こんにちは。本日も犀角やっていきたいと思います。
犀角の解析をやろうと思った背景はこちらに書いています、よかったらご覧ください。
hyperconnection2012.hatenablog.com
51.これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍いであり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
ここの災害、腫物、禍い、病、矢、恐怖は悪いことの例えですね。欲望を持つことは執着になるので、例をあげてこのような恐ろしさがあるということだと思います。だから欲望に振り回されるのではなく、犀の角のようのにただ自分の決めた道を行けということでしょう。
nTechでは人間が苦しいのは観点が固定しているからと言っています。物事には有効期限があるのに、それがずっと続くと期待しては、いつか裏切られて絶望に追いやられてしまうのです。だから、固定でみるのではなく、全てを永遠不変の動きで観ること。それが、犀の角のようにただ独り歩めと比喩されているような、精神的な独立につながっていくのです。
52.寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、-これら全てのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。
寒さ、暑さ、飢え、渇き、風、太陽の熱さ、虻、蛇、これらも全て様々な困難な条件状況の代表的な例えでしょう。それらのような困難な状況にも屈せず、自らの道を行けと。
nTechでは現実は感覚の結果物であると言っています。上記のような困難な状況は感覚が作り出しているものだということですが、その感覚が生まれる前には何があったかというと集まったり拡がったりしている謎の動き。そしてこの謎の動きを究極までに開いてしまったら想受滅定、イメージ不可能な世界と出会うのです。
この世界と出会ったなら、その困難な条件状況に負けることなく生きることができるのです。
このシリーズでやっているスッタニパータはパーリ語で、「お経の集まり」という意味で、特にこの犀の角は詩文、要は歌なのです。同じような意味合いのことを言葉や言い回しを少しずつ変えて表現している箇所も少なくなく、この今回の51、52はまさにその似たような内容が違う表現でうたわれているところだと思います。
悟った人が歌いながらその悟りの世界を表現しているとみると、また違った楽しみ方もできるかもしれませんね。
本日もありがとうございました。