前回は、問題を解決して理想に向かうには、問題解決が大切なのではなく問題定義が大事であること、そして今この時代を生きる私たちが持つべき共通の問題意識は「観点の問題」であることを書きました。
今日はその「観点の問題」がなぜ問題なのかを書いてみようと思います。
観点の問題
【否定・肯定】相手を否定したら相手が怒り、相手を肯定したら相手を相手に従わなければならない。だから相手を否定も肯定もできない。
【完全・不完全】完全だと思ったら傲慢になるし、不完全だと思ったら何をしても自信がない。だから完全だとも不完全だとも思うことができない。
【異質・同質】異質だと摩擦衝突が終わらないし、同質だったらロボットのようになってしまう。だから異質も同質も認めることができない。
この観点の問題がなぜ問題なのでしょうか。
それはこのように否定も肯定もできないし、完全とも不完全とも思うことができないし、異質であることも同質であることも認められないにもかかわらず、一時もその観点から離れることができないからです。
一時も観点から離れることができないというのは、家族をみても、友達をみても、恋人をみても、実は自分の観点しかみていないし、右をみても左をみても自分の観点の中、寝ても起きても観点の中、さらには死んでも生まれても観点の中というように、私たち人間はずっと観点の中にいて一度たりとも外に出ることができないということです。
上記のどちらをとっても問題となる観点の問題を抱えたまま我慢して生きることを続けるしかない上、死んで生まれ変わっても同じことを繰り返し、永遠に続けるしかないというのが私たち人間の現在地なのです。
そしてさらに悪いことに観点は、その観点の中にいることが問題であるということを私たちが認識するためには、観点の外に出て観点を客観的にみなければならないにもかかわらず、実はその観点の問題を認識しなければ観点の外には出ることができないという矛盾を孕んでいます。
このようにどうにもならない苦しい状態でありながら永遠に堂々巡りを繰り返し、そこから出ることができないでいること。これが観点がなぜ問題なのかに対する答えなのです。
まずは観点の問題が何かということ、そしてそれがなぜ問題なのかということを理解すること。これが問題を認識するに至る初めの一歩になります。
nTechではこの観点の問題を解決するために、まずは問題を発見・認識・理解することを案内していますが、このことを1人でも多くの方に知っていただくために平日はほぼ毎日令和哲学カフェを開催し、さまざまなテーマを取り上げながらnTechから見た解析をみなさんと共有する時間をとっています。
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