宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

スッタニパータ"犀の角"のnTechからみた勝手な解析18

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今日はスッタニパータ犀の角の解析をやっていこうと思います。

 

スッタニパータは初期仏教の中でも最古の経典と言われ、一般的な日常を送っていてはそうそう出会う機会は多くありません。そのようなスッタニパータをなぜ今解析するのかは以下ブログにまとめているので、気になる方はぜひお読みください。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

前回は68.まで解析したので今回は69.からです。

 

69.独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

 

独座は字の通り一人で座ること、禅定は9段階禅定が示すように人間の本来像を瞑想によって探究する行為です。理法は道理にかなった法則、患いは心配事や苦悩の意。

 

だから、瞑想を行いながら、理にかなった行いに徹し、生きることは苦痛であることをしっかりわかって、自分の道を歩め、といった意味合いでしょう。

 

nTech では、常に禅定9段階のイメージを使いながら日常を過ごすことを勧めていますが、この詩文の中で独座と禅定を捨てるなと言っているのは、まさにそのことに当たると思います。また常に理法に従って行いと言っているのは、nTech の理法であるこの現実が生まれる仕組み1間点に沿って、考え・感情・表情・言葉・行動・人間関係をしなさいということでしょう。

 

そして、諸々の生存には患いのあることを確かに知ってとありますが、nTechでは体の人間で生きることは、悲惨・残酷・屈辱だと言っています。そしてさらに、脳で生きること(この体が自分と思って生きること)は、1分1秒さえも誰ひとりとして自分の見ている現実を共有できない究極の絶望までも語っています。

 

この究極の絶望は個人の悲惨・残酷・屈辱はもちろんのこと、人類歴史のそれとも直結するものであり、もはや見て見ぬフリはできないところまできています。このことについては以下の世界基軸教育を発信する背景②に書いています。よかったらお読みください。

hyperconnection2012.hatenablog.com

 

この究極の絶望をわかったなら真理そのもので生きること。それが犀の角のようにただ独り歩めと言っているところとつながると思います。

 

70.妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して犀の角のようにただ独り歩め。

 

妄執は執着に囚われている状態、明敏は頭の回転が速く鋭いこと。こころをとどめは文脈から、移り変わる現実の誘惑に負けて、心があちらこちらに彷徨うことのないように留めておく意味だと思います。

 

だから、執着をなくすことを求めて、怠ることなく、賢く深く学び、誘惑に負けないように心を抑えておきなさい。そして、理にかなった道を明確にわかって、自制、努力して自分の道を歩め、といったところでしょう。

 

nTech ではどんな問題意識を持つのかでその人の人生が決定すると言っています。だからその問題意識によって、何をどこまで深く学ぶのかも決定されるのです。

 

年収2000万円をどうやって稼ぐかの問題意識しかない人は、それなりの学びと時間の過ごし方になるし、人類がひとつになった鬱・自殺・殺人のない恒久世界平和を本気で具現化しようとする人は、それなりの学びと時間の使い方になるのです。

 

本当に自身の執着を手放すのであれば、片手間で学んでいてはいけなし、観点の問題を明確にわかる必要があります。だから現実の生まれる仕組みをしっかりわかって、日々の美学実践(無から有が生まれる仕組みを現実に応用活用すること)を欠かさずやっていくこと。そのために犀の角のようにただ独り歩め、すなわち真理で生きる必要があるのです。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。