宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパーダ"犀の角"のnTech からみた勝手な解析12

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こんにちは。

 

犀の角を解析するようになって、初期仏教のこと、お釈迦様のことなどいろいろと動画やサイトで調べている中で思うことですが、中身をそのまま解析している人はなかなかいないようですね。悟った人の観点から書いたもので、体の人間が理解しようとすると無理があるから、当然といえば当然なのですが、その点でnTechがいかに明確に悟った境地を語っているのかがわかりますね。

 

では今日も解析していきたいと思います。

 

犀角を解析しようと思った背景はこちらです。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

57.義ならざるものをみて邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人にみずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

 

義は道理にかなっていること、正しい道のこと。邪曲は正しくなく、心がひねくれていること、貪りは飽きることなく欲しがることです。

 

なので、この詩文は、人道から外れているものをみて不正に堕ちた友人を避けなさい。飽くことなく物事を要求し怠っている人に自分から親しまず、独り自分の行くべき道をいけ、といったところでしょう。

 

nTechではどんな人を自分の周りに置くのかが大切と言います。一般的にも言われていることだとは思いますが、nTechの場合根本的に違っていて、5感覚の目で見て、耳で聞いて生きている体人間を周りに置くのではなく、心人間を周りに置くことだと言います。体人間の海の中に自分を置けば、自分も体人間になってしまうし、心人間の環境に自分を置けば心人間へ自然と近くなるのは簡単にイメージできますよね。

 

nTechからみたら、義はひとつの動きそのもので生きることであり、それ以外は全て邪曲であり、貪りに耽って怠っていることなのです。だから体人間と無駄に親しむことなく、体が人間と思っている人たちをひとつの動きへ導くこと、これを犀の角のようにただ独り歩むことと解釈することができます。

 

58.学識ゆたかで、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。

 

学識は、身につけた学問と見識。高邁は気高く周りより優れている様、明敏は頭の回転が早く鋭いこと。疑惑は本当かどうか疑いをもつこと。

 

なので、こちらは学と見識が豊かで真理をわきまえた、賢く優れた友と交流しなさい。それで色々とためになることを学び、疑いをなくして、自分の決めた道を行け、といったところでしょう。

 

優れた友人と交わりなさいと詩っている箇所が45、47にもありましたね。

hyperconnection2012.hatenablog.com

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

上記でも解析したように、nTechからみたらこの優れた友というのは真理そのものであるひとつの動きとみることができます。

 

nTechでは不安、恐怖、絶望、怒りなど現代人に多くみられるマイナスの感情は、全て疑惑、疑いから始まると言っています。疑いから不安が始まり、ショックからくる恐怖につながり、次に絶望からくる鬱、そして怒りの絶叫に発展していきます。鬱、自殺、殺人など社会的問題は、こういった疑いを出発とする様々な感情からきています。


だからこの疑惑を確信によって断ち切ること。これが大切なのです。

 

そしてその確信とは、友との出会い、真理との出会い、ひとつの動きそのものとの出会いによって得られます。それによってアイデンティティが変化し自分自身が真理そのものになって、確信に変わっていきます。

 

ここの犀の角のようにただ独り歩めは、真理そのものになって独立した意思決定で生きろと解釈したらピッタリですね。

 

本日もありがとうございまいた。