今週から令和哲学カフェのファシリテータが細井コウちゃんに替わりました。
哲学者として取り上げているのは千利休。利休は決して歴史的な哲学者というわけではないけど、自身の信念を貫き通して生き切った人として取り上げていました。
プレゼンでは利休の生い立ちから在り方のわかるスタイルまでを紹介していました。
今回NohJesuからのテーマとして、千利休は茶道の文化をつくったけど、その文化をつくるための要素とは何か、という題が出されました。
このテーマに対して、最初考えを巡らせた結果、多くの人に影響を与えられて、共感してもらえる意志は必要かなって思っていましたが、まずNohJesuが言っていたのは人間に対する関心、それと時代に対する問題意識でした。
人間一人一人が最高の機能を発揮して生きるためにはどうしたらいいのか。そしてまた、アインシュタインは問題発見の難しさを語ったことがありましたが、問題さえ発見してしまったら解決は簡単だと言いました。だからこそ問題を発見することが大切なのだと。
士農工商の差別があり簡単に人を殺せる時代に、武士に刀を置かせて、身分を取り払って出会おうとする心、どんな身分であっても一人の人間として出会いたい、そんな想いがあったんじゃないか、と言っていました。
これを聞いた時、私はめっちゃ納得しました。
当時茶室にはにじりと言われる狭い入り口があったこと。そしてそれは武士が刀を腰につけていてはくぐれないほどの低い入り口であり、さらには利休はお茶を点てるときに平等な人間として向き合うように話していたそうです。
狭い入り口は武士に刀を置かせるためだと思えば納得できるし、身分関係なく一人の人として出会うというのも、矛盾なくつながります。だから利休の想いがそれらにあらわれていると考えられるのではないでしょうか。
そしてさらにNohJesuが言っていたのは利休と織田信長や豊臣秀吉との出会い方についてです。
精神と卵子が出会って人間になるとき、彼らは本気で出会います。実際は命懸けと言ってもいいでしょう。そして利休も本気だったし、秀吉に切腹を迫られた時も彼のスタイルを貫いて死んでいったことから、文字通り命懸けだったと思います。
このような命をかけるほどの本気で出会っているのかということが、のちの文化をつくるのに必要なことだといっていました。
これには本当にそうだなと、納得しかありませんでした。どう出会うのかの姿勢態度、それが結果を決めるということ。胸に刻んでおきたいと思います。
本日もありがとうございました。