教育者というとみなさんはどういう人を思い浮かべるでしょうか。
一般的には親や、学校や塾の先生などが一番身近で思いつきやすいと思います。
親だったら子供がまともな大人になるようにしつけをするだろうし、先生なら将来のために知識を教えたり、理想的な人としてのあり方を教えたりするでしょう。
でもそうやって親や先生に様々なことを教えられて大人になった人たちがつくった今の世の中は、個人にとって豊かで満足のいくものなのでしょうか。
歴史を遡れば王様が支配する時代がありました。その時代は王様の絶対権力に従わないと殺されるなど恐怖で人々をまとめる全体主義の時代です。もちろん豊かさや満足なんてありません。
そして次に王様から自由になって、個人が王様のようにお金や家、車を持って自由に生きれる個人主義の時代になります。王様の恐怖がなくなって自由に生きれるようになったから、一時は豊かになって満足いく人生が送れた人もいるかもしれません。でもそれも私たちが生きる今となっては、価値観が複雑になりすぎたり、開きすぎた格差から不信不安、不平不満が溢れていると思います。
このように歴史の流れを振り返ったときに、本当の意味で豊かに満足できる生き方のために、私たち人間はなにを知るべきで、どういう教育者が必要なのでしょうか。
私が思うのは王様という一つの観点に縛られることなく、かつ互いの観点を心から認め合え受け入れられる関係性のできる教育が必要だと思います。
今でも他者を尊重してとか容認してとか言いますが、それは目に見える争いが起こらない程度であって表面的にすがないと思うのです。深く見れば他者を否定して自分を守ることが、基本的に人間のしていることです。
Noh Jesu 氏は現実は虚構であると言い切って、その虚構の心の状態を令和感覚、令和状態と言っています。その令和感覚、令和状態が真の教育者には必要であると言っています。
https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/10/13