宇宙水準点

宇宙水準点〈世界基軸教育と令和哲学〉

令和哲学者 NohJesu と共に歩む令和維新の道〜世界基軸教育によって人類がワクワクでひとつになる〜

令和哲学と書籍「シンギュラリティは近い」2

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書籍「シンギュラリティは近い」の後半を読みました。

 

前回の『令和哲学と書籍「シンギュラリティは近い」』では、ナノコンピューターの限界についてまで書いたあと少しだけ感想を書きました。

 

今回はその続きですが、先に最後まで読んでみての感想を書こうと思います。全体を通してですが、まず人間とコンピューターの接点がしっかりわかったのでシンギュラリティによって人間以上の知能を持つAIが現れると言っているイメージが詳細にわかりました。

 

その接点というのが脳が1秒間に何回の処理をするのか、そしてそれがCPUでは何回の命令に置き換わるのかというところから脳をコンピューターに置き換える計算をするということ。そしてコンピューターの速度が上がれば脳の処理をより高解像度でスキャンできるという仕組みだということ。

 

コンピューターの性能が上がれば上がるほど人間以上に繊細で高度な考え感情を表現できるようになっていくのはこのためなのです。だから人間の脳では行き届かないところまでAIは処理できるようになり、人間活動のあらゆる分野で人間を超える力を発揮していくようになるのです。

 

レイ・カーツワイルが最後に問題提起をしていますが、私もその問題は近い未来確実に起こると思います。

 

その問題というのが、人間と瓜二つ(自分と瓜二つ)のAIが現れた時にそのAIを人間(自分)は受け入れられるのかという問題です。AIは、ニューロンシナプスの電気信号のやりとりを模して作られているということはわかってはいますが、それで折り合いをつけることができるのかということです。

 

そしてその時に出てくる考えは、そのAIは自分なのかということです。結論を言ってしまえば多くの人は自分ではないと考えるでしょう。というのは自分は自分の体を持ってここにいるから。しかし、この体が自分だからと言って瓜二つのAIである自分を否定してしまったら、今度は本当にこの体が自分だと言えるのかがわからなくなってしまうのです。すなわち何をもって自分だと言えるのか、その基準が曖昧になってしまうのです。

 

人間とは自分とは何なのかという疑問に明確な答えがない限り、私たち人間はAIと付き合っていくことは難しいと思います。まさに人類の避けては通れない課題と言えるでしょう。

 

そこに対して令和哲学では真実の人間像を案内しているのです。

 

ではここからは後半の内容で気になったところをピックアップしていきたいと思います。

 

脳のリバースエンジニアリングの技術が進んで、個人の人格までも詳細にスキャンができアップロードされるようになると、その頭脳には身体が必要になります。というのも思考の多くは体のニーズを基準にしたものだからです。

 

身体バージョン2.0にはバーチャル環境におけるバーチャルの体やナノテクノロジーを使った物理的な体など、様々なものがラインナップされるようになります。2030年代には私たちの知能に占める非生物的な部分の割合が優勢になり、2040年代には非生物的な部分の性能が何十億倍も高なりましす。その時ある程度は人間的な部分を保とうとはするだろうと思いますが、そのうちそれも対して重要ではなくなり人間より遥かに優れた非生物的思考に移行していく。これこそが人類文明を根底から変容させるものなのだということ。

 

ではそんな文明を根底から変えてしまうシンギュラリティは、私たち人間の生活を取り巻く環境をどのように変えていくのかでしょうか。

 

それは人間生活の本質と社会制度を見直す必要があります。

 

ナノテクノロジーにより貧弱だった身体1.0は強靭な身体2.0にとってかわりす。血管内をナノボットが駆け巡るようになり、病気や老化を極端に抑制、永遠に生きることができるようになります。そして脳内では生体ニューロンとナノボットが相互作用し、没頭型のVRを見せるようになる上、知能の急激な拡大がなされるようになるのです。

 

脳がコンピューターと接続されると学習は知識と技術のダウンロードになり、仕事も遊びも、文化芸術科学などあらゆる範囲でその意義は知識の創造になっていきます。知能が急拡大することでそれは宇宙にも進出していきますが、コンピューティングは限界に近づきます。というのもその限界を決めているのは光速であり限度があるからです。しかし、もしワームホールなどを使うことができればそれを超えることができる可能性はあります。

 

技術が進めは代謝用ナノボットが血液に直接栄養剤を注入できるようになります。体のどの部分でどの栄養が足りていないのか、必要なのか情報が無線通信で管理され、個々の最適な健康に必要な栄養がわかるようになります。ナノボットに栄養の運搬を任せてしまえば、食べ物から栄養を取る必要もなくなるのです。そうなってくると消化器官のコントロールは新たに必要になりますが、食事自体が生命維持という目的から、美食を楽しむという意味合いに変わってくでしょう。

 

また血小板、赤血球、白血球の役割もナノボットが担うようになっていきます。ナノボットが赤血球を代替することで人間は何時間も酸素なしで生きることができるようになるのです。(100倍から1000倍の酸素蓄積運搬)これと同様に、ナノボットが血小板や白血球の機能を担うようになると数百倍以上の効果を発揮できるようになります。(1000倍の出血抑制、数百倍の速さの感染症治療など)

 

究極的には全血液がナノボット血球に置き換わります。そうなると心臓さえも不要になっていくでしょう。酸素と二酸化炭素を血液中に出し入れする肺の役割も、ナノボットが酸素供給と二酸化炭素除去の役割をするので必要なくなる。また代謝経路に必要とされる化学物質、ホルモン、酵素を合成する臓器も、人工的に合成することができるようになるので必要なくなるります。

 

ナノテクノロジーによってこれだけなくても良くなりますが、それでも残るのは皮膚や口など、コミュニケーションや感覚を楽しむためになくしたくないものです。そして例えば、食事を楽しんで物を体に入れた時に消化するための器官などは必要になります。

 

2030年代にはさらに次のような技術も開発されます。

 

ニューロンと双方向の情報伝達をするナノボットにより自由に現実そのものをVR空間にすることができるようになります。人間の脳は5感覚の捉えるものを直接捉えているわけではなく、感覚神経から伝わる電気信号をニューロンが受け取って処理することで現実を見せている。だからその電気信号をナノボットが傍受、VRを見せる信号に書き換えてニューロンに伝えたら、現実の情報を遮断してみたいVR空間を見れるようになるのです。

 

そしてさらに脳神経から運動神経への信号も遮断しVR空間の中の身体を動かす信号に書き換えることで現実の身体を動かすことなく、VR空間の中の身体を動かすことができるようになります。このようなナノポッドをオンオフするだけで自由に現実とVR空間を行き来できるようになるのです。そのようにして様々な空間の中で様々な出会いができるようになっていくのです。

 

また人間の人格をソフトウェアとしてハードウェアを取っ替え引っ替えしながら永続的に残していくこともできるようになるでしょう。そうなると人生に大きな意味と影響を与える死の価値観さえも変わってくるでしょう。

 

ざっとこのようなことが書いてありました。

 

もうこれはサイボーグですね。臓器が不要になったり、現実の体を動かさずにVR空間のアバターを動かすことができるなどまさにSFの世界。しかしそれが現実になっていくのです。そして究極的には死の意味までもが変わってしまうなど。まさにナノテクノロジーによって人間と機械が融合していくシナリオが具体的に予測されていました。

 

生きる上で拠り所にしていることの意味が変容していくと言ってますが、これは本当にそうなりますね。新しい価値観が必要です。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。