の観点を否定したら怒るし、肯定したら従わなければならない

②自分の観点を完全だと思ったら頑固になるし、不完全と思ったら自信がなくなる

③バラバラだから摩擦衝突が起こるし、一つにしてしまうとロボットのようになってしまう

 

以上のような特徴があります。

 

前回、「帰納推論と演繹推論」の記事で書きましたが、人間は究極の本質からみたら常に部分的な事例から一般論を導く帰納推論によって物事を考えています。そして、地球上の全ての白鳥を観察する前に大部分の白鳥が白いからといって白鳥は白いと決めつけたら、後になって黒い白鳥が見つかったというブラックスワンの事例は、黒色の白鳥の存在を排除、無視し、殺害していたことに他ならず、帰納推論の限界を示しています。

 

しかし私たちはSV言語を使っている以上帰納推論で思考するしかなく、人間は生まれ育った環境はみんなバラバラでいうまでもなく誰1人として同じ環境で育った人はおらず、従ってみんなバラバラの一般論、自分の常識、自分の当たり前をもち、それ以外の可能性を排除することしかできず認めることもできないのです(世の中の"認める"は表層的なものであり深いところでは認めることができない)。

 

自分の観点を持って相手を否定する(上記のことから基本的に否認しかないが)ということは必ず衝突が起こるということであり、互いに譲れない観点であればあるほど激しく衝突し、深い意味では上記のように相手を排除、無視し、殺すことになるのです。

 

そして自分が絶対と思っているので、相手を肯定することはまずありませんが(近いと思う観点を肯定しているように見える時はある)、もし万が一本当に肯定するなら相手に従わなければなりません。この「従う」というのは今まで私たちがやっていたような行動レベルの「従う」のイメージを遥かに超え、自分を排除、殺して相手そのものになることさえ意味します。

 

また自分の観点を完全だと思ったら頑固になるというのは、人間は初期設定が無意識で自分の観点は完全で絶対だと思っている状態なので、他の観点を受け入れることができず他を排除するほど頑固です。

 

逆に、不完全と思えば自信がないというのは、物事に対する自信がないなどという生やさしい話ではなく、自分の思う範疇を超えた可能性が常に常につきまとうため全てにおいて選択不能となり、自分が自分であることさえも認められず全てを不信するようになり、生きていくことができなくなるということです(私たちが日常を生きて選択することができるのは自分が絶対だと思っているからであり、逆にそれが摩擦衝突、戦争の原因になっている)。

 

そして最後、ここまでで観点がバラバラであることで摩擦衝突が絶えないことは容易にイメージできると思うし、一つにしてしまったらその一つの観点に全員が従うことになるので、みんなが統一された同じアルゴリズムで動くロボットのようになってしまいます。

 

以上のように観点の問題は、そこに固定されて絶対と思うからこそ私たちは生きて社会秩序を構築できている一方で、同時に他を受け入れることができず摩擦衝突を繰り返す原因になっている最も深くて広い問題なのです。

 

そして、この観点の問題を解決できていないからこそ、現代社会の中で、我慢して合わせて演技しなければならない不信・不安・恐怖の人間関係の問題や、冒頭に書いたような社会問題が生まれてしまっているのです。ひと昔まえであればこれらの問題は見て見ぬふりをできたかもしれませんが、コロナパンデミックやロシアウクライナ戦争を背景とした物価高からくる世界同時不況の到来や、そんな中でのChatGPTなどの人間の能力を優に超えるAIの出現による人間の尊厳の危機は、そろそろ無視できない事態となってきているのではないでしょうか。

 

だからこそ変化の出発点と一致し、観点の問題を根こそぎ解決できる科学技術の次の未来技術、認識技術が必要なのです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

帰納推論と演繹推論

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今日の朝NohJesuから話がありました。

 

日本を目覚めさせるキーワードは何か。それは帰納推論と演繹推論だということ。帰納推論とは多くの事例から一般論を導くものであり、演繹推論とは普遍的な事実から結論を導き出す思考方法ですが、帰納推論には限界があるとのことでした。

 

例えばブラックスワンで有名な話で、人が確認できる白鳥が全て白かったという事実から白鳥は白いという固定観念ができたけど、あるとき黒い白鳥が見つかったことでその因果が崩れたということがありました。このように帰納推論では、ある限られた範囲内ではそれは正しいとなりうるけど、全ての場合において必ずしも正しいとは断定できないのが特徴です。

 

私はよくこの帰納推論を使って物事を考えてきましたが、この時点で私の考えの前提が崩れたわけです。そしてそれに気づいた時、一体私は何を根拠に思考を展開すべきなのか、とモヤモヤが止まらなくなりました。

 

そんな時にそのモヤモヤを吹き飛ばしてくれたのが真の問題意識と出会う11段階でした。

 

人間は部分を見て聞いてそれが絶対だと思い込む存在です。だから人間の思考はすべて帰納推論であり常に確実性に欠け、だからこそ途中まではモヤモヤが止みませんでしたが、なぜ人類が限界を迎えているのかの原因がSV言語にあるというところでハッとさせられました。

 

例えば「人間は生まれる」と言った時、それは普遍的な因果だと思われやすいでしょう。しかし人間とは私たちが生まれて間もない頃に教えられた概念であり、究極の本質から見たときには人間という存在は存在しておらず、その因果の普遍性は根こそぎ失われるのです。このことは「人間は生まれる」という因果はSV言語によって規定されているものであり、究極の本質のごく一部の現象にすぎないということです。

 

この、人間から見たら普遍的な因果であっても究極の本質から見たら一つの現象でしかなく普遍的ではないという関係性は、現実(究極の本質を絶対世界とすると現実は相対世界)の中で例えば「Aさんは生まれた」「Bさんも生まれた」「Cさんも生まれた」という因果から「人間は生まれる」という因果が導き出された時の、複数の特定の事例とそこから見たら普遍的な一般論の関係性と同じです。

 

このように、同じ「人間は生まれる」という因果でも、現実の中から見るのか究極の本質から見るのかで普遍的と言えるか否か、答えが変わってしまうのが帰納推論なのです。

 

以上のように、一見80億人が認める普遍的な因果であってもひっくり返されてしまう可能性があるのは、人間が自分たちの壮大な約束体系であるSV言語を使っているからであり、そうであるうちは帰納推論の域を脱出することはありません。

 

話を戻すと、私がモヤモヤしたのはSV言語を使って考えていたため常に不確実性が付き纏っていたからでした。そしてそれがわかったら、そのSV言語を超えた先、帰納推論を超えた先にある演繹推論(究極の本質から始まる論理展開)とはどういうものなのかという疑問が生まれました。

 

それが、異質な3つの次元をつなぐ世界だということ。純度100%の心の動きのスピードそのもの、0=∞=1のデジタル言語による論理展開なのです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

2023年1回目の心感覚SAMURAI道場

昨日年始1回目の心感覚SAMURAI道場に参加しました。
 
今回最も刺さったのは
「自分がある状態では誰も協力しない。生老病死につかまれて人生終わる。何もできない。」
ということ。
 
人間が当たり前すぎて疑いもしないことに振り回されている状態であり、そのことに気づきもしない絶望感と、そこから決別できる希望。
この現実に何がなくとも、その現実全てを一掃できる世界。
 
nTech の案内する世界はそんな世界。
 
いいですね〜、うっとりしてしまいますね〜。
さらにワクワクで学びたい気持ちになりました!