こんにちは。
ここしばらく数年、8月が前ほど暑くないように感じるんですが、私だけでしょうか。まあ涼しいに越したことないので、いいことなんですけどね。
はい、では今日も角っていきたいと思います。
解析をしていこうと思った背景はこちらからご覧ください。
hyperconnection2012.hatenablog.com
45.もしも汝が<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。
汝はあなた。明敏は頭の働きが鋭く、物事の本質を素早く悟る様を言っています。危難はあらゆる困難、危機の意味です。
仏教では同伴者というのは人のことを指す場合もあれば、モノを指す場合もあります。この場合は賢く行儀正しいなどと形容してあるので、人と解釈していいと思います。
なので、もしあなたが、賢くてともに歩める礼儀正しく頭のシャープな人と出会ったなら、あらゆる困難を乗り越えて、悦びに浸りながらも落ち着いて彼とともに歩め。だいたいこのような意味でしょう。
nTechからみた場合、この同伴者というのは絶対的真理そのもの、脳では理解不可能な世界とみることができます。その絶対的真理を得たならば、危機に打ち勝つどころかそもそも危機が危機ではなくなるし、毎日が歓喜感動溢れる生き方ができるようになります。
46.しかしもし汝が<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。
こちらは45の逆。譬えばは"たとえば"と読み、意味はそのまま。
だから、賢くてともに歩める、礼儀正しく頭のシャープな人と出会えないなら、例えば王が自分が征服した国を捨てるように、自分のすべてと言っても過言ではないものを放棄・訣別して犀の角のように歩めと言っていますね。
nTechからみると、もしあなたが絶対的真理と出会ってないなら、自分の大切なもの、執着しているものを手放して、周りが反対しても徹底的にその真理を追求すべきだ、と解釈できると思います。
というのも、目で見ていては1分1秒も隣の人と自分の見ている宇宙を共有できないにもかかわらず、一時的なタイミングで分かり合える、共感できると思っては期待してしまう。それで何かのきっかけでその期待は裏切られて絶望に変わってしまうから。AIが普及して人間関係を土台にすべてが成り立つ時代にだ。
だからそれでは本当にヤバイ。脳の創る世界をゲーム感覚で楽しめる心の健康、超秩序が必要なのです。
本日もありがとうございました。