大和魂とは何でしょうか。
私たち日本人には大和魂という言葉は馴染み深いと思います。でもそれが何なのかと言われると困るのではないでしょうか。辞書で引くと「外国と比して日本流であると考えられる精神や知恵・才覚などを指す用語・概念」と出てきますが、これも曖昧ですよね。
今日はその大和魂について書いていきたいと思います。
日本は、第二次世界大戦で原爆を二つも落とされたことや、東京裁判で犯罪国家にされたこと、さらにはTV爆弾による日本精神の破壊、プラザ合意による経済統制など、体人間で見たら怒りが出るようなことをずっと我慢してきました。
またソ連や中国から戦後様々な要求や決めつけがきたときも、同じく耐え抜いてきました。このようなことができた背景には、実は日本には大きくて深い心があり最後には勝つ自信があったからでしょう。
先日の東京五輪でも、We have wings. というキャッチコピーがありましたが、75年間耐え忍ぶことに成功したら我々の勝利だという言葉の通り、これから日本は羽ばたいていくのです。
また、歴史上の人物に千利休という人がいますが、彼は自身の茶道のスタイルを貫くあまり豊臣秀吉に切腹を命じられ命を絶ちました。そこには当時の暴力・財力の頂点を超える利休の出会いの美学があったのだと思います。
利休は命乞いをするだろうと期待した秀吉に、体で生きるような小さなレベルではなく、「死ぬことと見つけたり」という言葉があるように、生死を超えた世界で生きることを教えながら死んでいったのだと思います。
吉田松陰も、「自分の身が武蔵野の地で朽ちてしまおうとも大和魂だけはとどめておきたいものだ」という言葉を残していますが、それとも近いものがあるのではないでしょうか。
そして最近あった、ノーベル賞を受賞した真鍋氏の「日本に帰国して周りに合わせて生きる自信がない」という言葉。一見すると日本はダメというようなイメージになりがちですが、実は、出る杭は打たれる風潮の中で打っても打っても折れずに飛び出す杭のように、本物を見たいのが日本なのです。
以上のような日本あるいは日本人ですが、彼らをこのようにさせているのには裏に何かがあるからだと思いませんか。他の国、人種にはない何かがあるからこそ、これらのようなことが起こっているのではないかと私は思います。
ではその何かとは一体なんなのでしょうか。
それが実は一番大きな0スペースであり、一番大きな間であり、源泉動き、刀の刃の上に立つように、選択の余地のない1だけがある大和魂なのです。そして実は、今まではこの1である大和魂を規定することができなかったために、上記のような日本の曖昧さに整理が起きず、教育体系化ができなかったのです。
ところが令和哲学、nTech ではこの1を、脳ではイメージ不可能な世界でありながら、全てのイメージ可能な世界とパートナーを組めるビューティフルハーモニー、究極のバランスのとれた世界だから侘び寂び美学、完全学問として教育体系化を完成させることができたのです。
この教育体系化に成功したということは、どんな価値があるのでしょうか。
日本の曖昧さが整理・規定されたということは、以上のような日本を誰しもがよりシャープに再現可能になったということです。誰しもが日本の深い心を使うことができて、誰しもが同じ結果を出力できるようになったということなのです。
そうなってくると凄まじいことになってくると思いませんか。
というのも明治維新のころの日本以上の日本が再現されるわけですから。しかも、一部の人が牽引した当時とは違って誰もが当時の主役以上の立場で引っ張っていけるわけですから。このように考えると、私たちは日本は教育で世界を統一するといっていますが、そんなとんでもない日本と日本人に生まれ変わることは簡単に理解できます。
敗戦以来75年間、待って待って待ち望んだこの時。
大和魂の教育体系化により、日本が立ち上がり明治維新の頃以上の日本に生まれ変わる。そして全世界がそんな日本のようになっていく。
これからはそんな歴史的大事件の主役に、日本はなっていくのです。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。