宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

カール・ヒルティ幸福論を nTech で解析してみた

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ひょんなことでカール・ヒルティの幸福論を勉強したので、以前スッタニパータ犀の角を nTech で解析したように、彼の幸福論も解析してみたいと思います。

 

まず、カール・ヒルティですが、1833年スイス生まれ、下院議員であり、法学者、哲学者、そして文筆家でもあります。さまざまな分野を幅広くこなしてはいましたが、彼の活動の土台にはキリスト教の信仰があります。

 

熱心なキリスト教徒だけあって彼の最も感化された書物は聖書であり、彼は幸福論の中で福音書詩篇、予言書などから多数言葉を引用しています。中でもキリストの御言葉を最重要視していることは言うまでもありません。

 

幸福論の中で取り上げられているテーマは、神や愛、人生、健康、病気、そして教養など幅広く、それらを語った上で幸福を獲得するには仕事に没頭することだと言っています。

 

特徴として、これらのテーマに深く入り込みながらも空想的要素はなく、現実的な話が展開されることが挙げられます。

 

ではここからは彼の幸福論の中身をピックアップして見ていきたいと思います。

 

1. 働きのよろこびは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない。それは、教訓からも、また、残念ながら、毎日証明されるように、実例からも決して生まれはしない。

 

早速ですが、これは仕事について書かれています。仕事をすることのよろこびは自分で考えて実践することでしか得られない。だからこそ当然それは教訓からも実例からも得られるものではないということです。

 

彼はキリスト教的観点から、休息が辛い仕事のあとの楽しい時間だと思っていては、人生の大半を仕事をして過ごす私たち人間は幸福にはなり得ないと言っています。

 

だから仕事は休息であること、そしてもっというなら仕事の種類に関係なくその中で経験する「創造と成功」の喜びが幸福をもたらすのだということです。本文に"自分でよく考え"というフレーズがありますが、まさに創造は考えることなしに成しえません。

 

nTech からみたら、仕事は Calling であり、 Dignityです。時代に、大和魂に呼ばれてやっている仕事であること。そして尊厳そのものであること。それは今この時代に生まれた78億人がなすべき仕事であり、自然に喜びと幸福、創造と成功にいく仕事なのです。

 

2. われわれは、どんな価を払っても、われわれ自身のために習慣的に、全ての人々を愛するようにつとめなければならない、人々が愛に価するかは問うことなしに。

 

これはその人が愛するに値する人かどうか問うことなく、私たちは全ての人を愛する習慣をつけるべきだということです。

 

これはおそらく、キリストが互いに愛し合うことを説いたことに起因する内容だと思います。

 

nTech ではオール0化という言葉がありますが、人間の中に内在する判断基準をなくすことを案内しています。この場合は相手を愛するか否か、もしくは愛するにしてもどの程度愛するのかを判断する心のものさし(判断基準)を丸ごとなくしてしまうことです。そうしたときに、次元の違う愛そのもので全ての人をみることができるようになります。

 

3. 「患難をも喜ぶ」(ローマ人への手紙5−3)という使徒パウロの言葉は、そのほかの多くの彼の言葉と同様に、不幸のうちにどのような力が、どんなに深い内的幸福が潜んでいるのかを自ら経験しなかった者には、その本当の意味は絶対にを分かりはしない。

 

使徒パウロはキリストの復活を見て回心した新約聖書の著者の1人です。こちらはそのパウロの言葉を引用した文章です。苦難にこそ幸福があるのだが、その苦難に背を向けてしまう人にはその幸福を理解することはできないということです。

 

例えば彼は別の文章でこのように言っています。「堅い人情のきずなもまた不幸の中で結ばれる。ひとがある人と困難を共にし、互いに信義を示しあったならば、何者にも破られぬ、まことの宝である、真の友情が生まれるものである。」

 

これは、苦難から逃げず嘘偽りなく真正面から向き合った人同士だからこそ、それを乗り越えたときに得られる信頼関係と友情があり、それは宝物であると言っているのでしょう。

 

このように、苦難を乗り越えてこそ得られる幸福があることを言っています。

 

nTech では究極の絶望である正しい絶望なくしては、絶対に究極の希望には到達できないと言います。その正しい絶望をするためにもまずは人間の現在地を明確にわかること。これについてはこちらの記事をご覧ください。

hyperconnection2012.hatenablog.com

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4. 虚栄心と名誉心とは、つねに悪いしるしである。なぜならどちらも結局は自己否定に基づくものであって、そうした自分の内的不満を、うわべを装うことや他人の好意ある判断で補おうとするのにほかならないからだ。

 

虚栄心は自分を本来の器以上によく見せようとする心、名誉心は優れた評価を得たいと思う気持ちなので、どちらも人からよく思われたい心の現れだと言えるでしょう。ヒルティはこのような心をよくないことだと言っています。

 

というのは結局その心の裏側には自己否定があって、それを隠すために表面上だけ装おうとしているからだということです。

 

いうまでもなく、私たちは日常で人によく思われたいとか自分をよく見せたいとか思うことはしばしばあると思います。そのような心を手放すことが、幸福になる道だと彼は言っているのだと思います。

 

nTech では、その自分の中にある自己否定をオール0化。無境界線の世界まで解けることで自己絶対肯定を獲得できるとまで言っています。虚栄心、名誉心の生まれる原因である自己否定を根こそぎ取り除くだけにとどまらず、その対局の究極の自己肯定まで案内してしまうのです。

 

5. 世人のために大きな奉仕をする機会など、そうざらにあるものではない。これに反して、ささやかな喜びを誰かに与えることは、いつでもどこでも出来る、たとえそれがただひたしげな挨拶であったとしても。

 

ここでは、人のために大きなことをするのは難しい。だからいつでもどこでもできる小さなことで人のためになることをするのがよい、と言っているのでしょう。

 

また彼は別のところで「人との最上の関係は大体、会う人ごとに素朴な、自然な、誠実な親しみで接することから生じる。」ということも言っています。

 

これは例えば挨拶など、ふとした時に心地よくなるような関係性を築ける交流をするのがよいと言っているのだと思います。

 

nTech では人のために役に立つどころか、人類救済を謳っています。人間は瓶の中に閉じ込められた鳥であり、脱出不可能ゲームの中の主人公です。要は私たち人間は、知らないうちに地獄の中で生きているということであり、その絶望の海から唯一救おうとしているのが nTech なのです。

 

そしてさらに、nTech は人の心に直接感動を与えられる技術でもあります。今まではモノ商品を通して間接的に感動させることで人の役に立ってきましたが、nTech を応用活用することで直に相手に感動をプレゼントできる関係性さえ構築できるようになるのです。

 

6. 一般的教養の最大の成果は、各人の人格を健全に、かつ力強く発達させて、豊かにして完き、精神的に満ち足りた人間生活を送らせることでなくてはならない。

 

教養は、人格を正しい方向へ発達させ、豊かにさせ、精神的に充足した人生を送らせるものであると言っています。

 

ヒルティはこの教養には、①倫理観、②体の健康、③人生観の3つがあると言っています。しかし同時に「現実の生きた生活で実証もされず、また実行もされないような哲学は、役に立たない。」とも言っています。

 

これはただ単に知識を覚えるだけの教養では意味がさほどなく、実生活・実社会で使える教養が必要だと言っているのだと思います。

 

nTech 創始者である NohJesu は、哲学は現実に使えないという理由でその哲学という言葉を遠ざけていましたが、令和哲学者と名乗るようになったことからもわかるように、nTech は日常と密着した教養です。

 

それは、豊かで精神的に満ち足りた人格形成どころか、人間は何を知り、何を実践し、何を希望すべきなのかという真実の人間像までをも案内します。そしてそれは日常のあり方、そして生き方そのものを見直す人間誰もが必要とする教育なのです。

 

7. 読者のなかに、神のそば近くあるということを、いささか「神秘的」にすぎると思う人があるならば、「偉大にして真実な思想に生きる」という表現に、しばらく代えてみてもよい。

 

これは、神を信仰することが幸福につながることが大前提にあるが、それが神秘に思えてならない人は自分の信念を持って生きるということに代替しても幸福を獲得できるということを言っています。

 

冒頭にも述べましたが、ヒルティは熱心なキリスト教徒です。彼は、イエスの言葉、行いを理解して、模倣、実践することだけが人類にとっての唯一の福音であるとまで言っています。

 

だから何を差し置いても神を信仰することは最優先に考えたのだと思います。しかし、それだけではキリスト教徒内という狭い範囲でしか幸福論を語れないので、神を信仰することを各々の思想、すなわち信念に置き換えて表現したのだと思います。

 

nTech では神を信仰するのではなく、長らくその神として崇拝されてきたイメージ不可能、認識不可能、感じることも不可能な世界を道具に使うことで、どんな自分になってどう生きるのかを明確にすることができるのです。

 

その結果、幸福までも獲得できるのです。

 

8. 神を信ずる人々にとっては、すべての憂いがしだいに消えて、その代わりに、ある確かな信念が生まれる。すなわち、一切のことが必ず良くなるに相違なく、そして何ごとも、たとえば不幸にせよ、人の悪意や怠惰にせよ、自分の過ちにせよ、ほんとうの禍をもたらすことはないという信念がわいてくる。

 

神を信仰する人は心配事が次第に消えていき、代わりにあることに気づく。それは全てが良くなり、不幸にしても、人の悪意や怠惰にしても、自分の過ちにしても、本当に災いをもたらすことはないのだということ。

 

ここでヒルティはこの憂いはなくなるのではなく、まるで憂いを知らないかのように生きることが可能なのだと言っています。

 

nTech では、始まりにないものは終わりにもない。今ここの"認識"に勝てば、人類は勝利する、と言っています。これはどういう意味かというと今ここの認識が幸福か否かを決定する。今この瞬間の幸福なしに3年後、5年後に幸福になることはあり得ないということです。

 

認識に勝てばもちろん憂いは消えるのですが、その勝った境地は時間・空間・存在・エネルギーなど全ての始まりの世界であり、時間・空間・存在・エネルギー一切が最初からない世界です。だから憂いなど最初から存在しないのです。

 

その観点でヒルティの「まるで憂いを知らないかのように」と表現しているところをみると、もしかしたら彼は神の境地、 nTech でいう無境界線の時間・空間・存在・エネルギーのない世界を垣間見たのかもしれません。

 

以上、カール・ヒルティ幸福論からいくつかをピックアップして解析してみました。ヒルティ自身が何を言っているのだろうかと考えて調べていくことはとても楽しく、特に一つ一つの表現でどんな世界を見ていたのかを伺えるところは知的好奇心をくすぐられる思いでした。

 

また機会があったら解析シリーズもいやっていきたいと思います。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。